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「正社員になれずバイトを続け…」元プロ野球選手の悲惨な生活を救った恩師の“思ってもみなかった”言葉

Finasee / 2024年7月10日 17時0分

「正社員になれずバイトを続け…」元プロ野球選手の悲惨な生活を救った恩師の“思ってもみなかった”言葉

Finasee(フィナシー)

<前編のあらすじ>

野球人生のすべてをかけたトライアウトの日に失敗し、プロ野球選手を引退した涼(31歳)は、これからは高校時代から支えてきてくれた妻と娘のために生きようと決意をした。

妻の実家の近くに引っ越し、就職活動を始めた涼。ハローワークの相談員は難しい顔をしながらも、地元の企業をいくつか紹介してくれて、面接までこぎつけることができた。

しかし高卒からプロ野球に入り、野球しかしてこなかった涼に社会は冷たく、面接では引退理由などを聞かれ、好機の目にさらされながら連戦連敗。野球も転職活動も成果を出すことができない涼は落ち込んでいた……。

●前編:「ビジネスソフトすら使った事がない…」元プロ野球選手の引退後に立ちはだかった“30代で未経験“の壁

懐かしい恩師からの意外な提案

連敗の数と「お祈りメール」が積みあがるだけの、うだつの上がらない日々を過ごしていたときに、懐かしい相手から電話が掛かってきた。

「久田先生、お久しぶりです」

『ああ、良かった。連絡先が変わってたらどうしようかと思ってたよ』

「いえいえ、先生に黙ってそんなことしませんよ」

久田は理学療法士で、大学時代、そしてプロになってからも何度もお世話になっていた。腰椎分離症に悩まされ、しばらく野球をすることができず、座ることすら痛い症状だったときも、久田と二人三脚のリハビリのかいもあって無事に快方に向かい、野球を続けることができた。

『引退をしたと聞いて、すぐに連絡ができれば良かったんだけど』

「お気遣いありがとうございます。こうしてご連絡をいただけるだけでうれしいです」

久しぶりになじみの声を聞いて落ち着いたのか、思わずため息が漏れた。

『……今はどうしてるんだ?』

「妻の地元に帰ってきて、転職活動してます。でもさっぱりですね。31歳まで、野球しかしてこなかったツケをがっつり支払わされてる感じです」

涼は自嘲するように笑う。

「それで、今日はどうして連絡を?」

『ああ、どうしてるかと心配になってね。家族がいるから心配はしてないが、現役生活を終えたあと、燃え尽きたようになってしまう選手も多いから』

「先生には、本当に感謝してます。こうやって、今も俺なんかのことを気にかけてくれて」

面接ではずっと冷ややかな言葉や視線を向けられていたからだろうか。久田の穏やかな声は涼のささくれ立っていた気持ちに寄り添ってくれているような気がした。

『単なる年寄りのお節介だ。感謝することなんてない。君はさ、年も背格好も全然違うけど、兄に似てるんだよ』

「お兄さんに……?」

涼と久田の付き合いはそれなりに長いが、初めて聞く話だった。

『兄はレスリングをやっていてね。それなりに有名な選手だったんだが、けっきょくオリンピックに行けるかもというところでけがに泣いた。単に強い選手なだけでは届かなかった。そのときかな、私が理学療法士になろうと思ったのは。けがで苦しむ人の力に、なりたいと思ったんだ』

けがで苦しむ人の力に――。

涼は久田の言葉を頭のなかで反すうした。実際、涼は久田に助けられた。彼がいなければ現役生活はもっと早くに終わっていただろう。

きっと今も、自分と同じようにけがに苦しんでいる選手は大勢いる。それは野球だけではない。あらゆるスポーツに、あるいはあらゆる日常に、そういう人は確かにいて、今もその現実と、自分の身体と、必死になって戦っている。

『そこで次もまだ決まっていないようだし、お節介ついでに、提案なんだが、理学療法士を目指してみたらどうだだろう』

「俺が、ですか……?」

『ああ。君はけがをした人のつらさや苦しさが分かる。だからこそ、きっといい理学療法士になる」

「俺みたいに30を超えて、何の資格がない人間でもなれるんでしょうか……」

『しっかりと学校に行って、資格を取れば、働けるよ。君みたいに30歳を超えてから資格を取る人も、多くはないがいないわけじゃない』

即答することはできなかった。

確かに理学療法士は魅力的だ。けがに苦しみ続けた自分にしかできない仕事があるような気もした。しかし学校に通えば3年、ないしは4年ほど、また楓たちに迷惑をかけることになる。そんなことができるはずもなかった。

「ありがとうございます。その言葉だけでもうれしいです。ちょっと考えてみます」

力なくそう言って、涼は電話を切った。

久田の手前、考えてみるとは言ったものの、答えはすでに決まっていた。

妻と娘のために生きる。それが涼のこれからの人生なのだ。

妻には見透かされていた

その後も採用を勝ち取ることができず、涼は近所のスーパーで品出しのアルバイトをしながら転職活動を続けた。もうだんだんと慣れつつある冷たい視線を向けられ、自分の無価値さを強引に確かめさせられ、涼は帰路についた。

しかし真っすぐ帰ることはせず、河川敷に座り、グラウンドで練習をしている少年野球チームを眺めた。彼らを見ていると、心が洗われ、惨めな思いが紛れるような気がした。

投手をやっている子はエースらしい振る舞いをしていて、自信に満ちあふれている。自分もそうだったなぁと涼はほほ笑ましく思った。涼は野手だったが、元気のよい後ろ姿にかつての自分を重ねていた。

「また、ここにいるの?」

振り返ると、楓の姿があった。

「あなたがここに来てるの、何回か見てたから。今日もそうかなぁって思って来たんだ」

「に、新奈は?」

「実家で遊んでる。今から迎えに行くところ」

涼は気まずさを感じてうつむいた。その涼の肩に、ぼすっと何かが当たって落ちる。使い込んだ懐かしい革のにおいがするそれは、捨てたはずのグローブだった。

「どうしてこれ、捨てたはずじゃ……?」

「捨てるわけないじゃない。大事なものでしょ。それに、元プロ野球選手のグローブだよ? プレミアがついて売れるかもしれない」

楓は冗談めかして言って、涼の隣りに腰を下ろした。河川敷からは金属バットがボールを打つ軽やかな音が響く。

「やっぱ野球、好きなんでしょ?」

図星を突かれ、涼は言葉に詰まった。考えていることのすべてが楓には見透かされているような気がした。

「別に選手じゃなくたっていいんじゃない? 野球への関わり方なんていっぱいあると思うし、どうしてもっていうなら別だけど、こだわることじゃないと思うな」

「いや、でも、もう楓たちに迷惑は――」

言いかけた言葉をさえぎるように、楓の手が涼の肩をたたいた。大した力を入れていないはずのそれは、涼の身体に深く重く響いた。

「今更何言ってんの。私も新奈も、ここまでついてきたんだよ? 涼が納得いくまで挑戦するのに、迷惑なんて思わないよ」

楓は笑った。夕日に重なった楓のシルエットが、あっという間ににじんでいった。涼は顔を伏せ、歯を食いしばったが、あふれる感情は制御が効かなかった。

「なんかあるんでしょ? 話したいこと」

涼は久田からの提案について楓に話した。そして、まだ野球から離れたくないこと、身勝手ながら理学療法士を目指してみたいことを伝えた。反対されても構わなかった。どんなに身勝手で、迷惑でも、これが涼の正直な気持ちだった。

「最高じゃん! それ、絶対に涼にしかできない仕事だよ! 絶対やったほうがいいって!」

「でも、今から資格取るってことは、3、4年は掛かるし……」

楓は強い目線を涼に向ける。

「関係ない。無理やり仕事をやっても続かないんだから、心からやりたいことをやるべきだよ。それに貯金だってまだあるし、私たちの生活は全然心配しなくていいから」

「……ありがとう」

「うん。それじゃ、新奈を迎えに行こうよ」

楓と涼は立ち上がる。西の空に沈んでいく真っ赤な夕日が、目に焼き付いていた。

娘と同じ「1年生」からのスタート

「いいじゃん。スーツもまあまあ似合うね」

楓に肩をたたかれる。涼は背筋を伸ばして息を吐いた。

あの日から1年がたつ。理学療法士を志すと決めてから、涼はバイトをしながら勉強を続けた。今日はその入学式だった。

「行ってくる」

「うん、いってらっしゃい。ほら、新奈も」

笑顔の楓の隣りで、新奈も真新しいランドセルを背負っている。娘と同じ1年生というのは気恥ずかしい気もあったが、悪くない始まりだった。

「パパ、いってらっしゃい」

「ありがとう。新奈もいってらっしゃい」

ここからまた自分の新たな野球人生が始まる。

いつも支えてくれる楓と新奈に感謝をしながら、涼は新しい挑戦に向けて足を踏み出した。

複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

梅田 衛基/ライター/編集者

株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。

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