幼い息子への接し方が分からず怒鳴ってしまう…“モラ父”の「痛すぎる過去」
Finasee / 2024年7月2日 17時0分
Finasee(フィナシー)
真司はゆっくりと息を吐いた。”りょうすけ”と息子の名前が書かれたボードの下がる扉を静かに開ける。妻のほなみに部屋を片づけるよう言われていた亮介は床に広げた鉄道模型のおもちゃを箱のなかへしまっていた。
亮介は5歳でヤンチャ盛り。真司が37歳のときに生まれた長男だ。子供の成長というのは驚くほど早いもので、ついこないだまで哺乳瓶でミルクを飲んでいたはずなのに、今ではもう日本中の新幹線の名前や路線の名前をそらんじてしゃべるようになっていた。
「亮介」
真司が呼ぶと、亮介が小さな身体をこわばらせて警戒したのが分かる。
「亮介。……今日、また、友達をたたいて泣かせたんだってな」
真司はなるべく冷静かつ穏やかな口調を心がけた。亮介は首を横に振った。
「お母さんが言ってたぞ」
亮介は黙り込んだ。真司は廊下から部屋に入った。
「どうしてたたくんだ? たたいちゃダメだって前にも言ったよな?」
「たたいてない!」
「じゃあ何でそのお友達は泣いたんだ?」
「たたいてないよ!」
真司はいら立った。あからさまに吐き出したため息に、亮介は分かりやすく怯えていたが、この瞬間はいら立ちのほうが勝った。
「ウソをつくな! どうして分からないんだ! 男ならはっきりと認めたらどうなんだ⁉」
真司は思わず亮介を怒鳴りつけていた。真司の怒声に亮介が目を見開き、リビングからほなみが慌ててやってきた。
「お前は来年から小学生だぞ! いつまでもそんなことでどうする⁉」
亮介は大声で泣き出した。手に持ったおもちゃを床に投げ捨て、そのことがまた真司の癇(かん)に障った。
いや、真司が1番いら立っていたのは、思うように亮介に関われない自分自身なのかもしれない。ほなみに抱きかかえられたまま泣きじゃくる亮介を見下ろしながら、真司は激しい自己嫌悪に襲われた。
怯えた目で真司を見上げる亮介が、子どものころの自分と重なって見えた。
父に怯えた過去真司の父親・真幸は昔かたぎの気難しい人で、絵に描いたような亭主関白な父親だった。
警察官をしていて、学生時代は剣道で全国大会にも出場したことのあるバリバリの体育会系。母に対しては常に命令口調で、「おい」と言えばしょうゆが出てくると思っているようだった。母も母で、そんな父にあらがうことはせず、半歩引いて付き従う前時代的な理想の夫婦を、無批判に体現していた。だから真司にとって、家は心が休まる場所ではなかった。日が暮れて真幸が仕事から帰ってくると、家の空気は張りつめ、重たくなった。
真司は今でも竹刀が何かをたたいたときの乾いた音を耳にするたび、背筋のあたりがぞわりと不快になる。小学生の時、剣道を習わされた。真司は運動と名の付くものがとにかく嫌いだったし、不得意だった。しかし思うとおりの結果を出すことができない真司に、真幸は異常な厳しさで稽古をつけた。痛いと泣いても許してもらえず、地元の公民館で全身がしびれるまで執拗(しつよう)に竹刀でメッタ打ちにされることもあった。
真幸は大会を見に来たときは、最悪だった。ずっと心臓をわしづかみにされているような息苦しさがあり、練習の半分も力を出すことができなかった。そしてまた怒られ、たたかれた。
いつしか真司は真幸の目を怖がるようになった。少しでも自分の思い通りにならないことがあれば、すぐに怒鳴る真幸との生活は、常に爆弾が横にあるようで生きた心地はしなかった。
楽しかった思い出に、いつも真幸の姿はない。
つらい思い出にはいつも真幸の姿があった。
父親としての「振る舞い」に悩む「いくらなんでもあれはさすがに怒鳴りすぎだよ」
夜の寝室でほなみがため息を吐くように言った。
「ウソを吐くからいけないんだ」
「まあそうかもだけど」
突き放すように言った真司に、ほなみはもう一度ため息を吐いた。
「でもさ、怒鳴ったことはちゃんと謝りなよ? このままだと、亮介、パパとしゃべってくれなくなるよ」
分かっていた。他でもないかつての自分がそうだったのだ。
だとしても、どう接するのが正解なのかが分からない。真司にとっての父親とは恐怖の権化である真幸に他ならず、子供に対してどう振る舞う父親が正しいのかを知らなかった。
「明日、謝るよ」
「うん。大丈夫だよ」
謝るための足がかりすらないままに言った真司に、ほなみはうなずいた。ベッドに入ったほなみが手を伸ばし、ベッドサイドの明かりを消す。
暗闇のなかで、真司は謝り方を考えて唇をかむ。
病に伏せった父謝ると言った”明日”が来ないまま1週間が過ぎたころ、母から電話があった。
慣れないLINEが送られてくることはあっても、電話がかかってくることは珍しかった。久しぶりに聞く母の声が少しかすれているように聞こえるのは、何も年のせいだけではないとすぐに分かった。
「……実はね、お父さんが病気で倒れたのよ」
真幸は73歳。体を悪くしてもおかしくない年齢だったから、真司に驚きはなかった。
「そうなんだ」
「それでね、真司、お見舞いにこれないかな……?」
「は? 俺が?」
「そうよ。あなた、息子なんだから」
「いやいや、勘弁してくれよ。おやじだって、別に俺に会いたくないだろ」
真幸とは5年以上会ってない。最後に会ったのは亮介が生まれたばかりのころだった。
「そんなことないと思うよ。お父さん、真司のこといつも心配してた」
「バカ言うなよ。それこそそんなわけないだろ」
真司は乾いた声で吐き捨てた。電話の向こうで母が黙り込む。真司の脳裏に母の悲痛な面持ちが思い浮かんだ。真幸の亭主関白ぶりに苦労を掛けられた母を、真司は悲しませるようなことをしたくないと思っていた。
「……わかったよ。休みを確認してみる。してみるだけだから、行けるかは分かんないけど」
「お願いね。あの、お父さんね、ほんと、長くないかもしれないから」
母の言葉を聞いても、真司は何も思わなかった。
電話を切ると、ほなみが心配そうに話しかけてくる。
「誰から? なんかもめてたみたいだけど……」
「おふくろ。おやじが倒れたらしい」
「えっ⁉ 大変じゃない。容体は……?」
「さあ、長くはないかもとは言ってたけど、病名とかは聞いてない」
「そっか……どうするの?」
「どうするって?」
「1回、ちゃんと会ってきたら?」
ほなみの言葉に真司は驚いた。具体的な話はしていないが、ほなみは真司と真幸の間にある確執を知っていた。だから真司が5年も真幸と会ってなかったり、実家に帰りたがらないことについて何も言ってきたことがなかった。
「ほら、私もさ、お父さんを先に亡くしているから」
ほなみは8年前に父親を事故で亡くしていた。付き合いたての頃だったし、あまりにあっけらかんとしているほなみが印象的で、真司もよく覚えていた。
「真司ほどじゃないけど、私もお父さんとうまくいってなかったから。でも、少したってから、アルバムとかを見返したら、お父さんが私のことをすごくかわいがってくれてる写真が残っててね。多分、私が拒絶していただけで、ちゃんと会話をできてたら、あそこまで不仲にはならなかったのかもなって思ってる。せめて亡くなる前に仲直りだけはしたかったなって今でも少し、後悔してるんだ」
仲直り?
真司は能天気なほなみの言葉に引っかかりを覚えた。自分と真幸の関係はそんな生易しいものではない。だからたぶん、このまま真幸が死んでいったとしても、真司がほなみと同じ後悔を抱くようなことはないだろう。
だが、死ぬ前に文句くらいは言ってやってもいいかもしれない。俺はお前が嫌いだったと突きつけてやるのも悪くない。
●真司と実父の深い溝……。最後に雪解けをする可能性はあるのだろうか? 後編【厳し過ぎた不仲の父に「あの頃の文句を言ってやる」…危篤になった父が病床で息子に語った「衝撃の真意」とは?】にて、詳細をお届けします。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
梅田 衛基/ライター/編集者
株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。
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