「タダなんだから…」高齢母の“タクシー感覚で救急車を呼ぶ”クセを治した「もっと早くすれば良かった」提案
Finasee / 2024年7月8日 17時0分
Finasee(フィナシー)
<前編のあらすじ>
冨美子(76歳)は、1年前に夫に先立たれてしまった。娘夫婦もめったに顔を見せず、電話をかけても邪険にされることから、寂しさを感じる日々を送っていた。
本格的な夏がやってきて、気温が高まったある日、冨美子熱中症で病院に搬送される。救急隊員や看護師たちは優しく、連絡をもらって駆けつけた娘も仕事を休んで入院中の冨美子のそばにいてくれて、何にも代えがたい幸せな2日間となった。
しかし退院して家に帰ってくると、また寂しい日常が始まった。そんな折、救急車を呼んだ時の“緊急通報ボタン”が目に入る。その瞬間、冨美子の脳裏に「ある考え」が浮かんだ……。
●前編:「突然視界がぐるぐると…」高齢者の熱中症、夫を亡くした70代女性が入院中に考えた“はた迷惑な”行為
緊急通報ボタンを押しただけ玄関が開き、救急隊員が家の中に入ってきた。
「大丈夫ですか⁉ どうしましたか⁉」
「うう~胸が痛い~……」
冨美子は床に寝っ転がりながら胸を押さえて痛みを訴える。救急隊員たちは冨美子をすぐに担架に乗せ、病院へと搬送した。
しかし実際のところ、胸はこれっぽっちも痛くなかった。ただ緊急通報ボタンを押しただけ。こうすれば、また病院に搬送され、入院をすることができると思った。最初に搬送されたときは意識がもうろうとしていたせいで覚えていなかったが、救急車の中はこうなっているのかとしげしげと見渡した。
「お名前は言えますか?」
救急隊員が話しかけてくる。冨美子はそれに答える。
「もちろん、今野冨美子です」
「生年月日をお願いします」
冨美子は聞かれたことをスラスラと答えていった。救急隊員たちは何か目配せをしたように見えたが、これからやってくる幸せな時間を思うと、冨美子は胸が躍るばかりで、そんなことはすぐにどうでもよくなった。
タクシー感覚で救急車を呼ばないで病院についてからも胸の痛みを訴える演技をし、念のためと検査をされた。しかし異常は見当たらず、自宅で安静にと告げてきた医者に、冨美子はでも胸が痛いんですと無理を言って休ませてもらうことになる。
「具合はどうですか?」
「ええ、とても元気になりました。ありがとう」
しばらくたって医師が尋ねてくるが、冨美子はもとから元気だった。
「そうですか。それじゃ一応点滴だけ、打っておきますね」
「あの、娘に連絡は?」
「しましたよ。ですが、特に異常もなく、お元気ですので、今日のところはひとまずお家に帰っていただいて、もしまた何かあれば病院にいらっしゃってください」
「え、娘は何も言ってなかったんですか?」
「いえ、お出になりませんでした。一応留守電は残してありますので、もしかしたらお母さんにご連絡があるかもしれません」
「いや、もっとちゃんと連絡してくださいよ!」
「ですから……」
医者は溜め息を吐き、同じ説明を繰り返すだけだった。結局、冨美子は入院もなく追い出されるように病院を出るしかなかった。
病院の前から出るバスに乗って帰った冨美子は、家に着くなり幸代に電話をかけた。長い長い呼び出し音のあと、冨美子の耳に聞こえてきたのはいつかよく聞いていた幸代の冷たい声だった。
「どうしたの?」
「どうしたのって、こっちのせりふよ。病院から電話あったでしょ? どうして来てくれなかったの?」
「はぁ? だって医者が問題ないって言ってたから。それにそんな簡単に仕事を休めるわけないでしょ」
「私、救急車で搬送されたんだよ?」
「大したことないんでしょ? そんなことでイチイチ救急車呼んだら迷惑だって」
「別にあんなのはタダなんだから、好きに呼んでいいでしょ?」
冨美子は思わず言い返したが、幸代から戻ってきた吐き捨てるような渇いた笑みは、冨美子の心を深くえぐっていった。
「いやいや、タクシー感覚で救急車を呼ばないで。救急隊員の人たちは仕事でやってるの。本当は1回の出動で4万5000円くらいかかるんだって。ちょっと前に話題になってたじゃん。だから、ほんとに困ったとき以外は呼ばないこと。いいわね」
幸代との通話は、冨美子の返事を待たずに切れてしまった。
救急車を呼んだ原因は…冨美子はそれからというもの、毎晩のように入院をしていた期間の幸せだった時間を思い起こした。そしてまた体調が悪くならないかと祈った。
だから唾を飲み込んで喉にかすかな痛みを覚えたとき、冨美子はようやく来たと喜びを覚えた。うれしくなった冨美子はすぐに緊急通報ボタンを押して、玄関で救急車の到着を待った。「ちょっと、喉が痛くて息ができないし、声も出ないんだよ」
「……じゃあ、取りあえず救急車に」
救急隊員の顔を見るや冨美子は前のめりに訴えたが、彼らは担架も使わずに冨美子を救急車へ乗り込ませる。病院についてから診察を受けても、誰も冨美子に優しい声をかけてくれることはなく、流れ作業のように診察を終えた。
「一応……」と、渋る医者から処方箋を出してもらい、病院を後にした翌日、久しぶりに幸代が実家に帰ってきた。しかし以前とは打って変わり、幸代が怒っていることは一目瞭然だった。
「病院から電話があった。どういうつもり?」
「何のことだい?」
冨美子は悪びれずに首をかしげる。幸代は深く溜め息を吐く。
「喉が痛くて救急車を呼ぶなんて非常識なことしないで。 私が代わりに謝ったんだから。 お願いだからさ、恥をかかせるようなことしないでよ」
恥をかかせる、と言われて、冨美子の顔の奥はかぁっと熱くなった。
「だ、だって体調が悪かったんだよ! なんでそんなふうに怒られないといけないんだい⁉」
「喉が痛い程度なら、タクシーでも使って病院行けば良いでしょ。 何でわざわざ、救急車なんて呼ぶのよ⁉」
「だ、だって……」
言いよどんだ冨美子に、幸代はたたみかけるように言葉を重ねた。
「病院の人が言ってた。高齢者の人がこういう不適切な利用をするときは大抵が誰かの気を引きたいとか、寂しさを紛らわすためなんだって。どうせ喉が痛いのだって仮病なんでしょ?」
「ち、違うわよ!」
「あのね、救急車を不適切利用したらいけないの。消防法や偽計業務妨害で罰金をとられたりする場合もあるの。知ってた? お母さんは罰を受けたいの?」
「そ、そんな大げさな……」
「本当よ! 私がそう言われたんだから!」
どうして罰を受けるのかが分からなかった。悔しいのか悲しいのか分からないのに、顔の奥にあった熱は涙に変わって、視界をにじませた。
「寂しいのは、そんなにいけないことなのかい……」
そう絞りだした瞬間、冨美子の目から涙があふれた。みじめだと思った。いい年して泣くなんて恥ずかしいと思った。けれど涙は止まらなかった。
「ごめん。言いすぎた」
やがて、幸代のかすれた声が聞こえた。冨美子は視界を覆う涙を拭った。拭っても拭っても、涙はあふれた。
「ううん、違うわ。言いすぎただけじゃない。ずっとほったらかしにしててごめん。お母さん、お父さんが死んじゃって寂しかったんだよね」
冨美子の身体を、優しく包み込む体温があった。冨美子はその温度にすがるように、幸代のことを抱きしめ返す。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
冨美子は子供ように泣きじゃくった。
デイサービスは老人が使うもの?それからしばらく、久しぶりに帰ってきた幸代がデイサービスを提案してきた。
「デイサービス?」
その単語を聞き、冨美子は顔をしかめた。老人が使うものというイメージがあり、自分がそこまで老けてるつもりはなかった。
「別に介護だけじゃないよ。施設に行けば、同じような世代の人たちと一緒にレクリエーションができるの」
「え、そうなの?」
冨美子は同世代の人たちと過ごせるということに興味を持った。
「そうよ。お友達ができたら、今よりもずっと楽しくなるんじゃない?」
幸代の提案に冨美子は目を細めた。
正直なところ、デイサービスが自分に合っているかは半信半疑だ。それでも自分のことを考えてくれた幸代の気持ちに応えるために、冨美子はデイサービスを受けることを決める。
同じような境遇の友達が数多くできたあれからもうすぐ2カ月になる。冨美子は介護認定を受け、幸代が進めてくれたデイサービスを受けられるようになっていた。
最初は老人扱いされているような気がして、あまり気乗りしなかったが、レクリエーションを通じて同じような境遇の友達が数多くできた。施設を利用してないときも、携帯を使って連絡を取り合えるようになったことで、冨美子の生活は一変していた。夫を亡くした寂しさは癒えてきて、もう救急車を呼んで人の気を引こうなんて考えることもなくなった。
冨美子が台所に立っていると、玄関のチャイムが鳴った。手を止めて玄関に向かい、扉を開けるとデイサービスの施設の職員が笑顔で立っていた。
「おはようございます、今野さん」
「ああ、はいはい、今すぐ準備しますからね」
「あれ、とってもいい匂い。何か作ってたんですか?」
「ええ、今日はみんなでおやつを持ち寄りましょうって話になったから、マフィンをね作ってみたのよ」
あれだけおっくうだった料理やお菓子づくりも、施設に通うようになってからは楽しんでやれるようになっていた。
「へえ、いいなぁ。私にも1つ味見させてください」
冨美子は笑顔を浮かべてうなずいた。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
梅田 衛基/ライター/編集者
株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。
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