怠惰な生活を送るアラフィフおひとりさま女性に活力を与えた「推しと同じくらい大切な存在」
Finasee / 2024年4月17日 17時0分
Finasee(フィナシー)
<前編のあらすじ>
百合子(52歳)は、夫の浮気が原因で離婚をしてから、財産分与された3LDKのマンションで怠惰な生活を送っていた。そこへめいっ子の夏織(17歳)が家出をして押しかけてきた。招かざる客に困惑していた百合子だが、夏織が持ってきたアイドルグループ「バニーズ」のライブDVDを一緒に見ているうちにすっかりファンになってしまった。夏織が家に帰る日には、お互いに抱き合って泣くくらいにうちとけた2人だったが……。
●前編:50代女性が離婚後にめいの「布教」でアイドル沼へ没入してから「変化したこと」
「推し事」に励むバラ色の日々
バニーズのファンはラビッツと呼ばれているらしい。見事にラビッツ化した百合子は季節が変わっても、変わらずに推し事に励んでいた。
朝のアラームはバニーズの曲になり、朝の準備の間、テレビではバニーズの曲を流す。
移動の車中ではバニーズのラジオを流しながら、仕事が終わり家に帰ると、メンバーがSNSを更新していないかをチェックする。夏織とメッセージを送り合い、あの番組のここが良かった、SNSのこの写真がカッコよかったと初恋に盛り上がる学生のように騒いだ。増え続けるグッズに夫の書斎だった部屋はあっという間にバニーズのための部屋に変わった。
退屈だと思っていた日々がどんどんと過ぎていき、バニーズに出会った夏が終わって秋が過ぎ、冬がすぐそこに迫ってきていた。
当落発表「百合ちゃんはやっぱりホクトが推しなんだね」
寝る前にはたいてい夏織とバニーズについて語り合う。毎日のように新しいトピックがあるので、会話が尽きることはなかった。
「そうね。最初の印象がやっぱり大きかったからね」
「正直、ホクトってギリギリで合格だったからね。オーディションから見ている人たちの中にはアンチもいるのよ」
オーディションの中でホクトと争っていたもう1人のメンバーも人気があったらしい。その人を差し置いて選ばれたことに、反感を持つ層もいるようだ。
「そんなの、ホクトは悪くないのにね」
「ま、しょうがないよ。どこのアイドルもそういうのはあるみたいだし」
「だからこそ、ホクトはライブやテレビを頑張ってるのよね」
「いやいや、みんな頑張ってるから。とくにショウタはね」
こんなことばかりをいつもしゃべっている。どっちの推しが良いかなんて不毛な会話。でもそれがたまらなく楽しい。
「私たちの戦いももうすぐだからね」
夏織は気合の入った声を出す。それに百合子も同じ温度で返した。
「うん、アリーナライブのチケットよね」
「私ね、毎日寝る前にお願いをしてるんだよ。百合チャン、何かやってる?」
「当たり前でしょ。私は帰りに必ず神社によってお参りをしているんだから」
「さすがだね、絶対一緒に行こ」
「うん。絶対ね」
それから2週間後、チケットの当落発表日がやって来る。その日はさすがによく眠れなかったし、仕事も手につかなかった。
やがて時間通りに送られてきたメールの「チケットをご用意できました」の文字に、百合子は思わず大きなガッツポーズをしてしまう。もちろんすぐに夏織に連絡もした。連番で取ったチケットの同行者はもちろん夏織だ。
百合子はもう何度も見ているライブDVDを改めて復習し、推しうちわを作り、ライブの日を待ち望んだ。
「推し」との夢のような時間ライブ当日、夏織と落ち合って会場へ向かうと、そこにすでに多くの人だかりができていた。入場から開場までのあいだ、百合子たちはライブグッズを買いあさり、百合子は購入したグッズをトイレで身につけ、フル装備でライブに挑んだ。
ライブは夢のような時間だった。いつもテレビで見ていたバニーズは、生で見るとその神々しさが倍増しているように感じた。1度だけホクトが百合子たちの席に近づいてきたことがあった。
「ほら、百合チャン、うちわを振って、振って!」
百合子は必死で自分の存在をアピールするために、お手製のうちわを振る。
すると、ホクトがそれに気づき、手を振ってくれたのだ。
「い、いま、ホクトがこっちに手を振ったよ!」
「そうだね、良かったね、百合チャン!」
「か、かわいいわ、ほんと、あの笑顔はちょっと……」
ホクトはまた別の場所に移動してしまったが、それでも百合子はその背中をいつまでも目で追っていた。
怒濤(どとう)のライブはあっという間に終わりの時間を迎え、最後のあいさつとなる。1人ひとり順番に今日のライブへの思いや、ラビッツへの感謝を話していく。夏織の推しであるショウタはユーモアを交えて話すのが上手で、客席に大きな笑いが生まれていた。
最後にホクトの順番が回ってくる。ホクトは客席に手を振り、笑顔を向ける。百合子は胸の前で手を握って、ホクトを見つめていた。
「今日は、本当にありがとうございました。こんなに大勢のラビッツが来てくれて、声援を送ってくれて、マジで幸せな時間でした」
そこでホクトは目を伏せる。
「まさかこんな景色に俺がたどり着けるなんて思ってなくて、本当に……」
そこで言葉が切れる。ホクトは客席から顔を背けて目頭を押さえていた。頑張れ! と声が飛ぶ。気づけば百合子も懸命に叫んでいた。
「オーディションのとき、俺が合格したことで、落ちた候補生がいて、そういうみんなの夢の先に俺は立ってるんだって思いでずっとやってきて……バニーズも、俺も、まだまだこれからだけど、今日ここでみんなと見れたこの景色は、ほんとにかけがえのないもので……うまくまとまんないや」
ホクトが照れ笑いを浮かべ、客席にも温かな笑いが広がる。
「これからも、またここに戻ってこられるように、もっと大きい景色を見られるように、どこまでも頑張るので、これからも応援よろしくお願いします!」
ホクトが言い終えた瞬間、会場内は割れんばかりの拍手が起こった。
スゴい。会場を見渡して百合子は驚いていた。
今、この瞬間、確実にホクトはバニーズの中心にいた。
音楽がかかる。7人が星を描くようにフォーメーションを組む。歓声が爆発するようにあふれだす。
「最後は俺たちバニーズのデビューシングル『流れた星の数だけ』――」
同じくらい「推し」だからねライブ会場を出た2人は、駅まで続く長い行列のなかをまだどこか夢心地で歩いていた。
しかし会場でため込んだ熱は、冬の空気のなかで少しずつ冷えていき、2人の気持ちを現実へと引き戻していく。
「あーあ、これでしばらくは推し活はお休みかぁ」
夏織がつぶやいた言葉に、百合子は思わず立ち止まる。
「え、何で?」
「もう完全に受験モードに入るからさ。合格するまでは勉強一筋ってお母さんと約束して、今日のライブは許してもらったんだ」
横で話す夏織の顔は寂しさと受験への不安が入り交じっていた。
百合子はサイリウムカラーをショウタの色にして、横に振る。周りを歩いていたラビッツたちが何事かと振り返る。
「何よ、何してんの?」
「私にとってはホクトと同じくらい夏織のことも推しだからね。応援してるよ」
百合子がそう言うと、夏織ははにかんでうつむく。
「何それ、すっかりオタクじゃん」
百合子にとって退屈なだけの生活に楽しみを与えてくれたのは紛れもなく夏織だった。
百合子はまた、仕事帰りには神社でお参りに行こうと決める。
もちろん、願いは夏織の合格だ。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
梅田 衛基/ライター/編集者
株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。
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