職場のイジメと敗れた夢… 絶望したアラフォー女性を救った「小さな声」の正体
Finasee / 2023年12月20日 17時0分
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Finasee(フィナシー)
<前編のあらすじ>
翔子(39歳)は約20年間、劇団女優として演劇の道に人生を捧げてきた。しかしその劇団が解散してしまったことにより、コールセンターで派遣社員として働くことになった。今までコンビニでのアルバイト経験しかなかった翔子は、初めてのオフィスワークに戸惑うが……。
●前編:女優からコールセンターの派遣社員に… 40歳目前、社会人経験なしの女性の苦悩
40手前で社会人経験なしってヤバいでしょ「大きな声で話せばいいってわけじゃないの、分からないかな?」
座ったままの国見が翔子を見上げていた。翔子は立っているはずなのに、ひどく見下ろされているような気分になった。
「すいません」
「いや、謝ればいいってわけでもないの。行動で示して。佐々木さんならできるでしょ?」
「はい!」
「頼むよ? いつも返事だけはいいんだから」
国見が吐いたため息は空気に溶けることなく、のどに刺さった魚の小骨のように翔子の心に残り続けている。
年が明け、働き始めて二カ月がたっていた。仕事には慣れつつあると自分では思っていたが、国見は頻繁に翔子を呼び出して繰り返し指導した。その指導は適切なのだろうかと思うこともあった。けれど「期待しているから」「あなたのためなの」と言われると、それ以上何も言えなくなってしまった。
最近では電話を取ることに怖さすら感じる。話しているあいだも、国見に見張られているのではないかという考えが頭をよぎり、喉の奥のほうでマニュアル通りに覚えたはずの言葉ですらばらばらになっていくような気がしていた。
気持ちを切り替えようと化粧室に向かう。個室に入り深呼吸をしていると、先客の女子社員たちが談笑しながら入ってくるのが聞こえた。翔子は慌てて息を殺した。
「聞いてよ。佐々木さん、また呼び出されてたんだけど」
「完全に目つけられてるよね、かわいそ」
話している内容とは裏腹に、彼女たちの声は楽しげに上ずっている。
「やっぱ40手前で社会人経験なしってヤバいでしょ」
「やめなよ、”女優”にもきっといろいろあるんだよ」
「ねえ、あとどれくらいもつかな?」
「前の人は三カ月だったよねぇ。同じに一票!」
「えー私、そんなにもたないと思うなぁ」
出ようにも出られなかった。翔子はふたを閉めた便座に座ったまま、動くことができなかった。視界がにじんでぼやけていった。翔子は上を見上げる。
女子社員たちがいなくなったことを確認して、翔子は個室の外に出る。もう彼女たちはいないのに、こぼしていった悪意と嘲笑はまだトイレに残っている気がした。
みんな「居場所」を見つけて去っていく――悪い 俺、実家に帰ることになったんだ
いつものように飲みましょうと誘った大輔さんからそう返信があったのは、それからすぐのことだった。
——あんなに地元嫌ってたのに、何かあったんですか?
——おやじが倒れたらしくてさ 介護もおふくろ1人じゃ難しいし、ヘルパーに頼むのもなんかな だから今ちょっとばたついてて、落ち着いたら連絡するわ
——そうですか…… 寂しくなりますね
無事に就職して大阪配属が決まった鏑木。独立した妻の事業を妻の地元の静岡で手伝うことにした座長の山口。いつの間にかまだ東京に残っている団員のほうが少なくなっていた。
みんな、そうやって新しい生活を始めていた。次の居場所をつくり、徐々に回り始めていく毎日によって〈サボテン〉から少しずつ遠ざかっていく。あの充実した日々は過去になり、やがて色あせて見えなくなってしまう。
取り残されていくような気がした。翔子にはまだ、〈サボテン〉が必要だった。夢の名残にすがっていたかった。大きな拍手のなか最後の幕を下ろしたあの日から、翔子の気持ちは一歩だって進めていないのだ。
その日も結局誰1人としてつかまらず、家の近所の居酒屋で一人酒をあおった。しゃべる相手がいない分、その空白をアルコールで埋めていった。疲れているせいかあっという間に酔いが回り、いつの間にか眠っていたところを店主に閉店だと起こされた。
「あんた、ちょっと飲みすぎだよ。大丈夫かい?」
返事もお礼もろくにできないまま、翔子は店を後にした。
どの道をどうやって歩いて帰ってきたのかは覚えていない。気がつくと翔子は家の玄関にいて、冷たいフローリングの上に横になっていた。パンプスが片方、どこを探しても見当たらない。どうやらはだしで歩いてきたらしく、ストッキングは破れ、足の裏の皮がめくれて血がにじんでいた。
足が鈍い痛みを訴えていた。だがそれ以上に胸が苦しくて、玄関でうずくまった翔子はうめくように泣き続けた。
絶望の底から救い出してくれたもの39歳、社会人経験なし、恋愛経験もあまりなし――そんな自分にみんなのような未来はないんじゃないだろうか。
翔子は仕事帰り、いつものように一人酒をあおり、酩酊(めいてい)しながら夜の街を歩く。今となっては酔っぱらっている時間だけが救いだった。目の前に立ちはだかり、足をつかんで引き倒そうとしてくる現実を忘れることができた。
どこまでも沈んでいけそうだった。このまま息が止まるまで沈んでいってしまえばいいと思った。
ふと、私なんてもうこの世界に必要ないのかもしれないと思った。
別に生きていたって、誰の役に立つわけでもない。〈サボテン〉がなくなった以上、生きてやりたいこともない。
翔子は横目に見ていた線路に吸い寄せられていく。買い直したばかりのパンプスを脱ぎ捨ててフェンスをよじ登る。冷たいフェンスが手のひらや足の裏に食いこんだ。
みゃあお。
か細く震えているような声がした。気を取られた一瞬で足が滑り、翔子はフェンスから転げ落ちた。
みゃあお。
立ち上がり、翔子は聞こえた声の方向に目を凝らす。取り出したスマホのライトをつけてあたりを照らす。目に入った画面にはいつの間にか変わっていた日付が1月27日と表示されていた。
ゴミ捨場の横にある電柱の根元に小さなダンボールが置いてあった。みゃぁ。どうやら声はそのダンボールから聞こえているらしかった。
翔子はそのダンボール箱に歩み寄る。緩く閉じられた箱を開くと、なかに敷かれたタオルの上に小さな黒猫が1匹、こちらを見上げている。
![](https://finasee.ismcdn.jp/mwimgs/4/5/800m/img_45b9d7b1828718e6a66f4834a8827da5385087.jpg)
みゃあお。
小さく鳴いた黒猫を、翔子は抱き上げる。黒猫はされるがまま、短い脚を宙に投げ出して琥珀(こはく)色の目で翔子を見つめる。
「お前も捨てられちゃったのか」
みゃぁ。
黒猫の澄んだ声が夜に響いた。翔子は黒猫を優しく抱きしめた。小さな体温が翔子の凍え切った身体と心をほぐしていった。
まだ輝かしかったあの日々は色あせてはくれない。けれど翔子は40歳になった。
抱きしめた小さな黒猫からは、少しだけ優しくて温かな未来の匂いがする。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
Finasee編集部
「インベストメント・チェーンの高度化を促し、Financial Well-Beingの実現に貢献」をミッションに掲げるwebメディア。40~50代の資産形成層を主なターゲットとし、投資信託などの金融商品から、NISAやiDeCo、企業型DCといった制度、さらには金融業界の深掘り記事まで、多様化し、深化する資産形成・管理ニーズに合わせた記事を制作・編集している。
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