「こういうのは女性が選んだ方がいいだろう」雑用を押しつけてくる時代錯誤な会社で出世した40代女性の「本当の敵」
Finasee / 2024年5月20日 17時0分
Finasee(フィナシー)
「内海課長、ちょっとよろしいでしょうか?」
名前を呼ばれた佳保は、名字の下につけられた役職に高揚感を覚えた。
「どうかしたの?」
「今度、商談に行く沢柳商事さんへ見せる提案書の中身を確認していただきたいんです」
部下の喜多村繭香は少し緊張した顔で書類を出してきた。佳保は笑顔で受け取り、目を通す。
佳保は現在、OA機器を取り扱う商社で働いている。この4月から念願の課長昇進を果たし、気を引き締めて仕事をしていた。
とはいえ年齢は47歳で、決して出世が早いわけではない。
いまだに男性優位が抜けきらない会社なので、出世がどうしても遅くなってしまった。それでも、出世を目指して仕事に励んでいたので、この辞令を聞いたときは飛び上がりたいほどうれしかった。もちろん、これで満足しているわけじゃない。いずれは部長、さらにその上の重役を目指している。
「そうね……。たしか、沢柳商事さんのコピー機は10年近く使われているのよね」
「はい、しかも安価なモデルを購入されていたそうなんです」
「購入はやっぱりリスクもあるしね、リースを提案して、あと将来的に書類は全て電子化するほうが管理が楽だということをもっとアピールしたほうがいいわ。うちの複合機はスキャン機能も充実してて、暗号化もしっかりしているから、情報流出もしませんってところも押しておいて。じゃあ、その点を抑えて、資料を作り直してくれる? 終わったらまたチェックするから」
佳保がそう言うと、繭香は困ったような顔をする。
「あ、あの、実はこれから外出しないといけなくて……」
「あれ、今日って商談のアポイント入ってたっけ?」
「それが、部長からお世話になっている取引先の専務が定年退職をされるということで、そのプレゼントを選ぶように頼まれてて……」
「それって喜多村さんも知ってる方なの?」
「いいえ。でもこういうのは女性が選んだ方がいいだろうと部長が……」
思わず出かかったため息をのみ込んで、佳保はすぐに笑顔をつくる。
「じゃあ、資料のほうは私がやっておくわ。終わったらあなたのパソコンに送っておくから。それでチェックしてね」
「いえ、でも……」
「いいのよ。気にしないで」
「……すいません、お願いします」
繭香は深く頭を下げてデスクに戻っていった。
部下の指導も課長として大事な仕事だ。自分の手柄を立てるだけで、出世できる段階はもう終わったのだと自分に言い聞かせる。
慌ただしくオフィスを出て行く繭香の背中を佳保は見送った。
女だからといって、あんな雑用を平気で押しつけるような会社だ。何の評価にもつながらないような仕事をやらされて、男と競わされる。こんな不平等の中、女は戦っていかないといけない。課長という地位だって、いつ振り落とされるか分かったものではない。
とにかく気を抜かず、仕事をし続けないといけなかった。
男社会で女が出世するには無理が必要?そんな日々に変化が見えたのは、5月のゴールデンウィーク明けだった。
疲れた体で家に帰ると、リビングから漂うみそ汁のいい香りが空腹を刺激する。匂いに誘われリビングに向かうと、キッチンで夫の弘幸が料理をしていた。
佳保たちの家では家事は当番制の分担だった。弘幸は不動産会社で働いている。
「お帰り。だいぶ、疲れてるね」
ぐったりとする佳保を見て、弘幸は苦笑いを浮かべる。
「ちょっとね、新入社員の子が辞めちゃうかもしれなくてね……」
「え? あの内気で職場になじめてないって言ってた子?」
「そうそう。最近は何かと理由をつけて休むようになっちゃって」
「ああ、なるほど。五月病ってやつか」
佳保は深いため息をついた。
自分たちの時代ならそんなことは許されなかっただろう。そんな古くさい言葉が頭のなかに思い浮かぶ。
男社会の会社のなかで、気合と根性を頼りにのし上がってきた佳保には、今の若い子たちはどうしても理解しがたいものがあった。
「一応ね、しっかりと話はしているのよ。でも、平気で休んだりするからさ……。何とかして仕事を楽しんでくれるようにしたいんだけど、どうしたらいいのか……」
愚痴をこぼす佳保を弘幸は少し心配そうに見ていた。
「その子も心配だけど、佳保も無理はしすぎるなよ。何でも適当っていうのがあるんだからな」
弘幸の言葉に佳保は返事をしなかった。
弘幸は気遣って言ってくれていると分かっていた。それでも、男社会で女が出世するのがどれほど大変か分かっていないのんきな発言にカチンときたのだ。
当たり前のことを当たり前に頑張っていても、男が出世するようになっている。そこで頭1つ抜きんでるのは、ある程度の無理が必要なのだ。
突然おそった異変朝は出社時間の1時間前に起きる。身支度を調えて、朝食を作る。結婚してから20年以上、変わらない習慣だった。
しかし今日は、顔を洗う気すら起きなかった。取りあえず、体を起こし、強引にリビングへと向かったが、時計代わりのテレビで朝の情報番組をつけたところでソファの上から動けなくなった。
何もやる気が起きない。こんなことは初めてだった。
ニュースでは五月病の特集をしていた。やる気が起きない。朝起きられない。動きたくない。まるで今の自分を指摘されているようだった。
(私が、五月病……?)
佳保はふとよぎった考えを振り払って立ち上がる。
五月病なんて怠け者のいいわけだ。私はそんなものには絶対にならない。
新卒から25年働いて、ようやく課長になったのだ。今が頑張り時だと自分自身にむちをたたき続けるほかにない。
重たい身体を引きずって、いつもと同じ時間の電車に乗る。通勤電車はいつも満員だ。押されたり、流されたりしながら、じっと耐え、会社の最寄り駅へと向かう。気温が上がってきたせいか、車内は暑く、佳保の額にはじっとりと粘つく汗が浮かんだ。
毎日通り過ぎるなじみの駅名がアナウンスされる。
それを聞いた瞬間、動悸(どうき)が激しくなる。まるで、体内で誰かが太鼓をたたいているようだった。呼吸も苦しくなり、視界も狭まる。
電車の音が全く聞こえず、自分がどこにいるのかも分からなかった。
そのまま耐えていると、目の前のドアが開く。佳保は逃げ出すように電車から降り、一目散にベンチに座り、何とか呼吸を整えようとした。
しかし鼓動は収まらず、身体はしびれたように動かなかった。暑いのか寒いのかも分からず、全身は汗で湿っているのに震えが止まらなかった。
異変を察知した駅員が声をかけてくれるまで、佳保は目の前を通り過ぎていく電車を何本も見送り続けた。
●佳保の精神は無意識のうちに悲鳴をあげているのかもしれない。 自身で気づくことはできるのだろうか……? 後編【男女格差を「気合と根性」で埋めたあげく適応障害に…令和の女性管理職が「5月病を克服できたコツ」】にて、詳細をお届けします。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
梅田 衛基/ライター/編集者
株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。
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