「高いのにお得に感じる」。必ずしも合理的とは言えないが「日本人が保険好きになった」必然の理由
Finasee / 2024年7月11日 13時0分
Finasee(フィナシー)
今、行動経済学がブームです。
行動経済学は「心理学」と「経済学」が融合した比較的新しい分野の学問です。ビジネスから生活まであらゆる場面で生かせ、行動経済学者のノーベル経済学賞受賞も続いています。最も注目を浴びている学問と言ってもいいでしょう。
長年、ビジネスの最前線で行動経済学を活用してきた橋本之克さんは、「行動経済学を知れば、自分自身の不合理さに気づくことができる」と言います。夫婦喧嘩から保険投資まで、どうして人は合理的な判断ができないのかを橋本さんに解き明かしてもらいます。(全4回の4回目)
●第3回: 多すぎる選択肢の中から選ぶのは、後悔と不満のもと!? デジタル化以前のほうが「買い物の満足度」は高かったかもしれない“理由”
※本稿は『世界最先端の研究が教える新事実 行動経済学BEST100』から一部抜粋・再編集したものです。
保険が日本で普及したわけ
保険は、大別すると損害保険と生命保険に分けられます。そしてこれらは、制度や商品ができた時期や定着した経緯が少しずつ異なります。
損害保険の歴史は長く、古代オリエント時代までさかのぼります。資金を借りて旅に出た商人たちが、災害や盗賊の襲撃で荷を失った場合、資金を貸した者が損害を負うという取り決めから始まりました。さらに、15世紀半ばから17世紀半ばの大航海時代には海上保険も生まれました。船や積み荷の持ち主がそれらを担保に借り入れし、無事に帰ったら利息を付けて返済し、船や積み荷にトラブルがあれば返済が免除される仕組みです。
海上保険に続いて、ロンドン大火(1666年)をきっかけに火災保険も誕生しました。日本でも江戸時代の朱印船貿易の時代に、この海上保険に似た制度が生まれています。
もう一方の生命保険は、中世ヨーロッパの同業者組合「ギルド」で冠婚葬祭などの費用を分担し合ったのが起源と言われます。その後17世紀に英国の寺院で牧師が組合を作り、万一の際に遺族へ生活資金を渡すために保険料を出し合いました。これが生命保険の始まりです。
日本における保険は1867年、福沢諭吉が海外の保険を紹介したことがきっかけとなり始まります。1879年には海上保険会社、1888年には火災保険会社が設立されました。生命保険会社の設立は1881年です。
明治時代から大正時代にかけては、日清戦争(1894~1895年)と日露戦争(1904
~1905年)、関東大震災(1923年)など大きな出来事があり、戦死者や犠牲者に多額の保険金が支払われました。しかしこれらの悲劇によって逆に、多くの人々が生命保険の存在とメリットを知るようになりました。
第二次世界大戦(1939~1945年)後には、手に職のない多くの戦争未亡人が保険のセールスレディとなりました。各保険会社はこぞって受け皿を作り、彼女たちは日本中で家庭訪問や職域訪問による営業を行いました。
1980年代になると、大卒以上の学歴と税制や法律などの知識を備えたライフプランナーによるコンサルティングセールスも登場します。さらに時が経ち、ネット社会となった今ではデジタルメディアが、保険加入を促す情報提供や保険販売のチャネルとなりました。
こういった歴史を改めて見ると損害保険の根底には、商売などにおける「リスクの分散」や「投資」の狙いがあるようです。一方の生命保険は、「相互扶助」の精神で生まれたと考えられます。
戦後日本における生命保険の普及においても、一生懸命に販売ノルマを達成しようとする戦争未亡人と保険加入者の間に、暗黙の相互扶助意識があったと想像できます。ちなみに、当時の保険販売方法は「GNP」などと呼ばれました。これは、「義理(G)」、「人情(N)」「プレゼント(P)」の三つです。保険知識の乏しいセールスレディたちはGNPで日本中に保険を浸透させました。このような働きもあって、現在の日本は比較的、保険加入率が高いと言われています。
「生命保険文化センター」の調査によると、2022年時点の生命保険加入率は、男性77・6%、女性81・5%だそうです。また、一世帯当たりの年間払い込み保険料は、2021年時点の平均で37万1000円でした。これを30年間払い続けるとトータルで1113万円、40年間だと1484万円になります。
仮に、こういった月々の支払いを貯蓄に回すという発想があれば、保険に加入しなくても、万一に対応することも可能かもしれません。にもかかわらず保険に加入する人が多いのは、なんらかの原因があるはずです。その原因を行動経済学の視点から考えていきます。
高価なのにお得に感じる謎まず、生命保険に加入したくなる理由を考えていきましょう。
生命保険は加入者が死亡または病気や事故で入院、ガンの診断を受けたなどの際に役立つものです。亡くなる、病にかかるなど本人や周囲の人にとって、肉体的にも精神的にも大きなダメージを受けた時に必要になります。
保険に加入したくなる心理が高まるのは、こういった「リスク」や対処の必要性を身近に感じた際でしょう。
オレゴン大学のポール・スロヴィックは「実際以上にリスクを過大に評価してしまう要素」のリスト化しています。その中でも以下の項目が、特に生命保険との関わりが強いと考えられます。
・犠牲者の身元:抽象的でなく身元のわかる犠牲者だと危険意識が高まる
・事故の歴史:過去に良くない出来事があると危険意識が高まる
・個人による制御:被害が自分で制御できるレベルを越えたと思うと高リスクに感じる
・利益:対象がもたらす利益が明確でないと、明確な場合より高リスク
・復元性:うまく行かなかったときに、結果を元に戻せないとリスクが高い
・極度の恐怖:結果が恐怖心を引き起こす場合、危険意識が高まる
これらのリスクと、保険が必要になる事態との整合性を見ていきます。
・「犠牲者の身元」は自分の家族
・「事故の歴史」として家族の死や病気は、自分や身内で経験した人も多いはず
・事故に対して「個人による制御」はできない
・これによる「不利益」は精神面から経済面まで見通しがつかないほど大きい
・元に戻るかどうかという「復元性」も、特に死亡の場合はできない
・こうした事故に対しては当然ながら「極度の恐怖」を感じる
このように高いリスクを感じて、人は生命保険に入るのです。
プロスペクト理論の二大法則一方の損害保険はどうでしょう。これは物が壊れたり、物を失ったりといった「損失」に関わる保険です。「価値関数」を含めた行動経済学の理論をいくつか見ていきます。
ダニエル・カーネマンとエイモス・トヴェルスキーが提唱した理論に「プロスペクト理論」というものがあります。これは損失回避の上位にある、行動経済学における代表的な理論です。
人が損失と利得をどのように評価し選択するかを解き明かします。ちなみにプロスペクトは、期待・予想・見通しといった意味です。以下は、プロスペクト理論の二大法則です。
・確率に対する人の反応は線形ではない
・人は損得の絶対量ではなく、損得の変化量から喜びや悲しみを感じる
法則の一つ「人の反応は線形でない」というのは、この損得と満足不満足の関係を表す線が直線ではなく曲線だということです。そして、損得が大きくなる、つまり中心から左右に遠ざかるほどに、反応を示す上り幅と下がり幅は小さくなります。
この性質を、行動経済学では「感応度逓減性」と呼びます。損得の値が小さいうちは、小さな変化が大きな喜びや悲しみをもたらします。損得の値が大きくなるにつれ、変化への反応が鈍くなります。例えば、気温が25度から30度に上がるより0度から5度に上がるほうが、同じ5度でも変化を強く感じます。これが感応度逓減性です。
プロスペクト理論のもう一つの前提である「損得の絶対量ではなく、損得の変化量から喜びや悲しみを感じる」を端的に説明するために以下の二人の違いを見て頂きます。
Aさん:昨日は100万円持っていて、今日500万円持っている
Bさん:昨日は900万円持っていて、今日500万円持っている
今日持っている金額が同じ500万円でも、昨日より増えたAさんは喜んでいるでしょうし、減ったBさんは悲しんでいます。同じ金額を持っていても今日に至る過程の変化が逆だからです。人は絶対量でなく、こういった変化の量で損得の評価をするのです。この変化の基準になるのが「参照点」です。
前述の例でいえば、Aさんは100万円、Bさんが900万円所有した状態です。変化が重要だとして、これを左右するのは変化の起点となる参照点です。この参照点がその後の評価を左右する法則を「参照点依存性」と呼びます。
さて、この法則と特に関わりが深い保険があります。家電などを購入した際に、追加の保険料を支払うことで保証が充実するタイプの保険です。例えば「10万円のパソコン購入時に3000円を払うと保証が3年に延長される」といったものです。この保険に入ってしまう理由は何でしょう。
「10万円のパソコンの支払い時に3000円で3年保証をつける」場合と「既に持っているパソコンに3000円払って3年保証をつける」場合を比較します。購入時に保険に入るかどうかの判断は、10万3000円払うか、10万円払うかの選択です。既に持っているパソコンの場合は、単純に3000円払うか払わないかの選択です。
これらの比較の参照点はともに0円です。そして「マイナス10万3000円orマイナス10万円」と「マイナス3000円orプラスマイナス0円」を比較するものと考えられます。前者では基本マイナス10万円なので、感応度逓減性により3000円の負担は小さく感じます。逆に、後者の心理的負担は何も払わないか3000円を払うかの選択なので、払うことへの抵抗感が生まれます。その結果、前者の場合は抵抗感を感じずに保険に加入するのです。
著者 橋本之克
出版社 総合法令出版
定価 1,650円(税込)
橋本 之克/マーケティング&ブランディング ディレクター/著述家
東京工業大学卒業後、大手広告代理店を経て1995 年日本総合研究所入社。1998年よりアサツーディ・ケイにて多様な業界の企業に向け、行動経済学による調査分析や顧客獲得業務を実施。昭和女子大学「現代ビジネス研究所」研究員、戸板女子短大および文教大学で非常勤講師を兼任。主な著書は『今さら聞けない行動経済学の超基本』(朝日新聞出版)、『9割の買い物は不要である』(秀和システム)など。
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