「わが子をプロ野球選手に」元甲子園球児の父の“呪い” 親元を離れた息子がとった「仰天行動」とは?
Finasee / 2024年6月4日 17時0分
Finasee(フィナシー)
薄暗い公園の頼りない照明に照らされて、息子の圭太が泣いている。その様子にいら立って、宗次は金属バットで地面をたたく。
「圭太、いつまで泣いているつもりだ⁉ ボールを取れるまでは帰れねえぞ!」
家から近くの公園。周りに人の姿はもうない。それでも宗次はバットとボールを強く握りしめていた。
しかし5歳になったばかりの圭太は泣いて動こうとしない。
この公園は電灯はあるが、それでも暗い。練習できる時間はもう限りなく少なかった。
「早くグローブを持って構えろ!」
宗次は怒鳴るが、圭太はぐずり続けた。地面には子供用のグローブが転がっている。
ノックで打ったボールがイレギュラーバウンドをして、圭太の顔に当たった。それが痛くて、泣き出したのだ。
宗次はイライラしながら、圭太に早くグローブをはめ直すように怒鳴った。こんな悠長な時間を過ごしている暇がないことを、圭太は分かってないのだ。遊びでやっているわけではないのに。
宗次はかつて球児として、甲子園に出場した。しかし夢だったプロ野球からの声はかからず、一般企業に就職した。社会人野球を続けたが、22歳のときにけがで思うようなプレーができなくなって引退をした。
みやびと出会って結婚したとき、もし男の子が生まれたら、絶対にプロ野球選手にしてやろうと決めていた。
そのために毎日、時間の許す限り、圭太に野球の指導をしていた。
「ほら、圭太! グローブを持ちなさい!」
宗次がそう言うと、圭太は諦めたようにグローブを持って、腰を落とす。そこに向かって宗次は強い球を打ち付けた。
指導者になった父宗次の生活は野球一色だった。
昔はプレーヤーとしてだったが、今回は指導者としてだ。毎日、圭太に自分が教わった野球の極意を教え込む。
さらに自分が教わったころと現代では野球の指導方法が全く違うことを知る。バッティングにおいて、宗次の世代はボールを上からたたくように打てと指導されていた。しかし今ではフライを打つようなアッパースイングが常識となっている。いわゆる”フライボール革命”というらしい。
自分の知識はあまり当てにならないと思った宗次は、指導の勉強も同時並行で行った。圭太に野球を教えられるのは宗次しかいない。だからおかしなことを教えてしまったら、圭太の野球人生を棒に振ることになる。
そう思い、睡眠時間を削って野球のことを勉強した。高校時代でもこんなに野球について考えたことはなかった。
圭太への個人レッスンを続けていくうちに、今の環境ではどうにもならないということを感じるようになった。
宗次が住んでいるのは、賃貸マンションだ。練習をするには近くの公園に行くしかない。ただ公園でできる練習は限られている。そこで宗次は圭太を近くの少年野球チームに入れることにした。
圭太が野球をやりたいと言ったときに最初に思いついていたのだが、圭太をわけの分からない人間に指導させることに抵抗を感じ、保留にしていたのだ。しかし練習環境と試合経験が得られるとなると、背に腹はかえられないと決断した。
その代わり、圭太と同時に宗次もコーチとしてチームに入った。こうして最高の環境を手に入れることに成功し、圭太もますます野球がうまくなっていった。
初めての対外試合、圭太は代打として出場し、いきなりヒットを放った。
宗次は静かにうなずいた。教えたとおり、素直にバットを振り、それが結果につながった。これを続けていけば、プロという道が見えてくる。そう実感した。
それから宗次はますます圭太への指導に熱を入れた。
「なあ、みやび。圭太が中学に上がるタイミングで、引っ越しをしようと思う」
「ええっ、また野球?」
台所で料理をしていたみやびは露骨に嫌そうな顔をした。
「ああ。とはいってもちょっとここから離れるだけだ。中学だって校区は今と変わらない」
「じゃあ何でよ?」
「近くにシニアのチームがあるんだ。そこは全国大会に出るくらいに強いからな」
「わざわざ引っ越さなくてもよくない?」
「ダメだ。移動の負担をできるだけなくして、練習に集中させたいんだ」
「あれ、中学の野球部は?」
「入れない。中学のときから硬式で練習をさせたほうが良いに決まってるからな」
みやびはよく意味が分かってないようだ。宗次も軟式と硬式の違いは面倒くさいので説明しなかった。
「でも、あなた仕事はどうするの?」
「……いや、それも大丈夫だよ。車で通うから」
みやびに気取られないように取り繕ったが、正直、仕事のことを全く考えていなかった。
プロ野球選手への道のりその後、圭太の中学進学を機に、坂元家は引っ越しした。
圭太は強豪シニアチームに入り、野球の指導は監督にお任せすることになった。
とはいえ、宗次の仕事がなくなったわけではない。野球がうまくなるためにはグラウンド以外でのことも大事なのだ。
特に宗次は食事が大切だと考えた。そこで圭太のために栄養学を学び、みやびに体を大きくするための献立を注文した。
ある夕食時、圭太がご飯を残していたことがあった。
そのとき、宗次は圭太に説教をする。
「圭太、何をしている。全部食べるんだ」
「う、うん……」
「白米の糖質がエネルギーになるんだ。それがないと満足に練習だってできないんだぞ。毎日、どんぶり3杯、それを食うって約束したろ。はやく食べなさい」
「ちょっと、今日は体調が悪くて……」
「言い訳をするな! だったら飯を食うまで席を立つことを禁止だ! ずっとこの席で過ごすつもりか⁉ 嫌なら、さっさと食うんだ!」
すべては圭太のためだった。宗次は心を鬼にして、圭太を指導し続けた。
そんな厳しい指導のかいあって、圭太はシニアチームでも早々にレギュラーを獲得し、3年次には全国大会でベスト8にもなった。
そうなれば、県内県外の幾つかの高校から推薦の話が来る。圭太と宗次は話し合いの結果、県内の野球強豪校に進むことにした。
しかし今までと違い、かなり家から離れているため、引っ越すというわけにはいかず、圭太は寮生活をすることになった。
圭太のいないグラウンド圭太が家を出てから、宗次は空気の抜けた風船のように気の抜けた生活を送っていた。
食事指導も野球の指導もする必要がなくなると、日々、何をしていいのか分からなくなった。
みやびはそんな宗次の様子に明らかに安堵していて、自分がどれだけみやびに苦労をかけていたのかを自覚し、胸が痛くなった。
それ以来、あまり野球の話題を家で出すこともなくなった。
しかし圭太は高校ではかなり苦戦をしたようで、1年の夏も2年の夏もスタメンはおろか、ベンチ入りすらできなかった。
それでも宗次の圭太への期待は揺るがなかった。なぜなら、宗次自身が3年からレギュラーの座をつかみ、甲子園で活躍をしたという経験があったかからだ。
そして2年目の秋を迎える。3年生は引退し、圭太たちが最年長になる時が来た。これが最後だと思うと、宗次の中で圭太に対する思いがどんどん強くなる。
あるとき、圭太に黙って、みやびと2人で練習試合を見に行った。
もうすぐ秋季大会を迎え、そこで結果を残せば、夏のレギュラー入りは見えてくる。だからこそ、練習試合はアピールの場として大事だと思った。
試合のある校庭に到着し、選手たちに見えないような場所で試合を見守った。
そこで宗次は違和感に気付く。それを口にしたのはみやびだった。
「あれ、圭太はいないのかしら?」
「そ、そうだな」
宗次は不安を覚えた。けがでもしたのかもしれない。
そこで同じく観戦に来ていた人たちの中に和田の姿を見つけ、声をかけた。
「和田さん、お久しぶりです」
和田は野球部のOBで後援会の会長を務めている。宗次たちを見て、気まずそうに顔をそらした。
「あの、圭太はどうかしたんですか?」
「そ、そうか、聞いてらっしゃらなかったんですね……」
「……何かあったんですか?」
和田は唇を動かして、何かを迷っていたが、意を決して口にした。
「圭太くん、退部したそうなんですよ」
その瞬間、宗次の頭は真っ白になった。
●圭太は親に黙って野球部を退部していた。その真意は……? 後編【「子供の分際で…」スポーツ推薦で寮生活をしていた息子が親に黙って退部した「切なすぎる理由」】にて、詳細をお届けします。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
梅田 衛基/ライター/編集者
株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。
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