“顔の見えない敵” ある日突然SNSでトラブルに巻き込まれたレストランの苦悩
Finasee / 2023年10月31日 19時0分
Finasee(フィナシー)
パソコンの画面に表示されている文字列を眺めながら、智子は深いため息をついた。
「あそこのシェフは調理師免許を持っていないと聞いた」
「冷食チックな味は相変わらずwww」
「シェフは地元で有名なヤンキーだったので、舎弟の出所祝いで店はウハウハ」
パソコンの青い光がいつもより鈍いように感じた。智子は涙ぐんでいたのだった。どうして自分がこんなにつらい思いをしなければならないのか、理解できるはずもなかった。
正体不明の人物から、根拠なき誹謗中傷が数ヶ月前から、SNSに智子が経営しているレストラン「ラリオネ」の悪口が投稿されるようになった。投稿しているアカウントの名前は「口の悪い駄犬」というふざけたもので、かわいらしい柴犬の写真をアイコンに使用していた。最初は「期待してたのに、あんまりおいしくなかった」程度の投稿だったので、智子は全く気にしていなかった。しかし投稿はどんどんエスカレートしていった。「味がマジで冷食」や「期限切れの食材を使ってるだろ」といった料理の質についての投稿もあれば「あそこのシェフ、目つきが陰湿」や「シェフ独自の闇ルートを使って食材を安く仕入れてるらしいよ笑」といったシェフを誹謗中傷するような投稿もあった。
「ラリオネ」のシェフは智子の夫である達也だった。接客と経営は智子が担うかわりに、料理は全て達也が担当していた。夫を中傷されたというのは、智子にとって大きなショックだった。子どものいない智子にとって、50歳になった今でも、達也は世界でいちばん大切な存在だった。達也に投稿のことを相談しようかと思ったが、やめた。達也は半年前にガンで母親を亡くし、しばらく元気がなかった。先月あたりからようやく元気を取り戻し始めたばかりだった。悲しみから立ち直ったばかりの達也に余計な心配をかけたくはなかった。
そして「口の悪い駄犬」の誹謗中傷はついに店の経営にも影響を与え始めた。週末に予約を入れてくれていたお客さんからキャンセルの電話がかかってきた。キャンセルの理由を聞くと「SNSで良くない評判を見たから」というものだった。もちろん、それは「口の悪い駄犬」の投稿だった。これには本当に参った。こんな田舎町でも飲食店同士の競争はある。数ヶ月前には、東京から「フォロロマーノ」というレストランが近くに移転してきた。そんな状況でSNSに悪評を垂れ流されるのはかなりの痛手だった。
親友からの意外な言葉ランチのピークが過ぎた平日の昼下がり、恵が店に来てくれた。恵は智子の高校の同級生であり、いちばんの親友だった。高校を卒業したあとはそれぞれ別の大学に進学したので疎遠になったが、就職でふたりとも地元に戻ってきたので、かつての交流が復活した。近くの街のレストランで働いていた達也を「あんまり男らしくないから、結婚したら尻に敷けるよ(笑)」と紹介してくれたのも恵だった。達也は恵の友人の弟だった。
「平日に来るなんて珍しい。もしかして、お仕事やめちゃった?」
「そんなワケないでしょ。有給がたまってたし、こうやってたまに休んで消化してるの」
「会社員はいいなあ。私も有給欲しいよ」
「私は智子がうらやましいよ。年下の旦那と一緒にこんなすてきなレストランやれてるんだから」
恵は智子が軽口をたたける数少ない人間だった。旦那というフレーズに反応したのか、達也がキッチンから顔を出して笑顔で会釈した。恵は小さく手を振ってそれに応えた。そして、達也の顔が消えると恵は小声でこうささやいた。
「あのさ、SNSに書かれてるの見たよ」
その言葉を聞いた瞬間、胃が締めつけられるのを感じた。「口の悪い駄犬」の柴犬のアイコンが脳内でフラッシュバックした。つらそうな顔をしていたのだろう。恵は全てを感じ取ってくれたようだった。
「その顔、もう知ってるみたいだね」
「うん。ちょっと前からいろいろ書かれてて、けっこう参っちゃってるんだよね」
そう言いながら、智子はぎゅっと拳を握りしめた。そうやって力を入れていなければ、親友の前で泣き出してしまいそうだった。智子は恵にこれまでの経緯を全て話した。話しながら、まるで高校生のときにタイムスリップしたような感覚に襲われた。そういえば、つらいときはこうやって恵に話を聞いてもらっていたっけ。
「話してくれて、ありがとう」
智子の話が終わると、恵は優しそうな顔でそう言ってくれた。恵に話を聞いてもらって、智子は救われたような気がした。親友の存在をここまでありがたく感じたことはなかった。
「あのさ、私がどこで働いてるか知ってる?」
「え? いきなりどうしたの?」
恵がなにを言いたいのか分からなかった。たしか、1年ほど前に不動産会社からどこかに転職したと言っていた気がする。恵はあまり仕事の話をしないので、今どこで働いているのか分かるはずもなかった。
「今、隣町にある弁護士事務所で事務員やってるの」
●智子はどのように解決の糸口を見出すのでしょうか。後編「個人を特定され『すべてを失った』ネット上で誹謗中傷を行った男の末路」にて、詳細をお届けします。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
Finasee編集部
金融事情・現場に精通するスタッフ陣が、目に見えない「金融」を見える化し、わかりやすく伝える記事を発信します。
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