「脱サラ失敗」で生活困窮した男を前向きに変えた“屈辱的な出来事”
Finasee / 2023年12月29日 11時0分
Finasee(フィナシー)
<前編のあらすじ>
ミステリー作家になるのが夢だった間宮は、40歳になってやっと出版社の新人賞を受賞する。編集担当の「小説家は不安定な仕事だし、会社は辞めない方がいいですよ」という忠告を無視して会社を辞めてしまう間宮だが……。
●前編:「会社は辞めない方がいいですよ」忠告を無視し40歳で脱サラした男が見た“厳しい現実”
立ちはだかる現実現実は甘くはなかった。編集者の峰の言う通り、小説家というのは本当に不安定な仕事だということを間宮は痛感した。「想伝ミステリー新人賞受賞!」の箔(はく)がついたデビュー作の売れ行きはそこそこ良かったものの、約半年後に出版された受賞第一作の売れ行きは悲惨だった。重版どころか、初版もかなり売れ残る始末だった。
間宮は焦った。新人賞の賞金や受賞作の印税の大半はすでに生活費に消えていた。母親のために実家の断熱リフォームをしたのも痛手だった。あのリフォームで100万円以上消えた。貯金はもう50万円も残っていない。受賞第一作の印税にも期待することはできない。峰の言う通り、あの会社で働き続けていれば、少なくともお金に困ることはなかったのに……。
やはり、目算が甘かった。有名な小説家であっても、大学で教鞭(きょうべん)をとっていたり、カルチャースクールで小説講座を受け持ったりと副業をしている場合が多い。小説家というのは、それほど不安定な仕事なのだ。それは分かっていたはずなのに、受賞の喜びとあの会社で働くことのストレスが間宮の目を曇らせてしまった。
背に腹は代えられず、間宮は近所のコンビニでアルバイトをすることにした。母親にお金を借りようかとも考えたが、そんなことはできなかった。せっかく受賞を喜んでもらえたのに、また心配をかけてしまう。店長は間宮よりもかなり若い男だったが、幸いなことに丁寧に仕事を教えてくれた。「最近はアルバイトさんが足りないので助かります」とのことだった。
しかし、コンビニの仕事はなかなか難しい。レジを打つだけではなく、商品を補充したり、総菜の調理なども並行して行わなければいけない。それでいて時給は安い。いくら店長が親切だとはいえ、こんな仕事をするぐらいなら、あの会社で働き続けた方がはるかにマシだった。後悔の念にさいなまれながら、間宮は週に4回程コンビニで働いた。もちろん、家に帰れば3作目の執筆を進めていた。
いい年してレジ打ちとか終わってるなコンビニでのアルバイトを始めて3カ月程たった日のことだった。間宮は珍しく夜のシフトを担当した。夜勤は生活リズムがおかしくなるので避けていたのだが、夜のシフトを担当している学生アルバイトが風邪をひいてしまったため、店長に懇願されて1日だけやることになった。繁華街にある店ではないので、夜になると客足も減り、店内に客が誰もいない時間が少なくない。
『夜勤はお客さんも少ないし、意外と悪くないかもな』
そんなことを考えていると、スーツを着た男性客が入ってきた。酔っぱらっているのか、足元がフラフラしている。男性客はミネラルウオーターを手に取ると、レジに向かってきた。その時、間宮はその客がかつて同僚だった鈴木であることに気が付いた。人付き合いの良い男だから、取引先と飲んだりした帰りなのだろう。
鈴木はドン! とたたきつけるようにミネラルウオーターをカウンターに置いた。酔っぱらっているせいか、目の前にいるのが間宮だとは気付いていないようだった。店内で吐かれたら面倒くさいし、すぐに出て行ってもらおう。
「お会計、110円です」
酔っている鈴木に価格を伝えると、なぜか舌打ちをされ、100円玉と10円玉を放り投げられた。赤い顔をした鈴木はにやにや笑っている。
「おっさん、いい年してレジ打ちとか終わってるな」
そう言い捨てると、鈴木はフラフラとした足取りのままレシートも受け取らずに店の外に出て行った。
間宮は自分がぎゅっと拳を握りしめていることに気が付いた。こんな屈辱的な思いをしたのは久しぶりだった。まさか、小説家デビューの夢がかなった後にこんな思いをするなんて想像もしていなかった。鈴木は、レジ打ちをしているのが間宮だとは気付いていないようだった。ただ単に「いい年をしたおっさん」がレジ打ちをしているのがおかしくて、あんな暴言を吐いたのだ。会社では愛想の良い男だったが、これが本性なのだろう。間宮は屈辱を感じると同時に、人が心の中に隠している悪意にたいして恐怖を感じた。
小説家としての生き方「へえ、そんな体験をされたんですね」
想伝出版の小さな会議室で執筆中の3作目について編集者の峰と打ち合わせをしている時、話の流れで先日の話をすることになった。恥ずかしさもあったが、誰かに聞いてほしい気持ちが勝った。
「はい。なんというか、人間の持つ多面性というか、そんなものを垣間見てしまったような気がしてゾッとしましたよ。でも、考え方を変えれば面白い体験ができたと思います。腹は立ちましたけど、いつか小説のネタにしてやりますよ」
間宮がそう言うと、峰はちょっと驚いたような顔をした。そして、じっと間宮の顔を見つめた。もしかして、なにか変なことを言ってしまったか?
「峰さん、どうしました?」
峰は間宮の質問には答えず、じっと顔を見つめ続けている。そして、テーブルの上に置いてあるコップの水をぐいっと飲み干すと、間宮にこう言った。
「間宮さん、考え方が小説家らしくなってきましたね!」
峰によると、嫌な思いをしても「これはネタになる」と考えるタイプの人が小説家には多いらしい。間宮はこれまでそんなことを考えたことがなかった。創作の邪魔にならないように、嫌なことはすぐに忘れようとしてきた。
「間宮さんが仕事を辞めたと聞いたときは『やっちゃったな』と頭を抱えましたけど、もしかしたら良かったのかも知れませんね」
峰は楽しそうに笑っている。間宮もつられて笑ってしまった。そうだ、自分はもう小説家なのだ。どんな思いをしても、それを小説の肥やしにしてしまおう。そうすれば、嫌な記憶も貴重な財産になる。これからも嫌なことはあるだろうが、全て小説に放り込んでしまえばいいんだ。執筆を進めている3作目に「小説が売れなくてバイトをする中年男」でも登場させようかな。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
大嶋 恵那/ライター
2014年立命館大学大学院経営管理研究科修了。大手人材会社などで法人営業に従事したのち、株式会社STSデジタルでライター業に従事。現在は求人系、医療系、アウトドア系、ライフスタイル系の記事を中心に執筆活動を続けている
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