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「母さんといることが限界だ」と涙の訴え…定年退職した父が“夫婦別居”を望んだ「切実な理由」

Finasee / 2024年7月12日 13時0分

「母さんといることが限界だ」と涙の訴え…定年退職した父が“夫婦別居”を望んだ「切実な理由」

Finasee(フィナシー)

勝手極まりない老親たち

北海道在住の森山吹子さん(仮名・40代・既婚)の現在79歳の父親は、2017年に脳出血を起こして手術を受け、1カ月半ほど入院。一命はとりとめたものの指先にしびれが残った。一方、現在78歳の母親は2018年10月、心筋梗塞を起こして倒れ、搬送先の病院で手術を受け、1カ月ほど入院した。

母親は、2019年4月頃には糖尿病の教育入院。2020年6月頃には肺がんが見つかり、放射線治療のため入院と、入退院が続いた。

「母は、心筋梗塞を起こしたあたりから、『あれ?』と思うような言動が多くなりました。その後も入退院を繰り返す度に認知が低下していったように思います」

心筋梗塞を起こして搬送された病院は、森山さんが長男を出産した病院だったが「初めて来た」と言い、糖尿病の教育入院のときには、長男に「高校の入学祝い」をくれたが、袋には何も入っていなかった。放射線治療の入院中は、「主治医が気に入らない」と言って勝手に退院してしまったり、主治医を変更してもらって再入院した後、気に入らない医師のことを忘れていたりと、おかしな言動が増えていた。

そして2023年10月。77歳だった母親は再び救急搬送される。自宅で突然へたりこんだまま立ち上がれなくなり、父親の力でもどうすることもできなかったのだ。原因は脱水症状と栄養失調だった。そのとき救急車に乗って病院まで付き添った父親は、「これで妻を入院させられる!」と内心喜んだが、点滴を受けただけで帰宅させられると知った途端、激しく落胆した。

なぜなら父親は長年、母親からの暴言に悩まされてきたからだ。特に60歳で定年退職し、2年の嘱託を経て、完全に退職した後はひどいものだった。1〜2カ月に1度、森山さんが息子たちを連れて実家を訪れると、孫たちの前でもお構いなく、母親は父親の一挙手一投足にケチを付け、舌打ちし、「死ねばいいのに!」と暴言を吐く。それでも父親は一切言い返さなかった。

父親は定年後、友人に土地を借りて長年の夢だったログハウスを自分で建て、その周囲で家庭菜園を始め、自宅と行き来していた。母親は、52歳で仕事を辞め、友人とランチやお茶、買い物をして過ごしていた。お互いに好きなことをして暮らしていたようだが、働いていた頃より母親と顔を合わせる時間が増えたせいか、だんだんと父親は元気がなくなり、いつしかうつ病を患ってしまうまでになっていたのだ。

脱水症状と栄養失調を起こしてから、「母を1人で家に置いておけない」と思った森山さんは、「これからも自宅で生活したいなら、お父さんが透析へ行っている間はデイサービスに行って」と説得するが、母親は「車の送迎でご近所にばれるのが嫌だ」と言ってかたくなに拒否する。

もともと高血圧と糖尿病を患っていた父親は、2023年6月、糖尿病からくる腎不全と診断され、週3回、1回4時間の人工透析を受けることになる。

自分のことで精いっぱいだった父親は、母親が点滴だけで戻ってきた後、「母さんといることが限界だ」と泣きながら森山さんに電話してきた。森山さんはケアマネジャーに相談してすぐに施設を探してもらい始めたが、10月半ば、父親は自ら救急車を呼び、母親を1人残し、高血圧と糖尿病・腎不全を理由に入院を決めてしまう。

森山さんは1人では生活できない母親をなだめすかし、10日間で準備を整え、高齢者住宅に入居させた。

母親が自宅からいなくなったことを知った父親は「退院したい」と言い出し、帰宅。長年患っていたうつ病も、自宅に戻って2カ月で寛解した。

自分優先な親たち

そんな森山さんの両親は、お互い高校卒業後に入社した大手建設コンサル会社で出会った。父親は設計技師になり、母親は翌年に入社し、地質部で働き始める。2人は社内イベントで出会うと、すぐに交際がスタート。母親が20歳のときに父親が働く現場まで押しかけ、プロポーズをして結婚。母親が27歳のときに兄が、28歳のときに森山さんが生まれた。

母親は結婚を機に専業主婦になったが、森山さんが幼稚園に入園した頃に、結婚前まで勤めていた会社の仕事を請け負い、在宅で働き始め、森山さんが中学生になった頃に会社勤務に戻った。

「父は口数が少なく、職人気質です。あまり家族には関心がなく、現役の頃は、週末はゴルフばかり行っていました。母は社交的でPTAや育成委員などをし、気が強くプライドも高くハッキリとした性格で、家庭や子どもより自分優先な人でした」

子どもの頃は、母方の祖父母と同居していた。

「母方の祖父は温厚な人で、町内のためにいろいろな活動をしていました。口数が少なく、怒られた記憶はありません。祖母は母そっくりで、見栄っ張りでプライドが高い人でした。光熱費は両親が払っていたので、祖父母の年金はほぼお小遣いでした。祖母は自分の姉妹としょっちゅう温泉へ行ったりお寿司を振る舞ったりしていましたし、髪は必ず美容院で洗ってもらっていました」

”長男教“の祖母と母。男尊女卑の父

祖母と母はそっくりと言うが、口数が少なく、家庭内よりも外での存在感が大きいという点で、祖父と父親もよく似ている。

森山さんは物心つくと、祖母も母親も兄ばかり大事にしていることに気付いた。洋服は、兄は着たいものを買ってもらえていたが、森山さんは兄のお古ばかり。森山さんが「◯◯に行きたい」と言えば頭ごなしに反対されるが、兄には「お金は出してあげるから行っておいで」という具合だった。

「兄は幼い頃から偏食がひどく、拘りがある神経質な子でした。社交的ではないですが、友だちはいましたし、私とも一緒に遊んでくれました。”長男教“は祖母と母だけで、父は男尊女卑です。『女の子はお嫁に行くから学歴は必要ない』とか、『良い相手を見つけて結婚するのが幸せ』とか言われていました。私は幼い頃から、両親や祖母の扱い方が兄と違うことは感じていましたが、中でも強烈だったのは、幼稚園の頃、兄のまねをして母に甘えたら、私だけ『気持ち悪い』と言われたことです。それから母に甘えたことはありません。母に抱きしめてもらった記憶もないし、遊んでもらったこともないです」

それでも森山さんは、おてんばで元気な子に成長。小学校時代は異年齢の友だちと日が暮れるまで遊び、中学生になると陸上部に入り、部長を務めた。

「昔から母は家事が嫌いで、中学生になってからは、母の代わりに私が家事をしていました。母は、『外でアルバイトしたいと言われたら家事をしてもらえなくなるから』と、バイト代として毎月2万円くれました。着道楽で食道楽、高級志向で、父は定時帰りがほとんどでしたが、母はよく飲み歩いていたし、繁忙期は徹夜で帰宅しない日もありました。まるで父親が2人いるみたいでした」

両親が老後にとんでもないトラブルを引き起こすとは、まだ10代の森山さんには想像できるはずもなかった。

●自分勝手な老後を送る両親によって、森山さんの心労は絶えません。さらに驚くことに、両親は大手会社で共働きだったにもかかわらず、あるはずの老後資金がどこかへ消えていたのです。後編【月22万円の年金では足りず老後破綻の危機…お金でしか問題を解決できない両親の自業自得な末路】で詳説します。

旦木 瑞穂/ジャーナリスト・グラフィックデザイナー

愛知県出身。アートディレクターなどを経て2015年に独立。グラフィックデザイン、イラスト制作のほか、終活・介護など、家庭問題に関する記事執筆を行う。主な執筆媒体は、プレジデントオンライン『誰も知らない、シングル介護・ダブルケアの世界』『家庭のタブー』、現代ビジネスオンライン『子どもは親の所有物じゃない』、東洋経済オンライン『子育てと介護 ダブルケアの現実』、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、日経ARIA「今から始める『親』のこと」など。著書に『毒母は連鎖する〜子どもを「所有物扱い」する母親たち〜』(光文社)がある。

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