「子なし」の選択が気に入らなかった義母の悪態をやめさせた“誰にでも起こりうる”事件
Finasee / 2023年12月6日 17時0分
Finasee(フィナシー)
<前編のあらすじ>
今年で50歳になる看護師長の詩織は、夫の父が亡くなったことをきっかけに、義母・和子と同居をすることになった。80歳近い和子はいわゆる「昭和の専業主婦」で、毎食一汁一菜、妻は家にいるべき、など、詩織とはもともと価値観が合わなかった。さっそく同居生活が始まった日に、手をかけて作った夕飯に文句をつけられてしまった詩織だが……。
●前編:作った料理を「こんなもの」と言い放つ義母… 看護師の妻が感じた義母世代との“ギャップ”とは
「子なし」を選択した結果、こじれた関係和子との関係がこじれた原因の1つは、詩織が妊娠できなかったことにある。
茂と詩織のどちらに問題があったのかは分からない。だが2人には子供ができなかった。詩織たちは何度も話し合いを重ね、その事実で自分たちが傷つかないよう、2人で十分に幸せだと納得させて生きることを選んだ。
だがそのことが和子は気に入らなかったらしい。詩織に対する態度はだんだんととげとげしいものになり、面と向かって嫌みや罵倒をぶつけられるようになった。
一緒に暮らすのだから、お互いに少しでもストレスなく過ごせればと思った。これまでの生活を大きく変えることはできなくても、歩み寄ることはしようと思った。けれど関係は良くなるどころか、詩織にかかるストレスは増えるばかりだ。
夜勤が終わって家に帰れば、すでに和子は起きてリビングでお茶を飲んでいる。
「おはようございます、お義母(かあ)さん」
「朝帰りかい。いい御身分だね」
「夜勤です」
目を合わせることすらしない。シャワーを浴びようかとも思っていたが、帰宅早々に和子の顔を見たせいで疲労感は何倍にも増している。
「私、一度このまま寝るので、茂さんのことお願いしますね。トーストくらいはあの人も焼けるので」
「はっ、旦那はほったらかして居眠りとは、随分とえらくなったもんだね」
和子は吐き捨てた。じゃあ妻をほったらかして寝ている旦那はどうなんだと言いたくもなったが、詩織はそれ以上取り合わなかった。化粧だけ落とし、寝室に向かう。夜勤などで生活時間帯がずれる夫婦の寝室はもう何年も前から別々にしてある。
詩織はベッドに倒れ込む。すぐに睡魔がやってきて、詩織の意識をまどろみのなかへと引きずり込んでいく。
突然倒れた夫夕食を終えると、和子はいつものようにテレビを見始める。茂は詩織が片づけたテーブルで夕刊を読んでいる。最近めっきり視力が落ちたらしく、老眼鏡が手放せないと嘆いていた。
自由時間を過ごす2人を横目に見ながら、詩織は食器を洗っている。似たもの親子なのか。2人は本当に何もしない。和子にいたっては詩織の家事にいちいち口を出してくるものだから余計に性質が悪かった。一体いつまでお客さま気分で過ごすつもりなのだろうか。
悩みは尽きない。おかげで最近よく眠れないし、なんだか頭もぼんやりとしている気がする。職場の後輩には「詩織さん、めっちゃ疲れてますね」と心配された。ここ数日、それとなく化粧を濃くしているのは目の下のクマを隠すためでもあった。
「ねえ、茂さん。お風呂の掃除してきてくれない?」
「あ、うん。分かった」
「詩織さん、茂にお手伝いみたいなまねさせるつもりかい? 茂は疲れて帰ってきてるんだよ。家くらいしっかり休ませてやんないと」
詩織は思わず舌打ちをしそうになる。こっちだって仕事から帰ってきて、座る間もなく食事を作り、片づけをしている。茂がのんびり新聞を読んでいていい理由はない。
「まあ、母さん。働いてるのは詩織だって一緒だから」
「誰も頼んじゃいないんだよ。好きで働いてるんだから、家のことは責任もってやってもらわないとダメさ」
少しくらい言い返してくれたっていいのに、こうなると茂はだんまりを決め込み、私が折れるか話題が変わるのを待つばかりだ。情けない。2人で幸せにと決めたことが、ばからしくすら思えてしまう。
「分かった。もういいから。茂さんは座ってな」
茂は安心したように息を吐き、再び新聞に視線を落とす。詩織はバスルームへ向かう。
磨いた浴槽を流していると、リビングのほうで物音がした。構っている暇はないと意識から締め出し、シャワーの勢いを強める。
「詩織さーん、詩織さーん」
和子が声を張り上げ呼んでいる。
「もうなんなの!」
詩織はシャワーを止めてリビングに戻る。
茂がテーブルの横でうつぶせになって倒れている。血の気が引いた。
「詩織さん、あんた何度呼んだって全然来やしないじゃないか。しげ――」
「うるさい! だったら呼びに来い!」
詩織は茂をあおむけにし、呼吸を確認する。息をしていない。ぼうぜんとしている和子を詩織はにらみ付けた。
「119番に通報して! それと玄関の棚、救急箱の隣にAEDがあるから持ってきて!」
「え、えーいー ……何だって?」
「AED! オレンジ色のバッグ! 急いで、息子が死ぬよ!」
詩織は和子に指示を出しながらも、意識のない茂の気道を確保し、人工呼吸と心臓マッサージを始めていく。
「詩織さん、これのことかい?」
玄関のほうから和子の声が聞こえてくる。普段の態度が横柄なだけに、役に立たないことがどうしようもなくいら立つ。
「これだと思うもの全部持ってきて!」
詩織はキッチンに置きっぱなしにしていたスマートフォンを取り、自分で119番に通報する。もちろんそのあいだも、詩織の両腕は茂の胸を小刻みに圧迫し続ける。
詩織が看護師であることもあって、もしものときにと家庭用のAEDを用意してたのが功を奏した。和子がのそのそと見つけ出してきたAEDを開き、ハサミで服を切ってあらわになった茂の胸へと電極のつながれたシートを貼り付ける。スイッチを押すと茂の身体がびくんと動く。和子は隣でただ悲鳴を上げている。
二馬力の強み詩織による適切な救命措置とAEDが相まって、茂は一命を取り留めた。左腕にややまひが残ってしまい、リハビリが必要にはなるが、日常生活を送る分にはひとまず問題ないと担当医が教えてくれた。
療養とリハビリのために茂はしばらくの間休職することになった。50代半ばでの休職が残りのキャリアにどんな影響を与えるかは分からない。けれど茂の仕事がどうなろうと大丈夫だ。もちろん持ち家のローンはまだ若干残っているけれど、ひとまずは詩織の稼ぎがあれば、3人で暮らしていくことには困らない。
それにあの夜以来、和子はおとなしくなった。おそらく彼女なりに、詩織の看護師としての仕事の意味を感じ取ったのだろう。腹立たしい小言がなくなったことでまたぐっすり眠れるようになったし、今は和子も料理や掃除などをやってくれている。
「お義母(かあ)さん、今日は私、夜勤なので。14時くらいまでちょっと眠りますね。茂さんのお見舞い、お願いしてもいいですか?」
うなずく和子を確認して、詩織は寝室へと向かう。扉を開けたところで和子が詩織を呼び止めた。
「あの、ありがとうね。……茂のことも、この家のことも。詩織さんが看護師で、その、助けられました」
「いえ、当然です。家族なので」
詩織は和子に向かって言って、寝室へと下がった。
ベッドに横になる。昨日干したばかりの布団はまだ少し、太陽のにおいがして心地が良い。眠れる気がしなかった。夜勤だというのに困った。最近は年のせいか、昼間ちゃんと寝ておかないと途中で眠くなってしまうのに。
頭で思っていることとは裏腹に、詩織の胸はどうしようもなく高鳴っていた。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
Finasee編集部
「インベストメント・チェーンの高度化を促し、Financial Well-Beingの実現に貢献」をミッションに掲げるwebメディア。40~50代の資産形成層を主なターゲットとし、投資信託などの金融商品から、NISAやiDeCo、企業型DCといった制度、さらには金融業界の深掘り記事まで、多様化し、深化する資産形成・管理ニーズに合わせた記事を制作・編集している。
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