「ありがとう、おばちゃん」痩せた身体にボロボロの服…パート先に現れるネグレクト疑惑の男児を救う方法
Finasee / 2024年3月15日 17時0分
Finasee(フィナシー)
のり弁当とコロッケ弁当のふたを閉じている輪ゴムにそれぞれ割りばしを通し、ビニール袋にしまう。670円。トレーの1000円札を受け取って、330円のお釣りを返す。
「いつもありがとうございます!」
近くの工事現場で働く人だろう。日に焼けた分厚い手で弁当を受け取った2人組は、お釣りをつかんだ手をポケットに突っ込んで立ち去っていく。
「のり弁当をひとつ」
「のり弁当ですね、ありがとうございます」
吉田早苗はサラリーマンに笑顔を向ける。
お昼のピーク時でお弁当はほぼ完売になる。14時を過ぎれば荒波の勢いで押し寄せていたお客さんも落ち着き、みんなが夕飯の総菜を買いに動きだす16時ごろまでは一息吐くことができるようになる。
「吉田さん、休憩しておいで」
厨房(ちゅうぼう)から小原さんの声がする。小原さんは厨房(ちゅうぼう)奥のシンクに向かい、大きな鍋を洗っていた。
「ありがとうございます。休憩いただきます」
早苗は小原さんに声を掛け、お店の裏の休憩スペースへ向かう。今日は天気がいいから裏口前のベンチでのんびりすることにした。
朝用意してきたおにぎりと麦茶を入れた水筒を脇に置き、ベンチの上に腰かける。降り注ぐ太陽の光は穏やかで、左肩のあたりがじんわりと熱を持ち始めるのを感じる。早苗は小さくあくびをする。ふと、自販機の前にしゃがみ込んでいる男の子と目が合った。
ネグレクトが疑われる男児春先だというのに半袖半ズボン。よく使いこんだことがうかがえる洋服はどちらもよれていて、身体に対してサイズは小さすぎる。袖や裾からのぞく手足は痩せていて、伸びっぱなしの髪の毛は肩に当たって跳ねている。
早苗は手を振ってみる。男の子は早苗に手を振り返してくれる。早苗は振っていた手を前後に動かし手招きに変えた。
「こんにちは」
立ち上がった男の子はゆっくりと歩み寄り、早苗の隣に腰を下ろした。
「勇太くん、今日はおなか減ってない? おにぎり作りすぎちゃって、よかったら食べてよ」
「えー、また?」
早苗は巾着からおにぎりを取り出して、男の子――勇太の膝に置く。もちろん作りすぎたわけじゃない。今日も学校帰りの勇太がいるかもしれないと思い、早苗はわざわざおにぎりを1つ余分に作ってきていた。
「わ、からあげだ!」
おにぎりを一口かじった勇太は、中身に気づいて声を上げる。また? と言いながらおいしそうに食べてくれる勇太を見ていると早苗の気持ちは和んだ。
「今日もお母さん、帰り遅いの?」
それとなく聞こうとしたことは思いのほか直接的な言葉になってしまって、早苗は心のなかで後悔する。からあげ入りのおにぎりをあっという間に平らげた勇太は黙り込み、地面につかない足をぶらぶらと揺らしている。
勇太の母親は、昼間はスーパーでレジ打ちのパートをし、夜は駅前のスナックで働いている。父親は勇太が今よりももっと小さいころ、事故で死んでしまったそうだ。勇太は家での時間のほとんどを、独りで過ごしている。
「そうだ。ちょっと待ってて」
早苗は店のなかへ戻り、ふぞろい品で店に出せなかったのり弁当を1つ、こっそりと持ってくる。もちろん人にあげていいはずのものではなかったけれど、長く働いている早苗と店長の間柄だから、きっと店長も大目に見てくれるだろう。
「おばちゃん、それなに?」
「余っちゃったの。あげるから、よかったら夜ご飯に食べて」
「いいの?」
「もちろん」
早苗は言って、ビニール袋に入れたのり弁当を勇太に持たせて送り出す。
「ありがとう、おばちゃん」
「いいからいいから。ほら、ちゃんと前見て歩かないと危ないよ」
いつものように何度も早苗を振り返る勇太が見えなくなるまで、早苗は手を振り続ける。
ちょうど同じくらいの身長だろうか――。
勇太のまだ少しランドセルのほうが大きい後ろ姿に、今はもういない息子の姿を重ねてしまう。早苗は小さくなっていく勇太の背中から顔を背けずにはいられなかった。
夫からの提案夫と2人暮らしになってしまったマンションの寝室には、黒のランドセルが置いてある。
小学2年のとき、遊具からの転落事故で死んでしまった息子・翔平が使っていたものだ。
事故があった当時は早苗もひどくふさぎ込んだ。どうして1人で遊びに行かせたのかと、小学2年にもなれば普段から遊び場について行ったりすることはなくなっているのに、自分のことをひたすらに責めた。
セラピーやカウンセリングに通い、夫と2人で過ごす時間のなかで傷を癒やしてきた。もちろん翔平のことは忘れることができないし、毎年翔平の誕生日や命日がやってくると涙が止まらなくなるけれど、それでも前を向きながら生きている。
「そんな子供がいるのか……心配だけど、あんまり深入りすると、その子の親も嫌がるんじゃないか?」
晩酌をしているとき、アルコールのおかげもあって口が緩んだ早苗は夫の竜次に勇太のことを話していた。もちろん秘密にしていたわけじゃない。けれど竜次には余計な心配をかけないよう、言わないでおいたことも事実だ。そしてやっぱりしゃべってしまった今、竜次が早苗のことを心配しているのが伺える。
「そうかもしれないけど、放っておけないじゃない。年のせいで、お節介が止まらないのね」
だから早苗は自嘲するようにそう言った。もう私は大丈夫と、口にはしない言葉を目線だけで伝える。竜次にもそれは伝わったのか、静かにビールを口に含んだ表情は穏やかだった。
「それならせっかく弁当屋なんだし、子ども食堂でもやってみたらどうだろう? 近所のおばさんにご飯を振る舞われてるより、そういうもののほうが親としても安心してお願いできそうだし。今、いろいろやってるみたいだよ。お代はいつでも大丈夫で、小学生に簡単な食事をふるまってる定食屋とか、そういうの」
「いいわね、それ。パートの身分じゃ難しいかもしれないけど、店長に相談してみるだけならありかも」
「俺もやり方とか調べてみるよ。その子、喜んでくれるといいな」
●子ども食堂を開業する夢、早苗は実現できるのだろうか。 後編【子ども食堂に乗り込んできた母親を泣かせた40代パート女性の「意外な一言」】にて、詳細をお届けします。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
梅田 衛基/ライター/編集者
株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。
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