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女優からコールセンターの派遣社員に… 40歳目前、社会人経験なしの女性の苦悩

Finasee / 2023年12月20日 17時0分

女優からコールセンターの派遣社員に… 40歳目前、社会人経験なしの女性の苦悩

Finasee(フィナシー)

賞味期限を過ぎた夢は呪いに変わる。ゆっくりと心をむしばみ、身体をさいなみ、生活と未来をほころばせる呪いになる。

年が明ければすぐに40歳になる佐々木翔子は、冷蔵庫に入れたまま半年前に期限の切れているプリンを見つけて、そんなことを考えた。

翔子は今から21年前、女優になることを夢見て東北の田舎から東京へとやってきた。アルバイトで生計を立てながら、劇団〈サボテン〉に入った。初めて役をもらったのは22歳のときで、せりふは「やってらんねえ!」の一言だった。26歳のときに初めて主演を務め、29歳のときには脚本と演出も担当した。30代に入ってからは新しく入ってきた若い子たちに席を譲りながら、屋台骨として劇団を支えてきたつもりだ。

けれどその日々も昨日で終わった。劇団〈サボテン〉は解散公演を終え、短くない歴史に幕を閉じた。

翔子はずっと演技だけをやってきた。女優になることが小さいころからの夢だった。しかし年を取り、思い描いた将来なんてものはいつの間にかなくなっていた。

残ったのはこれまでやってきた公演の刷りすぎたビラと、かなわなかった夢が心にあけていったむなしさだけ。

とはいえ翔子には感傷に浸っている余裕なんてないのもまた現実だった。劇団が解散し、夢が散っても翔子は生きている。生きている限り、生活は続く。

翔子はキッチンシンクの蛇口をひねり、勢いをつけて顔を洗う。冬の朝の冷水で、鬱屈(うっくつ)とした気分を強引に振り払う。

女優からコールセンターの派遣社員に

長年コンビニのアルバイトを継続していたとはいえ、あるいは正社員でないとはいえ、すんなりと就職が決まったことは幸運だった。

コールセンターの派遣社員。演劇のようにきらびやかなスポットライトが当たることはないかもしれないが、そこが翔子の新しい舞台だ。

朝礼と発声練習を終え、スーパーバイザーの国見から研修を受ける。20代後半くらいの国見はきびきびと動きはきはきと喋(しゃべ)るのが特徴的で、まるでコールセンターをそのまま人のかたちにしたような印象の女性だった。

「演劇をやっていた分、声はいいね。声量も十分、滑舌もよく聞き取りやすい。でも語気が強すぎるから。お客さまに威圧感を与えて怖がらせることになるよ」

「……すいません」

随分ととげのある言い方だなと、翔子は思った。新人とはいえ一回り年下の国見にタメ口で話されることもなんだか釈然としなかった。こういうものなのだろうか。自分に社会人経験がないから、どうでもいいことでいちいちつまずいてしまうのだろうか。ずっと夢を追いかけてきた自分の人生は、やっぱり間違いだったのだろうか。翔子の頭のなかは誰に向けるでもない後ろめたさに満たされた。

「少し言い方きついかもしれないけど、全部佐々木さんのためを思ってのことだから。理解してもらえるよね?」

休憩時間、翔子は同僚たちからランチに誘われてオフィス近くのカフェに来ていた。

前職は何をやっていたのかと当たり障りのない質問が飛んできて、翔子は劇団とコンビニ店員のどちらで答えるべきなのかと迷った末に「劇団で、演技を少し」と答えた。答えた瞬間、場がわっと沸き立った。

「え、佐々木さんって女優なの⁉ すごい!」

「ドラマとか? どんなのに出てたの?」

同僚たちは翔子を置き去りにして盛り上がる。ドラマではなくて舞台で、それも小さな劇団で――言おうと思った言葉が入り込む隙間はなかった。

「やっぱりなぁ、佐々木さんってなんか雰囲気が浮世離れしてるっていうか、表現者? みたいなそういう感じすると思ったんだよねぇ」

「分かるかも。ちょっと私たちとは違う感じだよね」

「じゃあ独身なの? 彼氏とかは?」

「いや、演劇しかやってこなかったので……」

「ほらぁ、やっぱり!」

「その年まで夢を追いかけられるなんてちょっと尊敬なんだけど」

「何で辞めちゃったの?」

「やっぱ結婚とか出産とか考えるもんね」

翔子は答えられずに黙りこくる。

「うちもさぁ、彼が全然踏ん切りつかなくてさ、それとなく話題には出すんだけど、はぐらかされるんだよね」

「あるよねぇ。私のとこは、子供が先だったからすんなりだったけど」

話題はいつの間にか移り変わり、中心点にいた翔子はいつの間にか蚊帳の外へとはじき出されている。

消費されている、と思った。

翔子は見せ物だった。一心不乱に夢を追いかけて破れた結果は、まっとうに働き、まっとうに生きている人たちに物珍しさで楽しまれ、飽きたら素通りされるようになる。

この場所に翔子の居場所はなかった。机の下で操作するスマホで、まだ残っている〈サボテン〉のグループLINEを確認する。

懐かしい仲間たちとの日々

「——やってらんねえ! っつうの」

とん、と半分くらい一気に飲んだ生ジョッキをカウンターの上にたたきつける。翔子さん荒ぶってんなぁと、主に演出担当だった鏑木が言う。

「まあでもやってらんねえですよね。俺なんか、今日の面接で50社目ですよ。もうネクタイとか2秒で結べるようになりましたもん」

「お前はまだ若いからいいよ。俺なんて警備員。立ってるだけ。ああ、思い出すねぇ。15周年のときの『白雪姫と3匹の子豚』んとき、俺の役、木だったんだよ」

緩めたネクタイをほどく鏑木に、翔子と同じ役者志望だった大輔さんがぼやきながら枝豆をかじる。

〈サボテン〉団員たちは呼べばすぐに集まった。テーブル席で騒いでいる元座長の山口たちを横目に見ながら、翔子たち3人はカウンターでえいひれをかじっている。

 

「あの公演はひどかったですよね。私なんて、馬ですよ? オオカミに襲われて死ぬだけって」

「木よりはましだろう! 迫真の演技してたじゃねえか」

「あの一瞬のために、私がどんだけ草食動物の捕食される映像見たと思ってんですか!」

「ねえちょっと、まだ俺がいないときの話で盛り上がるのやめてくれます?」

鏑木がすかさず翔子たちに横やりを入れる。

お互いに所属年数は違ったが、青春よりも濃い時間を過ごした仲だ。会話のリズムも間の取り方も感性も、翔子にはすべてが心地よく感じられる。

「いやぁ、楽しかったなぁ」

大輔さんがぼそりとこぼし、ハッとしたように目を見開き、吐き出した言葉を濁すようにビールを流し込んでいた。

「楽しかったですねぇ」

いけないと分かっていながら翔子もそれに続いていた。

もう〈サボテン〉はなくなった。翔子たちを受け止めてくれる場所は消え去った。それだけが変わりようのない事実だ。

「またやりたいっすね、演劇」

「そうだねぇ」

翔子の肯定に後が続かなくなったのは、それがもうかなわないことだと全員が知っていたからだろう。

翔子だってこの集まりが現実逃避にすぎないことは分かっていたけれど、それでも今はまだ夢の名残が必要だった。

●翔子は現実を受けとめて生きていく事ができるのだろうか。 後編【職場のイジメと敗れた夢… 絶望したアラフォー女性を救った「小さな声」の正体にて、詳細をお届けします。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

Finasee編集部

金融事情・現場に精通するスタッフ陣が、目に見えない「金融」を見える化し、わかりやすく伝える記事を発信します。

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