「二度と経験したくない」キャリア優先のため妊娠を先送りした40代夫婦“妊活”の試練
Finasee / 2023年11月8日 17時0分
Finasee(フィナシー)
深沢裕子(43歳)は、担当医から「非常に残念ですが、これ以上の不妊治療はお勧めできません」といわれた時、視野が真っ黒になった。36歳から始めて、まる7年におよぶ妊活が無駄に終わったという現実を突きつけられ、体温が急速に低下していくことを心臓で感じた。視界が少し明るくなっても、目の前の医師がパクパクと口を開け閉めしている様子だけが網膜に映るだけで、どんな言葉かわからず、そもそも言葉があったことさえわからなくなっていた。それは、夫の直樹(43歳)も同じだった。その部屋には3人の大人が存在するはずなのだが、その瞬間は、3人が違う空間を漂ってぐるぐると回り続けているようだった。しかし、夫婦の苦しみは、その瞬間では終わらなかった。むしろ、そのショックは、それから経験する地獄の始まりに過ぎなかった。
キャリアの未来が開けた時、妊娠を先送りしてもいいですか?裕子は、テレビ局に勤務していた25歳の時に結婚した。結婚した時は、直樹のことが好きで、一緒に暮らしていきたいからという単純な理由だった。大手建設会社に勤める直樹は、連ドラのプロデューサーになって歴史に残るような傑作を制作するという裕子の夢を応援してくれた。仕事の都合で、ロケ撮影の時など何日も帰宅できないことがあったが、スマホを使ってお互いの顔を見ながら会話した。その時も、直樹からは心から応援してくれている気持ちが伝わってきて、いつも励まされた。
裕子がちょうど30歳を迎えた年、裕子は局でドラマのヒットメーカーといわれている大物プロデューサーのチームに加えてもらった。裕子は自分の人生のキャリアが決定づけられる数年間を迎えたと感じた。それこそ寝食を忘れるくらいに働いた。チームで必要な人材として認めてもらえること、そして、なにより大物プロデューサーの仕事を間近に見て仕事ぶりを学びとることが重要だった。そのさ中に、裕子は妊娠した。かねてから子供を欲しがっていた直樹は大喜びだったが、裕子は素直に喜べなかった。今、この数年が自分にとっては大事で、こんな時に妊娠のために数カ月も現場から離れなければならないことは耐えられないと思った。そして、こんな気持ちでいる母親の下に生まれてくる子供もかわいそうだと思った。
ただ、妊娠がわかって2週間後に流産した。直樹は、裕子が身体をいたわらずに仕事を続けたことが原因だと激しく非難したが、裕子は妊娠してからは極力、むちゃな仕事の仕方をしないように気を付けたつもりだった。直樹には自分がどれほど身体に負担がかからないようにしていたかを繰り返し伝えたが、直樹は納得しなかった。一時期は、「自分のキャリアのために子供を殺した」とまで言われ、夫婦の仲がこじれた。それでも、裕子がその時に携わっていたドラマが大ヒットし、裕子の頑張りが形になっていることを知った直樹は、改めて裕子の仕事を応援すると言ってくれた。そして、夫婦で話し合った結果、裕子が35歳になるまで仕事を優先させることと、35歳以降での妊娠をより確実にするため、受精卵を冷凍保存することを決めた。
そして始まった妊活受精卵の凍結にかかった費用は約60万円だった。5個の受精した胚を冷凍保存し、1年ごとに保存料として11万円の追加負担が必要だった。裕子は受精卵の冷凍保存は、安心のための保険と考えていた。冷凍保存は必ずしも妊娠につながるものではないということだった。キャリアも大事にして、かつ、子供も授かりたいというのは欲張りな望みかもしれないと考えたが、医療技術の発達で、今は、子供を産むタイミングをコントロールできるようになった。現代に生きる者として、科学技術発展の恩恵を受けることは悪いことではないと夫婦で結論した。
夫婦にとって受精卵を凍結するまでに行ったさまざまな検査や施術は決して楽なことではなかった。また、受精卵の凍結まで2カ月以上の期間を要したのも予想外の負担だった。直樹も検査や精子の採取のために何度かクリニックを訪ねなければならなかったが、「正直、二度と経験したくない」と精神的な疲労がかなり大きかったようだった。夫婦で会話することがつらく思えるような2カ月だったが、将来の子供のためと互いに励まし合って乗り切った。そして、それだけの精神的、経済的な負担を経験したこともあったためだろう、受精卵の凍結が完了した後は二人とも仕事に打ち込んだ。裕子はその後の3年間で新しいチームを任せられるようになり、直樹は管理職研修を受けて課長職に片足を乗せることができた。
連ドラのプロデューサーを目指して順調に経験を積んでいった裕子は、35歳を超えた時にジョブローテーションの一環としてニュース番組の制作を経験することを打診された。3年間くらいの期間で、一時的にドラマの制作とは距離を置くことになるが、不慣れな職務に移ることによって責任が軽減され、仕事の成果に対する日々のプレッシャーは小さくなる。そこで、裕子はこの機会を利用して子供づくりをしようと決意した。既に30代も後半を迎え、出産が可能とされる年齢が残り少なくなっていることも意識した。直樹も喜んで同意してくれたので、その日から、さっそく妊活が始まった。
しかし。夫婦にとって、それから始まった「妊活」が、思わぬ試練になった。自分が望む人生をまっとうするため、キャリアと出産・子育ての両立を狙った夫婦が経験した地獄とは…
●40代夫婦の妊活の行方は…? 後編「積み重なる心と身体への負担… 7年間の不妊治療の末に40代夫婦が導き出した答え」にて、詳細をお届けします。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
文/風間 浩
Finasee編集部
金融事情・現場に精通するスタッフ陣が、目に見えない「金融」を見える化し、わかりやすく伝える記事を発信します。
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