「親の介護でつぶされちゃった人」にならないために… “恍惚の父”を介護する息子の決心
Finasee / 2023年12月25日 18時0分
Finasee(フィナシー)
<前編のあらすじ>
康太(41歳)は取引先相手との不倫がバレた事がきっかけで妻に離婚されてしまい、仕事もうまくいかず、心機一転実家へ戻ってきた。母は幼いころに亡くなっているので、父・重治(68歳)との2人暮らしだったが、交通事故を起こして足が不自由になった重治は認知症を発症していた。
●前編:自損事故がきっかけで認知症を発症… 父と息子の“限界田舎”の介護生活
頼れる人はいない「いやだいやだいやだ!」
脱衣所で父が暴れだす。康太は舌打ちをしてため息を吐いた。
あれから半年、父の認知症は加速度的に進行していった。今ではもう一人息子である康太の顔すら分からない。30年以上前に死んだ母を探して家を飛び出していくことだって一度や二度ではなかった。
以前、隣町の公園で保護されたとき、警官に誰か頼れる人はいないのかと聞かれた。そのときは言葉を濁したが、頼れる人はいなかった。
高校までずっと独りだった。ガリ勉と陰口をたたかれ、上履きを隠されるなどの姑息(こそく)ないじめを受けたこともある。康太はこの寂れた田舎町が嫌いだった。群れることで自分が偉くなったと勘違いするやつらが多いことも、どんなささいなこともすぐにうわさ話として広まることも、コンビニが遠いことも、はやりの洋服や音楽を楽しもうと思ったら1時間かけて電車に乗らなければいけないことも、この田舎町の全てが嫌いだった。
何とかしてこの町を出たいという思いと、自分をバカにしたやつらを見返したい一心で東京の有名大学の合格をもぎ取った。以来、数年に1回年末年始に帰ってくるくらいの関わりしかもっていなかったこの町に、康太が頼れるような人間は1人も存在しなかった。
困ったのは、町にはケアセンターすら存在しなかったことだ。もちろん実家の酒屋の利益は安定しているとはいえ食うには困らない程度でしかなく、近くにケアセンターがあったところで康太に利用するだけの余裕があるかわかならない。
暴れた父の手が洗面台に置いてあった歯ブラシやコップをはじき飛ばす。
「だったら勝手にやれよ!」
康太はいら立ちのまま父を怒鳴りつけ脱衣所を後にする。リビングで机に突っ伏して耳をふさぐ。嫌だ嫌だと、就学前の子供みたいに駄々をこね、かんしゃくを起こしている父の声は耳をふさいだくらいでは遠のいてくれなかった。
親の介護でつぶされちゃった人父は1日のほとんどをベッドで過ごすようになった。トイレなどの用事があるときはスマホで呼ぶよう言いつけてあるが、その言いつけすら忘れてしまうので父にはおむつをはかせている。
康太は、息子のことを分からなくなってしまった父との距離感が分からなかった。どれだけ懸命に世話をしても、父の目に息子の康太は映らない。そのことがつらかった。
店頭で相変わらず暇をしていると、隣町のスナックのママが訪ねてくる。父の時からの得意先であるこの店のママは相当な酒好きらしく、自分の店に置く酒は自分で見たいと、本来ならば電話1本で済むはずの注文のためにたびたび店に顔を出してくれていた。
「康太ちゃん、こんにちは」
「あ、どうも。いつもありがとうございます」
もともとの不眠と介護の疲れで半分眠りかけていた頭を無理やり起こし、康太は接客を始める。もちろん接客と言っても半分以上が世間話の気楽なおしゃべりだ。
「康太ちゃん、だいぶ疲れてるわね。大丈夫? 重治さん、そんなに良くないの?」
「良くないっていうか、まあ、ボケちゃってるんで。夜中に叫びだしたりするんですよ」
普段なら家の事情を話したりはしなかった。肉体的にも精神的にも、それだけ参っているということなのかもしれないと、康太は言ってからふと思った。
「そう……親の介護でつぶされちゃった人、お店の子でも見てきたから、康太ちゃんも気を付けて。愚痴くらいはいくらでも聞くからさ。康太ちゃんは大事なお付き合い先だから、サービスしてあげる」
「そいつは嬉しいっすね」
久しぶりにまともに会話できる相手と話したこともあり、ママがかけてくれる優しい気遣いが本当にうれしかった。
ママはいくつか酒を発注して帰っていった。
今日はきっともう客は来ないだろう。康太は夕方になったら少し早く店を閉めてママの店へ息抜きでもしに行こうと決めた。
父の涙思えば、誰かと一緒に笑いながら酒を飲んだのは久しぶりだった。父は酒屋のくせに下戸だし、元妻とはそういう雰囲気にならなかった。
酒に酔って失敗したところから何もかもがおかしくなってしまったような気がしていたが、皮肉なことに康太の窮状を和らげてくれるのもまた酒だった。
車で向かったものの酒を飲んだので運転できず、歩く羽目になったが悪くない気分だ。ママや他の客は大丈夫だと言っていたし、実際に赤い顔で運転していってしまう客も大勢いるようだったが、出来心が身を滅ぼすと学んだ康太はちゃんと歩いて帰っている。
夜道の散歩を楽しんで家に帰ると、時刻は2時を回っていた。物音は聞こえないから父はもう眠っているのだろう。
そう思って鍵を開けたのと、異変を感じたのは同時だった。いや、正確には異臭と言うべきか。思わず顔を覆いたくなるような異臭が廊下の奥から立ち込めていた。
康太は靴を脱ぎ捨てて廊下を走った。リビングの扉を開けると異臭はさらに強まった。康太の全身に鳥肌が立つ。
リビングの真ん中に視線をやると父の背中が見えた。康太に気づいたらしい父は振り返る。
顔も髪も、来ているシャツもすべてまだらに茶色かった。
父もリビングも汚物まみれになっていた。それが異臭の正体だった。
「おう、康太おかえり……」
父は涙を流していた。自分がどんな状態か、今は明瞭な思考で把握できているのだろう。
「いいんだよ。おやじ」
康太は自分が汚れることもいとわずに父を抱きしめる。
痩せた父の身体は頼りない。それを支えることができるのは自分しかいないのだ。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
梅田 衛基/ライター/編集者
株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。
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