ペットが原因で家庭内別居に…熟年夫婦を襲った“予期しなかった光熱費”の誤算
Finasee / 2024年7月22日 17時0分
Finasee(フィナシー)
<前編のあらすじ>
今年の春、息子たちが独立して子育てを終えた春子(54歳)と夫の利也(55歳)は犬を飼い始めた。夏になり、犬との生活にもなじんできたと思った矢先、電気代の高さに仰天した……。
犬がいる以上、2人が仕事で家を開けているあいだもずっとエアコンをつけておく必要があり、電気代がとんでもないことになっていたのだ。
光熱費のことでちくちくと小言をいってくる夫に対して、春子もたまっていた不満をぶちまけてしまい、2人は結婚30年を過ぎてから家庭内別居のような状態になってしまった。
●前編:「エアコンを消せない…」子育てを終え、保護犬を迎えた熟年夫婦を陥った「想定外の落とし穴」
家庭内別居ほとんど家庭内別居のような状態が続き、2週間がたった。8月に入ってから連日35度越えの猛暑日を記録し続けている。
結婚してから30年を過ごすなかで、軽い言い争いくらいならば何度もあったが、口を利かないなんてところにまで発展するようなけんかはしたことはなかった。世間から見ると、仲の良い夫婦だったのかもしれない。けんかをしたことがないせいか、仲直りの仕方すら分からないのだから。
いいや、春子が謝れば仲直りはできるかもしれない。しかしそれではダメだった。ムギのために、春子がここで折れるわけにはいかなかった。
春子は今でもかたくなにエアコンをつけ続けている。利也は不満を持ちつつも、そのことについてとがめることはしていない。実際、利也だってエアコンを消すわけにはいかないと分かっているのだ。
しかしわが家の空気はこのエアコンのせいで、どんどん冷め続けているのも事実だった。
息子の帰省駅に着くと、駐車場の前で俊介が待っていた。
家を離れて4カ月しかたっていないのに、とても久しぶりに会ったような不思議な気持ちになる。
「お帰り」
助手席に乗り込んだ俊介に声をかけると、俊介は照れくさそうに、ただいま、と応えた。
「何日くらい、居られるの?」
「3日くらいは居られると思うよ」
俊介の答えを聞きながら、春子は車を発進させる。
「それじゃ、どっかに遠出でもしたら良かったね? 今からでもどっか温泉とか行くっていうのもあるけど?」
「いや、いいよ。仕事で疲れているから、家でゆっくりしたい。それに、犬を飼ったんだろ? その犬と遊びたいし」
「ムギね。うん、その子はとってもかわいいんだけどね……」
「すごい暴れん坊とか?」
「いや、そうじゃないの。ちょっとね」
春子の歯切れの悪い物言いを、俊介は訝(いぶか)しんでいたが、それ以上は何も訪ねてこないまま家に到着した。
荷物を持って俊介は真っ先にリビングに向かう。するとムギがすぐに俊介に近づいていく。ムギは散歩に出てもすぐよその犬にほえてしまうような、少し臆病なところがある性格だったが、俊介のことはずっと一緒に生活をしていたかのように頭を足にすりつけた。
「うわぁ、かわいいな~。ムギ、初めまして~」
俊介は頰を緩ませて、ムギと戯れていた。春子がそんな俊介とムギの様子をほほ笑ましく眺めていると、利也がやってくる。最近は書斎に閉じこもっているが、俊介がいるので出てきたのだろう。
「俊介、お帰り」
「うん、ただいま」
春子は利也に気付かない振りをして、台所でお菓子の準備をしていた。利也もそれだけ告げて書斎に戻ろうとすると、俊介が呼び止めた。
「待って。なんかあったんだよね? けんか?」
春子も利也も俊介の勘の鋭さに驚く。俊介は返事も聞かず、春子たちをソファに座らせて、2人の前に立った。
「原因は何? 何があったの?」
少しの沈黙のあと、最初に口を開いたのは利也だった。
「ムギを飼っただろ。それで家で毎日クーラーをつけっぱなしにしていたんだよ。電気代が掛かるようになって、そのことを注意したんだ」
すかさず春子は反論をする。
「お金がかかるのは分かるけど、ムギのためじゃない。この子は暑い中、部屋にいると干上がっちゃうでしょ? それでもめちゃって……」
俊介は口をへの字にして2人の話を聞いていた。
「俺だってあんまり金のことでとやかく言いたくはないよ。でも、さすがにこれは、高すぎると思わないか?」
「私だって別にいいでしょなんて開き直ってるつもりはない。でも、ムギのためなら仕方ないと思ってね」
「ちょっと、待ってくれよ」
俊介は頭を抑える。
「何、どうかしたの?」
「……ちょっと俺の部屋に来て」
息子の部屋で春子たちは自分の部屋に向かった俊介の後を追う。部屋の扉を明けた俊介の指さしている先にはエアコンが設置されている。この家を買ったとき、俊介の部屋にもクーラーを取り付けていた。もちろん俊介が家を出てからは全く使われていない。
「あれ、夏休みのときとかはずっとつけっぱなしにしてたじゃん。つまりこの家のエアコンは2台動いてたわけ」
俊介に言われて、春子と利也は目を合わせた。そう言えば、俊介はこの部屋で寝てたし、去年なんて部屋にこもって卒業論文を書いていたから、夏休み中はクーラーをつけていたような気もする。
「父さんさ、去年の電気代覚えてないの?」
「いや、毎月、引き落とされていたから、別に見てはないけど……」
利也がうろ覚えの記憶を話すと俊介はがっくりと肩を落とす。
「しっかりしてくれよ。うちは昔からクーラーも暖房もガンガンにつけてたって。特に父さんは寒がりなんだから、ずっとリビングの暖房つけてただろ?」
「ああ、そ、そう言えばそうだったな」
利也は耳を赤くしてうなずく。俊介はため息をついて肩をすくめた。
「電気代で言えば、暖房のほうが高くつくんだから。気にするのは分かるけど、なんでそんなことで今更けんかなんてするんだよ? 最近は世界情勢とか色んなことが原因で電気代が上がってるっていうし、そういうのも高くなった原因なんじゃないかな」
俊介の解説を聞き、春子は肩をすくめる。
「そうよね、きっとそういうのを私たち、把握してなかったから……」
春子の反省を聞き、再び俊介が説教を始める。
「しっかりしてくれよ。だいたい、2人はお金の管理が甘いんだよ。俺、一人暮らしをして、2人が全然しっかりしてないのに気付いたわ。もういい年なんだから、そういうところはちゃんとしてくれって」
「……ごめんなさい」
2人そろって俊介に頭を下げる。これではどちらが大人か分からない。
「俺に謝っても仕方ないだろ。それに、これからはちゃんと節電についても考えた方がいいよ。最近は電気料金のプランも電力会社もいろいろあるからね」
そう言って俊介は部屋を出ていった。リビングに戻ると何も知らないムギがのんきに駆け寄ってくる。春子がムギを抱き上げると、傍らに俊介が立っていた。
「悪かったな」
「もういいわよ。私も意固地になってたし。まずは電気代の見直しね」
「何やってんだかな、俺たち」
俊介のつぶやきに、春子はうなずく。もう今となっては何であんなにけんかをしていたのか分からなかった。情けなくて、恥ずかしくて、だけどほんの少しおかしくて、春子は思わず笑みをこぼす。
くう、とムギが小さく鳴いた。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
梅田 衛基/ライター/編集者
株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。
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