「お父さんが殺したんだ」崩壊した親子関係の“やり直し”を決意させた亡き妻の「日記に書いた願い」
Finasee / 2024年6月11日 17時0分
Finasee(フィナシー)
<前編のあらすじ>
大吾は新卒から勤め上げた会社を定年退職した。仕事一筋で生きてきた大吾にとって、明日から仕事に行かなくてもいいというのは生きる意味を失ったも同然だった。
ひとまずは長年苦労を掛けた妻とともに旅行へ行く。妻が行きたがっていた神社仏閣を巡り、旅館で温泉に浸かり、食事をした。
「俺はこれからどうやって生きていけばいい……?」熱燗を1人で飲みながら、泣きながら大吾は妻の遺影に問いかける。
●前編:「子供たちには嫌われ…」仕事人間で家族をないがしろにしてきた夫が定年退職後の夫婦旅行で「号泣した理由」
妻の死15年前のあの日、長らく体調を悪くしていた満子に対し、大吾はいら立ちを覚えながら出社したのを今でも覚えている。
このときの大吾は大きな顧客相手に大事なプレゼンテーションを抱えていた。風邪なんてうつしてくれるなよ、と思いながら会社に向かった。
だが結果、満子は風邪など引いてなかった。
まだ当時一緒に暮らしていた由紀子が母親の異変に気付き、病院に引っ張っていった結果、悪性リンパ腫と診断された。すでに全身のあちこちに転移していたガンは容赦なく満子をむしばみ、診断からたった10カ月で満子は帰らぬ人となった。
大吾は満子が亡くなったとき、取引先との商談を行っていた。
由紀子からの連絡に気づけず、接待のあとに急いで病院に行ったとき、満子の体はもう冷たくなっていた。
元々、仲がいいとは言えない親子だったが、満子の死は――いいや、このときの大吾の態度は、家族に決定的な崩壊をもたらした。
由紀子にはどうして連絡したのに来なかったのかと責められた。健はお母さんは最期までアンタの名前を呼んでいたと怒鳴った。
『お父さんが殺したんだ』
病院での由紀子の悲痛な叫びを、刺すような健のあの目を、大吾は死ぬまで忘れることはないだろう。
初めて知った妻の願い旅館で目を覚ました大吾は2泊の予定を止めて、家に帰ることにした。
満子と行くことのできなかった旅行をやってみたのだが、気晴らしになることはなく、むしろ後悔をかみしめるだけだった。
家についた大吾は旅行かばんを置いた。やけに疲れると思ったら、満子の着替えまで持って行ったからか、とようやく気付く。膨れた革製の手提げかばんを見て、思わず鼻で笑った。そんなことをして、誰かに哀れんでほしかったのか。これ見よがしに遺影を座席に置けば、周りから同情を買えると思っていたのか。自分の浅はかさを悲しく思った。
時刻はまだ昼だった。1日が長かった。このまま何もしないでいては気が狂いそうで、大吾は家の掃除を始めた。そこにやけになっている気持ちがなかったと言えばウソになる。いつ死んでもいいように――そんな考えが大吾を突き動かしていた。
最初に寝室へ向かった。最近はろくに掃除していなかったから空気はほこりっぽい。どこから手をつけようかと考えたとき、目線が鏡台に止まる。嫁入り道具として持ってきた鏡台。いつも満子が化粧をしていた鏡台。満子が死んでからというのもずっと埃(ほこり)かぶっている鏡台から掃除しようと大吾は決める。それは罪滅ぼしのつもりなのかもしれなかった。
布巾を水でぬらし、なでるように台を拭いていく。鏡を拭いていく。引き出しを開けて、入れっぱなしになっている化粧道具やらを取り出す。なかに隠れるようにしまわれていた古いノートが目にとまった。大吾は思わずそのノートを手に取った。それは満子の日記帳だった。そこには、満子は日々の思っていたことを書いてあった。
小さい由紀子がつかまり立ちをしたこと。健が運動会の徒競走で2番だったこと。仕事一筋の大吾をねぎらう気持ち。なかには、大吾と子供たちの関係が思わしくないことへの心配も書かれていた。どうすればまた4人で楽しく過ごせるだろうか。どうすればまた家族4人で楽しく食卓を囲めるだろうか。
満子は大吾と子供たちの関係修復を願っていた。
「……ごめんな、……ごめんな」
ノートのページをめくりながら、大吾はただ謝った。視界はどんどんにじんでいって、文字はほとんど読めなかった。
満子の願いがかなうことはなかった。それどころか満子が死んでから、もう取り返しがつかないほどに関係は悪くなってしまった。
全て自分の責任だった。
パンジーの花が咲いたら満子の日記を読んでいた中で、1つ気付いたことがあった。それはガーデニングについての記述が多いことだった。確かに満子はよく庭いじりをしていたような気がする。しかしガーデニングが趣味だとは思わなかった。
日記を読む限りかなりの熱量だったようで、本を読んで情報を仕入れていたらしい。大吾は日記帳を携えて、庭に向かった。満子が死んでから誰も立ち入らなくなった庭は荒れ果てていた。こんなことにすら、大吾は気付いていなかった。
大吾は日記帳をテーブルに置き、庭に降りて、草むしりを始めた。こんなものが何になると意地悪な自分が問いかけてくる。何にもならないと分かっていた。これで満子が帰ってくるわけでも、子供たちとの関係が良くなるわけでもない。ただ何かをしていないと、おかしくなりそうだった。
満子のガンが発見されたときもそうだった。自分が見過ごしたせいで、と後悔した。そして大吾は日に日に弱っていく満子を見ていられなかった。だから仕事に逃げた。今まで以上に仕事をすることで、後悔や不安を押しつぶそうとした。
由希子と健から責められた。怖かったんだ、とは言えなかった。結果、子供たちからも見放され、家族3人を同時に失った。その喪失感をごまかすように、大吾はまた仕事をした。しかし結局は逃げ続けていただけ。
なんてかっこ悪いんだ。
気付くとあたりには黄金色の光が差し、手は泥だらけになっていた。庭は、きれいになっていた。
大吾は庭をぼーっと見つめる。何もない庭が今の自分のように思えた。
たとえば全てを失ったとして、また新しく何かを足していくことはできるだろうか。うまく実らないこともあるだろう。また雑草が生えて、荒れ果てることもあるだろう。でもそのたびに、きれいにすればいいんだ。この庭のように、自分の手で何度でもやり直しをすればいい。
どうすればまた4人で楽しく過ごせるだろうか。どうすればまた家族4人で楽しく食卓を囲めるだろうか。大吾の脳裏に、満子の言葉がよみがえる。遅すぎるかもしれないが、もう逃げない。満子のため、自分自身のため前を向いて、歩いてみよう。無理かもしれない。無駄かもしれない。それでもできる限りのことをやってみようと思った。
その間にたった1度だけでもいい、満子が望んだ景色を見せてあげたい。家族3人で食卓を囲むところを天国にいる満子に見せてあげたい。大吾はそれが自分の次の”仕事”だと思うことにした。
明日はパンジーのタネを買いに行こう。
満子のお気に入りの花。そしてこの花が咲いたら、子供たちに連絡をしてみようと思った。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
梅田 衛基/ライター/編集者
株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。
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