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「また、やってしまった…」店員にキレる“おじさん客”と化した男性を変えた「突然のきっかけ」

Finasee / 2024年5月31日 17時0分

「また、やってしまった…」店員にキレる“おじさん客”と化した男性を変えた「突然のきっかけ」

Finasee(フィナシー)

原博司(63歳)は、「また、やってしまった」と出てきたコンビニを振り返りながら、ひとり唇をかんだ。1960円の会計で2010円を出して、すぐに50円玉のおつりがくるものと手を出して待ち構えていたところ、レジ係の若い店員は、入金額をレジに打ち込んで50円のおつりの表示が出たのを確認した上で、のろのろとレジから50円玉を取り出したのだった。「瞬時に計算もできないのか?」と口から言葉が飛び出していた。最近は、コンビニでタッチパネルを操作した上で、自分自身で紙幣や硬貨を投入口に入れる会計が増え、原は慣れない操作を嫌って、もっぱら、店員が会計をしてくれる店を選んで買い物をするようにしているのだが、その店員の能力が昔よりも衰えていると感じられてしかたなく、イライラすることが増えていた。

妻を失くして独り身で迎えた老後

原が怒りやすくなったのは、長年連れ添った公子(享年57歳)を一昨年に亡くしてからのことだ。ちょうど定年退職を迎え、子どもたちはそれぞれに家庭を構えていたので、夫婦でのんびりした老後を過ごすつもりだったのだが、突然、胸が痛いと言って蹲(うずくま)ってしまい、救急車で運ばれた病院で心筋梗塞で亡くなってしまった。それまでは、病気らしい病気もしたことがなかった公子だった。自らの健康を過信していたわけではないのだろうが、あっけなく逝ってしまった。定年退職後は、夫婦で海外旅行や国内でのグルメ旅行の計画を立てていた。それが、公子の死によって、全てご破算となってしまい、原は公子の死から1カ月ほどは生きる気力を失くしたようなぼうぜんとした日々を送っていた。子どもたちが心配して同居の話などを持ちかけてくれたものの、原は家事全般は自分でもできる自負があったので、子供たちの同居の申し出を断った。それから、郊外の一軒家を売却し、駅前のマンションを購入して移り住んだ。

「言わなくても良い一言のために敵を作ってしまう」というのは、原が若い頃から周りに言われてきたことだった。公子からは、「あなたは他人も自分と同じようにできるべきだと思っていて、それができないと相手を見下してしまう。そんなことされて周りは気持ちいいはずはありません。他人を見下すようなことをやめてください」と口酸っぱく言われていたため、公子の前では一言癖はでなかったのだが、公子を失ってみると歯止めがなくなったようだった。原は、地方公務員として定年まで勤めあげ、公認会計士だった父親が残した1億円を超える財産の相続対策で苦労したものの、財産は運用して増やすことができた。公子が入っていた生命保険から保険金も支払われたため、定年時には相当の資産があった。公子を失って、しばらくぼうぜんとしていたものの、自身の資産ポートフォリオの効率化に取り組むことによって、徐々に活力を取り戻してきた。ただ、その際に、表に出てきてしまったのが、「一言多い」という性癖だった。

毎月の分配金が非課税にならない理不尽

先日も、資産のほとんどを預けている信託銀行で新NISAの口座のことで行員と言い争いになった。原は、今までNISA口座で行ってきた通りに毎月決算型の商品を購入したいと申し出たものの、新NISAでは毎月分配型が購入できないといわれた。カッとなった。「毎月分配の何が悪い。父親は『グロソブ(グローバル・ソブリン・オープン)』を1200万円分くらい持っていた。毎月60円の分配金が出ていた時は、月5.76万円の分配金が受け取れた。年金生活をしていると、その6万円近くの分配金がありがたいとよく言っていたものだ。その後、分配金は40円、35円と引き下げられたものの、35円の時だって毎月3.36万円の分配金を受け取っていた。

毎月分配ファンドは、『タコ足分配』とか言われて、実力以上の分配金を支払うファンドはサギみたいに言われる風潮があったことは知っている。しかし、年金暮らしをしている者にとっては毎月決まった額が分配金として受け取れることがありがたかったんだ。父親が2019年に亡くなった時、ファンドの基準価額は5000円くらいになってしまっていたけど、ゼロになったわけじゃない。1200万円が600万円になっただけだ。分配金で1000万円以上(税込み)をもらってきているんだから、分配金の受け取りと合わせると元本の1200万円は大きく増えたことになる。老人にとっては、元本が長生きすれば良い。お金を抱えてお墓に入るわけではないのだから、毎月の分配金がキチンと出ることの方が大事だ。死ぬ時に元本が半分も残っていれば御の字だ。

※ファンドのデータから筆者作成

最近の毎月決算型は、分配金の金額がすぐに変わるし、分配金が出ない月もある。そんな分配金は望んじゃいない」と言って、テーブルをたたいてしまった。もちろん、原は、若い行員が決して悪いのではないことはわかっていた。制度として金融庁が決めたものだから、行員はその決まりを説明しただけだ。ただ、父親の代から気に入って購入してきた毎月分配型の投信を否定されたように感じられて気分が悪かったのだ。

そもそも新NISAが始まって非課税投資枠が1800万円に増額されると聞いて喜んだのは、毎月の分配金が非課税で受け取れることに大きなメリットを感じたからだった。毎月5万円の分配金から1万円も税金で持っていかれるのは相当大きな負担だと感じていたからだ。特に、60歳で役所を退職してから、分配金にかかる税金が気になるようになった。「1万円あれば、それなりにぜいたくができるぞ」と思うと、それを楽しみにもしていただけに、毎月分配ファンドを新NISAで拒絶されたことが痛手に感じられた。

働かず資産を食いつぶすだけの金の亡者の行方

結局、その日は気まずい雰囲気のまま、何ら新しいプランを策定することなく支店を出た。原は、自分が金の亡者になってしまったように思えて落ち込んだ。退職して資産を取り崩して生活するようになったため、資産を効率よく配分し、節税にも気を配り、かつ、病気などをしないように健康にも気を配ることに努めようと思っていた。そうすると、毎日を恐る恐る生きているような気持ちになって、急に老け込んだように感じた。自分ひとりで作って食べることも味気なかった。そんな毎日は、ただ、退屈な時間だけが長々と続いていくような日々だった。いっそのこと、食事をとらずに、このまま人知れず死んでしまおうかとさえ思った。ところが、ある時を境に、そんな日常が一変した。それは……。

●原の退屈な日常を変えたものとは? 後編「余計な一言」でトラブルになりがちな60代おひとりさま男性をアップデートさせた「資産の使い道」にて、詳細をお届けします。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

風間 浩/ライター/記者

かつて、兜倶楽部等の金融記者クラブに所属し、日本のバブルとバブルの崩壊、銀行窓販の開始(日本版金融ビッグバン)など金融市場と金融機関を取材してきた一介の記者。1980年代から現在に至るまで約40年にわたって金融市場の変化とともに国内金融機関や金融サービスの変化を取材し続けている。

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