ライバル店に敗北の末、脱サラ失敗… 抱えた借金と妻が気づかせてくれた“教訓”
Finasee / 2024年1月16日 18時0分
Finasee(フィナシー)
<前編のあらすじ>
田中勇司(48歳は)は、会社の早期退職者支援制度で得た退職金を利用し、妻の皐月(44歳)とともに念願だったそば屋を開業した。競合店が無かったこともあり、開店から1年たっても店は順調だった。そんな折、駅前に大型商業施設が建設されるとの情報が入り、近隣の商業団体と一緒に反対運動を行うが、結局大型商業施設の建設は決定となってしまった。
●前編:退職支援金で「脱サラ起業」した男を待っていた落とし穴… 会社を辞める前に見直したいリスクとは
地元の商店街は開店休業状態にそれから2年後、商店街は散々な状況だった。
建設決定から1年後に、大型商業施設が開業。そしてあっという間に商店街に来ていたお客はそちらのほうに流れていった。
今までのつながりや交流なんてまるで、何もなかったかのように。
そして商店街に人が来なければ、店も閑古鳥が鳴いている。
毎日のようにそばを打つが、誰も食べないので、廃棄する日々が続く。
最盛期には朝早くに店に来て、仕込みをやっていた。しかし今はそれをする必要がない。
お客の数は多い日で5〜6人。誰も来ない日だって珍しくない。
そして1番の問題はそれらを改善する手だてがないということだった。
ホームページを作り、新メニュー開発を宣伝したり、YouTubeで動画を配信してみたりといろいろやった。
しかし何をやっても見てくれる人がいなければ、意味がないのだ。
「オモチャ屋の吉住さんがね、もう店を畳むって言ってる。これでもう今月だけで3軒目だよ」
長田さんはそば屋に来てはそんな風に愚痴をこぼすようになった。
長田さんが代々続く理容室を営んでいたが、そこにもお客さんは来ていない。
大型商業施設の中に格安でカットをするチェーン店が入ったからだ。
素早く安く切ってくれる店が目と鼻の先にあるのだから、仕方ない。
そんな長田さんの店の利用客は勇司も含めほぼほぼ商店街の人間しかいないのだ。
今日のように勇司たち自身が商店街の店を利用することで、少しでも売り上げに貢献しようとしている。
そんな策とも呼べないような苦肉の策を講じないといけないのがこの商店街の現状なのだ。
市から届いた返済通知その日も勇司は大して疲れもなく、家に帰る。
真っ暗な家、リビングの電気をつけると、そこには背中を丸めてテーブルに座る皐月の姿があった。
「ど、どうしたんだよ? 」
「……あなた、これは何? 」
テーブルには封筒が置かれている。勇司はそれを確認して、がくぜんとした。
それは市役所から送られてきた返済の通知書だ。
実は開業をする際に、皐月に黙って借金をしていた。もちろん借金といっても市が募集していた商業向けの融資制度で、金利も安い。
(そうか、もうあれから3年たったのか……)
市の商業向け融資制度は、希望すれば返済を3年間待ってくれる。つまりこの通知書が届いているということは、開業から3年もの月日がたったことを意味している。
「ねえ、どういうこと!? ちゃんと説明してよ! 」
皐月は鋭い視線と声を勇司へ向けた。
返済額は毎月15万円。わが家からしてみれば致命傷となる額だ。
そこで勇司は全てを正直に打ち明けた。
話を聞いた妻は静かに涙を流す。
「借金をしたことじゃない。私はそれを隠されていたことが悲しいの……」
そう言った皐月に勇司はただ謝ることしかできなかった。
ライバル店の「十割そば」の味それから勇司たち夫婦の仲は急速に冷めていった。
皐月が店で働くことはなくなり、家でも会話はない。
さらに客足はどんどん遠のいていく。商店街の店がどんどん閉店し、商店街としての機能すら果たせなくなったので当然のことだった。
そんな中、勇司はある決意をして、初めて大型商業施設を訪れることにした。
平日だというのに、施設の中はたくさんのお客であふれかえっていた。
開業当初よりも落ち着いたとはいえ、この栄えっぷりだ。
地域の商店街では勝てるわけがないよな。
勇司は客の顔を冷めた目で見ながら、一軒の店を訪れる。
そこは有名チェーンのそば屋だった。この地域では初の出店で、それなりに話題にもなっていた。
この店に客のほとんどを取られたと言っても過言ではなかった。
勇司は店に入り、愛想のない店員にそばを一杯注文。
そして一口、すすり、言葉を失った。
この店は十割そばを売りにしている。しかし十割そばは熟練の腕がないと難しいと勇司は思っていた。
しかしその味は勇司の思っていたものではなかった。
しっかりと風味を残しつつ、十割そばならではのざらりとした歯触りもある。
勇司はこの3年間、十割そばが作れるようにと店を切り盛りしながら、その裏で十割そばを販売できるように試行錯誤を続けていた。
なのに、こんなチェーン店で当たり前のように出されていることが衝撃だった。
そのからくりを携帯を使って調べてみた。
なんとこの会社は研究に研究を重ね、十割そばを製麺できる機械の開発に成功していたのだ。
だからこれほどのチェーン展開が可能になっていたのだ。
もちろん、その開発までにはとてつもない労力と資金を投じたことだろうと思う
それでも勇司のこの3年間と情熱を全て踏みにじられたような気持ちになった。
(かなうわけがない……)
勇司は打ちひしがれて、その店を後にした。
店じまいそれから数日後、夕食時に勇司は久しぶりに皐月に話しかけた。
「もう店を畳むことにしたよ」
「……そう」
皐月の反応は乾いたものだった。
いや、きっと皐月もどこかで覚悟していたのだろうと思う。
「借金はどうするの?」
「まあ、アルバイトでも何でもして返していこうと思っている」
勇司はそう気丈に話す。しかしそんなことでは到底返せないものだというのは分かりきっていた。
そして勇司はテーブルの上に一枚の紙を置いた。
それは離婚届だった。
「……どういう意味?」
「お前には今まで、本当に迷惑をかけた。でもこれ以上、迷惑をかけるわけにはいかない。借金は俺が全て返すから。だからこれにサインしてくれ」
これが勇司が悩みに悩んで出した結論だった。
借金は勇司が1人で背負う。それしか勇司にはできることはなかった。
「なによそれ?」
しかし皐月は勇司をにらみ付ける。
「ここまで付き合わせて、状況が悪くなったら捨てるってことでしょ? 格好つけたこと言わないでよ! 私は今までずっと専業主婦をやってて、働いたことなんてないのよ!? それなのに、これから一人で生きていけって言うの!?」
皐月の言葉に胸を締め付けられた。
勇司はそこまで考えが及んでいなかったのだ。
「……悪かった」
絞り出した言葉は結局いつもと一緒だった。
それから間もなく勇司はそば屋を閉店。最終的には借金しか残らなかった。
店を畳むとき、勇司にはもうどうしてそば屋を志したのか、その理由が思い出せなかった。
「……じゃあ、いってくる」
「うん、いってらっしゃい」
閉店の手続きもそこそこに、勇司は皐月に見送られて家を出る。
向かう先はハローワークだ。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
梅田 衛基/ライター/編集者
株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。
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