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猫の治療で貯金が底をつき「借金300万円」…“何もかも”失ったアラサー女性の後悔

Finasee / 2024年1月19日 11時0分

猫の治療で貯金が底をつき「借金300万円」…“何もかも”失ったアラサー女性の後悔

Finasee(フィナシー)

<前編のあらすじ>

安永ありささん(仮名)は、譲渡会での出会いをきっかけに猫白血病ウイルスのキャリアの猫2匹を引き取ることに決めました。幸せな日々がずっと続くものと考えていましたが、1年半後、2匹のうち1匹が白血病を発症してしまいます。

●前編:【「大丈夫に決まっている」楽観的に保護猫2匹を引き取った30代女性の大誤算】

譲渡会での運命の出会い

コロナ禍になる前の2018年末、たまたま立ち寄った猫の譲渡会で茶トラのくるみとみかん姉妹と“運命の出会い”をした私は、2匹を引き取ることにしました。2匹とも猫白血病ウイルスのキャリアでしたが、引き取る前に獣医師から「発症するのは20~30%」と聞かされ、くるみとみかんは大丈夫と“根拠なき楽観”を持っていました。

くるみとみかんとの生活は、アラサー、シングル、彼氏なし歴5年の私の乾き切った生活を潤してくれました。かわいい猫たちが家で待っていると思えばハードな仕事もやる気が出ましたし、くるみやみかんと過ごしているとアイデアが泉のように湧いてきて、デザイナーとしても結果が出せるようになり、2匹が来て1年後にはチームリーダーに昇格しました。

猫の寿命は14~15年と言われますから、10年以上はこの幸せな生活が続くものと思っていました。しかし、そんな“根拠なき楽観”が打ち破られたのは2匹を引き取ってから1年半後の2020年6月、くるみとみかんの2歳の誕生日を祝った5日後でした。

突如崩れ落ちた幸福な日々

ツンデレのくるみに対し、みかんは食いしん坊で活発、人懐っこい猫です。しかし、そのみかんの食が細くなり元気もなくて心配していたら、その夜、猫ベッドの上でぐったりしたまま動かなくなってしまったのです。口元には食事を戻した跡もありました。

「みかん、どうしたの?」と体に触れると、猫はもともと体温の高い動物ですが、いつも以上に熱を持っています。

「もしかして、白血病?」不安が頭をよぎりました。

キャリーバッグにバスタオルを敷いてみかんを寝かせ、タクシーを呼んで24時間営業の動物病院に駆けつけました。入院して精密検査を受けた結果、私の不安が的中し、みかんは白血病と診断されました。

翌週からは獣医師に勧められたインターフェロン治療を受けることになりました。不幸中の幸いか、治療が始まるとみかんは少し元気を取り戻したように見えました。

しかし、ほっとしたのもつかの間、それからひと月もたたないうちに、今度はくるみが白血病を発症したのです。くるみの診断を受けた時には不安で不安で、不覚にも獣医師の先生の前で涙が出てしまいました。

「みかんちゃんはインターフェロンが効いているようだから、くるみちゃんにも効くかもしれない。安永さんが気をしっかり持たないとね」

先生はおろおろするばかりの私を優しく励ましてくれました。

それから半年余り、くるみとみかんの病状は一進一退でしたが、2匹はつらい治療に耐え、本当に頑張って生きてくれました。正直今思い出そうとしても具体的な記憶が湧いてこないのですが、私も病気のくるみとみかんを支えなければと必死でした。

低下する仕事への熱量

ただ、その分、仕事にかける熱量はみるみる低下していきました。家を空けている間の猫たちの様子が気になり、ペットの見守りサービスに登録し、勤務時間中も年中スマートフォンで確認していました。朝はぎりぎりに出社し、仕事が終わればすぐに職場を後にするため、チームのメンバーとのコミュニケーションも取れなくなりました。

くるみとみかんが終末期に入った頃は、コロナ禍に入っていたこともあり、上司にかけ合って在宅勤務を増やしてもらい、四六時中付き添いました。

そんな必死の看病もむなしく、みかんは2020年12月に、くるみもその後を追うようにして2カ月後の2021年2月に旅立ちました。2匹とも死に顔は意外なほど穏やかで、きっと天国に召されたのだろうと自分で自分を慰めました。

治療を終えた後、待ち受けていた地獄

しかし、猫たちがいなくなった後、私を待っていたのは地獄でした。

ペットの医療費は全額自己負担です。しかも、猫白血病ウイルスのキャリアのくるみやみかんはペット保険への加入が難しかったため、2匹分でインターフェロン治療1回につき1万数千円の医療費が消えていきました。動物病院に通院する際の往復のタクシー代もバカになりません。食欲のない猫に少しでも栄養をと購入した治療食やサプリ代もまた、かなりの額に上っていました。

結果的に、くるみやみかんを譲り受けた頃には50万円ほどあった預金はたちまち底をつき、くるみが亡くなった頃には逆に200万円以上のカードローンを抱えていました。

問題は借金だけではありません。コロナ禍で勤務先のデザイン事務所の業績が悪化し同業の大手事務所に吸収されることになったのですが、その際、50%の人員削減が実施され、私はリストラ要員に挙げられてしまったのです。

無理もありません。チームリーダーとは名ばかりで、くるみやみかんの看病を優先するあまり、実質的なまとめ役は2年下のサブリーダーに丸投げし、在宅でもできるような簡単な仕事しかやっていなかったのですから。

そんな私でもプライドはあったので、肩をたたかれる前に「独立します」と言って自分から事務所を去りました。

ちょうどコロナのピークで厳しい時期でしたし、独立しても仕事のあてなどあるわけがありません。雇用保険の失業給付は受けられましたが、待機期間もあるし、給付額も勤務時の7割弱と言ったところです。家賃の安い郊外のアパートに引っ越して爪に火をともすような生活をしても、カードローンの残高は増えていきました。

自営業の両親はコロナ禍で経営が厳しく援助は望めなかったため、カードローンの残高が300万円を超えた時、市役所の法律相談で知り合った弁護士の先生に頼んで自己破産の手続きを取りました。それを機にデザインの仕事に見切りをつけ、今はホームヘルパーの資格を取って介護事業所で働いています。

アラサーの私でもスタッフの中では“若手”です。入居者に配布する資料のデザインをした時、「安永さん、すごく上手! プロみたい」と褒められましたが、さすがに「元デザイナーです」とは言えませんでした。

いまさら「たられば」の話をしても仕方ないのですが、もし私があの時、譲渡会に行かなかったら、楽観的な判断でくるみとみかんを引き取っていなければ、私は今も好きなデザインの仕事を続けていられたのかもしれません。

しかし、くるみやみかんと過ごした時間は私にとってかけがえのないもので、正直、2匹を恨む気持ちは全くないのです。「後悔がない」と言えばうそになりますが……。

※個人が特定されないよう事例を一部変更、再構成しています。

森田 聡子/金融ライター/編集者

日経ホーム出版社、日経BP社にて『日経おとなのOFF』編集長、『日経マネー』副編集長、『日経ビジネス』副編集長などを歴任。2019年に独立後は雑誌やウェブサイトなどで、幅広い年代層のマネー初心者に、投資・税金・保険などの話をやさしく、分かりやすく伝えることをモットーに活動している。

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