「…ごめんね、もう別れてください」ゲーマー夫婦の離婚の原因となった「子供じみた理由」
Finasee / 2024年5月16日 11時0分
Finasee(フィナシー)
<前編のあらすじ>
夏織(36歳)と徹(38歳)は人気オンラインゲーム「ファイナル・フィクションズⅣ」のオフラインイベントで知り合って結婚した。しかし結婚から間もなく徹が部署異動により残業続きになってしまう。収入は上がったが、一緒にゲームもできず、夫婦の時間が取れない徹に不満を募らせていた。そんな折、残業で遅く帰ってきた徹は夏織に「夜更かししてゲームなんてしていい身分だ」と暴言を放ってしまう……。
●前編:「夫が知らない人に見えた…」現実世界でも結婚したゲーマーカップルの夫が妻に放った「言ってはならない言葉」
クリティカルダメージ
夏織は何かを言わなきゃいけないと思った。けれど巻きついた針金は夏織の身体のなかにまで入り込んで、心臓や肺を鋭く締め付けた。
「早く寝たほうがいいんじゃない? ゲームしてるくらいならさ。寝ぼけた頭で仕事されたんじゃ、一緒に働く人たちもたまんないでしょ」
「……わたしはダメだね」
夏織はようやく吐き出した。締め付けられた身体の肌が裂け、血がこぼれるように、言葉があふれた。
「徹は立派だね。ちゃんと責任感もって働いて。でもそれって何のため? 徹はわたしのためだって言うけど、違うよね? わたし1度だってそんなこと言った? たくさん稼いで楽な生活させてよなんて言った? 言ってない、言ってないんだよ」
「なになに? なんで逆ギレ? 俺は夏織のためを思って――」
「だからそれが違うって言ってるの!」
夏織は思わず声を荒らげた。
静まり返った2人のあいだに、徹のため息が長く響いた。
「怒鳴るなよ。こっちは仕事で疲れてるんだから。遊んでる夏織とは違うんだよ」
ゲーム部屋の扉が閉められて、徹は出て行った。
やがてかすかに聞こえてきた流れるシャワーの水音は、堪えきれなかった夏織のすすり泣きをかき消してはくれなかった。
心のヒットポイントの限界値あの日以来、徹とのあいだには溝ができていた。
徹の残業続きの日々は続き、定時そこそこに家に帰ることのできる夏織は自宅で料理を作り、独りゲームをした。以前とそう大きく変わらない毎日のはずなのに、隣りに徹がいないというだけで、味のなくなったガムをいつまでもかみ続けているみたいな違和感があった。
――いつまでもゲームばっかりして。
母親たちのぼやきが、嫌みなくらいな鮮やかさでよみがえる。
夏織だって分かっている。ただ楽しく過ごしたいだけなのだ。たしかにこれは子供じみた願望なのかもしれない。けれどたった1度の人生だ。自分が好きなことに熱中し、楽しい時間を謳歌(おうか)することの、一体何がいけないというのだろうか。
魔獣が吐き出した黒い炎の効果音が、夏織を現実へと引き戻した。
ぼーっとしていてコントローラーを操作する手が止まっていた。夏織は慌てて体勢を整えて反撃に移る。しかし今の攻撃で重いやけどを負ったらしいザンテツのHPは、フィールドを走り回るたびに少しずつ減っていった。
回復アイテムは持っていなかった。いつもなら徹の操作するヴィオレットが魔法で回復させてくれていたから、油断していた。
魔獣の攻撃をかわす。接近して大剣を振り下ろす。ヒットアンドアウェーを繰り返す。ザンテツのHPは少しずつほころんだ夫婦生活を象徴するように、着実に削られ、すり減っていく。
けっきょく魔獣を倒すよりも先にザンテツが力尽きた。画面がブラックアウトして、ザンテツは近くの街に飛ばされる。ペナルティーとして、所持金の半分と集めていた装備のいくつかが失われていた。
たぶんもう、限界だった。
パーティー解消の決断夏織はゲームの電源を落とし、リビングで徹を待った。静かな部屋はまるであちこちに穴があいているみたいにうすら寒かった。徹が帰ってきたのは23時を過ぎたころだった。
「ただいま」
リビングまでやってきた徹は一瞬固まったあとにそう言った。
「おかえり」
夏織は応えて立ち上がり、ダイニングテーブルの上でラップをかけられている料理を温めた。冷蔵庫からビールを取り出し、料理と一緒にテーブルへと並べ直す。
「食べながらでいいんだけど、話があるの」
「疲れてるんだけど、今じゃなきゃダメ?」
「うん、今がいい」
声音から夏織の真剣さを感じ取ってもらえたのか、徹は眺めていたスマホを置いた。黙って焼きうどんを食べ始める徹を見ながら、夏織は深く息を吸った。
「徹はさ、わたしのためだっていつも言うよね」
「だってそうだろ? 夏織のためっていうか、2人の生活とか将来とか、そういうもののためだよ」
「うん、分かってる。それはすごくうれしい。徹がわたしのことを考えてくれてて、徹の人生に関われていることがすごくうれしい」
夏織はでもね、と続けて、深く息を吸った。
「わたしは別に、裕福な暮らしがしたいわけじゃないの」
「じゃあ貧乏がいいの?」
「裕福か貧乏かじゃないの。わたしはただ、楽しく暮らしたい。これまでみたいに2人でゲームして、夜更かししちゃって最悪だ~って会社行って、そういう毎日を、徹と一緒に続けていきたいよ」
徹は黙ったままだった。缶ビールの栓をあける音が頼りなく響いた。
「夏織、それはさ、少し無責任なんじゃないかな」
「無責任、かな」
「無責任だよ。結婚ってさ、家族になるってさ、そういう楽しいことだけじゃ片付かないだろ? 家族のために出世しようと思うのは当たり前の責任なんだよ。だから仕事もそう。責任があるんだよ、俺には」
徹が言っていることはたぶん正しい。しかしそれでも、夏織は自分のこの気持ちが間違いだとは思えなかった。
「ファイナルフィクションね、前のチュートリアル終わったままだよね。知ってる? 今回のマップ、『ファイフィクⅠ』のオマージュなんだって。徹、『Ⅰ』好きだったよね。わたしずっと待ってたんだよ。徹とまたゲームできるの」
「だから!」
徹の鋭く固い声がリビングに響いた。テーブルをたたいた拍子にビールの缶が倒れた。テーブルをぬらし、床へ滴る琥珀(こはく)の液体を、夏織はただ眺めていた。
「そりゃ俺だってやりたいよ。でも疲れて帰ってきてんだよ。真面目に働いてんだよ。ゲームなんてできるわけねえじゃん。やる気になんねえよ。それなのに、お前はピコピコピコピコ夜中まで、くだらないことでずっと遊んでてさ! そういうの見てると腹立つんだよ!」
くだらないという言葉が、これまで必死につなぎ留めていたものに容赦のない罅(ひび)を入れていった。
「なら、わたしのためって言うのは、何だったの?」
徹は夏織の知らない表情で、浅く、冷たく、笑った。
徹は変わってしまった。あるいは、夏織が変えてしまった。結婚したことがきっと徹には重荷だったのだ。大好きなゲームすらできなくさせるほどの、重圧だったのだ。
「……ごめんね、もう別れてください」
「勝手にしろよ」
立ち上がった徹は焼きうどんを半分も食べずにリビングから立ち去っていった。力任せに閉められた寝室の扉が、この家の床のあたりに沈むよどんだ澱(おり)をかき混ぜた。
夏織はティッシュを手に取り、テーブルと床をぬらすビールを拭き取った。表面張力で少し膨らんだ琥珀(こはく)色の表面で、いくつもの泡がはじけて消えた。
あたらしい地図夏織と徹は別れた。幸せだった日々の結末は、ともすれば子供じみた理由であっけなく終わった。
けれど夏織に後悔はなかった。ゲームやオフ会。同じような趣味を持つ人たちとのコミュニティーのなかで、楽しい生活を謳歌(おうか)している。
あれから2年、今日は待望の新作『ファイナルフィクションⅦ』の発売日だ。
有給を使って会社を休み、予約していたゲームショップでソフトを買った。家に帰るや早速封を開け、ログインしてキャラクターメイクをする。ハンドルネームは〈ザンテツ〉。もちろん筋骨隆々の男性で、両手剣の使い手だ。
チュートリアルをこなし、オンラインゲーム仲間たちと待ち合わせをしている街の広場へと向かう。
初期装備の貧相なワンピースを着ている魔導士キャラとすれ違う。頭の上のハンドルネームには〈ヴィオレット〉と表示されている。
「まさかね」
夏織はつぶやいて、ザンテツを広場まで走らせた。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
梅田 衛基/ライター/編集者
株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。
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