「うまくいけばお小遣い稼ぎに…」専業主婦の承認欲求を満たすサービスとは?
Finasee / 2024年1月22日 18時0分
![「うまくいけばお小遣い稼ぎに…」専業主婦の承認欲求を満たすサービスとは?](https://media.image.infoseek.co.jp/isnews/photos/finasee/finasee_13097_0-small.jpg)
Finasee(フィナシー)
会議が押したと、待ち合わせの時間から10分遅れて清美が店にやってきたとき、さゆりは小さくため息を吐いた。
峰岸さゆりは退屈だった。大手銀行で働く政和を夫にもち、私立中学に通う娘がいる。田園都市線沿いのマイホームでの何不自由ない暮らし。それなのに退屈を感じている。同い年ながら現在も人気漫画雑誌の編集長として働く清美がうらやましかった。
「どうしたの、浮かない顔して」
男たちのなかで働き、編集長という立場まで出世してきた清美はきれいだ。ファッションにもメイクにも指先のネイルにも抜かりがない。
「娘が中学に上がったでしょ? 受験に慌ただしくしてたからなんか気が抜けちゃったっていうか、中学に上がったら一気に親の手から離れた感じがするっていうか、少し退屈でさぁ」
「だから急に会いたいなんて連絡してきたわけね。でも気楽になってよかったじゃない?」
「まあそうなんだけどさぁ」
「そんなに言うなら仕事探してみたら?」
清美の言う通りだったが、さゆりはかつて上司からパワハラ、セクハラを受けていて、結婚を理由に逃げるように退職した経験がある。仕事だって全く楽しいと思えなかったし、そんなことに今更時間を使うのはあまり気が進まない。
「それならSNSとか動画投稿でもやってみたら? 今の時代スマホで撮影も編集も十分できるし、自分1人だから気楽にできるでしょ」
「SNSと動画編集かぁ」
「意外といいみたいよ。最近は漫画もSNSでバズった漫画家さんに連載とか書籍化の声を掛けることもあるし、うまくいけばお小遣い稼ぎくらいにはなるかもよ」
「なるほどねぇ」
初めての投稿用動画ランチを終えたあと夕食の買い物をして帰ったさゆりは動画編集について調べてみる。世の中には驚くほどたくさんの動画編集アプリがあった。自分で撮影したものにテロップを入れたり、小窓で画像を入れてみたり、BGMをつけてみたり、そういうテレビで目にするような動画編集がこの小さい機械1つでできるというのは不思議だった。
「別に投稿するわけじゃないわ。撮るだけ」
さゆりはキッチンへ向かった。今日はランチのためにお気に入りのディオールで買ったワンピースを着ている。動画を撮っても悪くない見栄えだろう。
さゆりが唯一他人に誇れるようなことがあるとすれば、それは料理だ。中学高校と女子高で料理部に所属していた。高校最後の年には部長も務めた。政和の同僚たちが食事に来たときは、店に来たみたいだと絶賛してくれていた。
キッチンの隅にスマホを固定して画角をチェックする。もし投稿するとしたら、顔が写ってしまうのは少し怖いので、肩から下だけが写るように調整する。さっき調べたサイトによると、小窓の景色から自宅が特定されるような危険性もあるという。さゆりは念のためマスキングテープで布を貼り付けて窓をふさいだ。
髪を後ろで1つに結び、エプロンをつける。何度か深呼吸をして録画を開始する。
「こんにちは~。…………」
言葉が続かなかった。さゆりは録画を止める。誰に見せるわけではないと思っていても、カメラに向かって1人でしゃべることがこんなに難しいとは思わなかった。それに、本名を名乗るわけにもいかないから、ハンドルネームが必要だ。
さゆりは考えた末、録画を再開する。
「こんにちは~。えーっと、リリーです。専業主婦をしています。子育てもひと段落して、時間を持て余しているので、お料理の動画を撮影してみようと思いました。素人なのでどこまで上手にできるか分かりませんが、よろしくお願いいたします」
シチューの出来はよかったが、動画の出来は最悪だった。手元が見えづらいし、途中でスマホが倒れてしまったせいで、調味料を加えている部分が音声だけになっている。仮に編集の腕があったとしても、投稿できるレベルの動画ではないだろう。
けれど動画を回して料理をしているあいだは刺激的だった。普段はただこなすだけになっていた夕食づくりが、ひどく新鮮なものに感じられた。
さゆりは次の日の豚のしょうが焼きも、次の日のメバルの煮つけも動画を撮影し続けた。手元がより見やすくなるようスマホスタンドを購入し、どうせ映るならとエプロンも新調した。
そして一週間後、ようやく満足のいく動画撮影のコツをつかむことができたさゆりは、慣れないながらも3日かけて編集作業を終え、ついに動画を投稿した。
見違えた日常再生回数143回が、すごいのかは分からない。いや、ただの主婦が料理を撮影しただけの動画を100人以上の人が再生してくれたのだからすごいのだろう。さゆりは少しずつ増えていく再生回数に確かな高揚感とやりがいを感じ始めていた。
編集に時間がかかってしまうから毎日投稿するのは難しかったが、それでも週2回くらいの頻度で動画を上げ続けた。そして10本目の動画を投稿したとき、はじめてコメントがついた。
〈声がいいですね。話のリズムも心地がいいです〉
料理の腕を褒められたわけではなかったが、天にも昇る気持ちだった。むしろ自分の声という、よく見せようと意識していない生得的な部分を褒められたことは、さゆりの退屈を一瞬で塗り替えるほどの威力があった。
最初のコメントを皮切りに、料理についてのコメントも増えていった。
〈レシピ、いつも参考にしてます〉
〈盛り付けがセンスある〉
〈焼き魚の下処理ってそうやってやるといいんですね。手際がすごすぎます〉
〈ハンバーグ作ってほしいです!〉
〈手元が見えづらいのでもう少し上からのアングルで撮影できますか?〉
さゆりはすべてのコメントにお礼の返信をした。コメントの中にはレシピをリクエストしてくれたり、動画撮影のアドバイスをくれるようなコメントまであった。
〈コメントありがとうございます。ハンバーグ! あまり作ったことはないのですが挑戦してみますね。〉
〈動画撮影は素人なので、アドバイスいただけてとても助かります。次の動画はアングルを変えて撮影してみます!〉
もうついこの前まで感じていた退屈さはなかった。さゆりの毎日は顔も見えない視聴者たちの言葉で鮮やかに彩られていった。
●退屈な日常が満たされたかのように見えたが、この時さゆりはSNSのほんとうの恐ろしさにまだ気づいていなかった 。 後編【「アカウントは削除しろ」夫に内緒の動画投稿が垢バレした“意外な証拠”】にて、詳細をお届けします。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
梅田 衛基/ライター/編集者
株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。
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