「こんな惨めな思いをするなんて…」コロナで失職、どん底の50歳・元飲食業の男性に声をかけた「思いがけない人物」
Finasee / 2024年8月2日 17時0分
Finasee(フィナシー)
隆は背中を丸めて夜の街を歩く。ジャケットのポケットで震えたスマートフォンを取り出す。届いたメールを確認すると、もうすっかり見慣れてしまった“お祈りメール”のテンプレが並んでいる。
まさか50歳にもなってこんな惨めな思いをするとは思わなかった。この世界に必要ないと言われているような気分になる。
明日も面接だった。早く家に帰ろうと足早に歩いていると、大きな笑い声が聞こえてきた。声のする方向を見ると、ちょうど居酒屋からスーツ姿の男女が出てきたところだった。
ガラス張りの店内では、店員たちがあわただしく動き回り、元気よく仕事をしている。もうコロナの流行で閑散としていた時期の影は跡形もなく、誰もかれもあの日々を忘れてしまったかのようにさえ思える。
懐かしい光景に、もう自分の手からこぼれていってしまった光景に目を細める。3年前まで、隆は居酒屋で店長をしていた。
転職で飲食業界へ隆はビールジョッキを持って狭い店内を慣れた足取りで歩く。
「はい、生4つですね~」
追加の注文を各テーブルが好き勝手に言い出すので、隆は聞き漏らさないよう素早くメモを取りながら承る。
最初にこの居酒屋で仕事を始めたのは35歳のとき。働いていた小さな印刷会社が経営不振だったこともあって、居酒屋チェーンを経営する今の会社に転職した。
とはいえ、端から居酒屋で働きたかったわけではない。転職活動をしていた2005年はまだ就職氷河期と呼ばれていて、思ったような仕事にありつけず、何とか採用してもらえたのがその会社だっただけだ。
しかし望んでいた仕事でなくとも、始めてみればやりがいは見つかるもので、それなりに充実した日々を送っていたように思う。客として当たり前に来ていた居酒屋が大変な仕事をしていると知った隆は面食らいながらも、毎日合戦場に出るような感覚で仕事をしていた。
それに、アルコールが入ることもあって基本的に客は好き勝手しているのでへきえきとすることも多かったが、よく足を運んでくれる客とコミュニケーションをとり、顔なじみになっていくことは自分の性分にもあっていたのだと思う。
「あ、いらっしゃいませ、権堂さん」
「清水さん、こんばんは。カウンターで大丈夫?」
隆は笑顔で権堂を席に案内する。権堂はこの辺りで不動産会社を経営している社長で、新忘年会でもよく店を使ってくれる常連客だった。
「それじゃ、生と枝豆と板わさをちょうだい」
「はい、かしこまりました」
いつもの注文を受けた隆は素早く厨房(ちゅうぼう)へ戻って冷えた瓶ビールとグラスを持って、権堂のもとへと向かった。
「最近、寂しくなってきたね」
ビールを受け取って店内を見渡した権堂が何を言おうとしているのかはすぐに分かった。
「そうですねぇ……」
春先から流行しだした新型コロナウイルスによる緊急事態宣言で、店は休業を余儀なくされた。その後、営業は再開されたものの、閑古鳥が鳴き続け、一度遠のいてしまった客足や活気が戻ることはなかった。
コロナ禍になって巣ごもりという言葉ができ、感染を警戒するなかで誰も店で飲みたがらなくなった。大勢いたアルバイトにも、頭を下げて休んでもらっている状況だった。
「この店もだいぶ厳しいみたいだね……」
「そうですね。もう外食業界全体が厳しいですよ。この先どうなっちゃうのか……。
「そう気落ちしないで。俺はこうやってたまに飲みに来るからさ」
「ありがとうございます。本当に助かりますよ。権堂さんのところはどうなんですか?」
「うちはあんまり影響はないね。巣ごもりとかでむしろ需要が増えたくらいだから」
権堂の腕にはしっかりと高価な時計がはめられている。以前見たものとはまた違うメーカーのものだ。それを見るだけで経営状態が伝わってくる。
「いやぁ、さすがですね。それじゃあ、ごゆっくりしていってください」
バックヤードに戻った隆は年齢もそう変わらないであろう権堂との大きな差を思い知った気がして、小さくため息をついた。
事業縮小によるリストラ何とかしなければとは思った。しかし世の中の大きな流れにあらがうことはできず、3カ月の月日がたったころ、隆は店のオープン前に本社に呼ばれた。そこで本部社員から告げられたのは、事業縮小によるリストラ。隆はあっけなく仕事を失った。
店の営業中の記憶は曖昧だった。これからどうしていけばいいのか。そんなことばかりを考えているうちに時間は過ぎていった。
疲れているわけでもないのに身体を引きずるように家に帰った。分譲マンションの玄関扉の前で、隆は固まった。妻の冴子にどんな顔で、どう説明したらいいのだろうか。ローンだってまだ残っていた。
隆は数分のためらいのあと、意を決して扉を開けた。冴子に心配は掛けられないが、秘密を抱えておくなんてこともしたくなかった。
「おかえり」
いつもと変わらない様子で、冴子が隆を出迎える。その温かさが今は痛かった。
入念に手を荒い、マスクを洗面所のゴミ箱に捨ててリビングへ向かう。もう寝る準備を済ませている冴子は寝間着姿で、椅子に腰かけながら本を読んでいた。
「どうしたの。つぶれたカエルみたいな顔してるわよ」
「冴子。すまない――」
隆はリストラされたことを話した。話していると惨めな気分になった。泣きそうになるのはさすがに情けなさすぎると、歯を食いしばった。
最初は驚いていた冴子だったが、次第に怒りが湧いてきたようで「何それ、ひどいじゃない」と声を荒らげた。
「15年でしょ? ずーっとお店のために頑張ってきたのに、いきなりそんなリストラなんて」
「仕方ない部分もあるよ。コロナのせいでろくに営業できてなかったしな……。とにかく、転職がんばるよ」
「そうね……。きっとなんとかなるわよ。大丈夫」
冴子は明るく言ってくれたが、そう甘くはないことくらい隆も冴子も分かっている。
隆はもう40代後半。スキルと言えば、焼き鳥を素早くおいしく焼けることくらい。おまけにコロナ流行のおかげで先の見通しが立たない状況が続いている世の中だ。飲食業界に限らず、内定を取り消されたなんて話は少なくない。
「大丈夫。大丈夫よ」
言い聞かせるように繰り返される冴子の言葉が、隆の心に突き刺さっていた。
突然のスカウトあれから3年。隆はいまだに定職には就けず、転職活動を続けながら、合間の時間を使ってフードデリバリーサービスの配達員をやることでなんとか生活を続けている。
もの思いにふけっていた隆は、われに返って居酒屋に背を向け、駅へ向かって歩き出す。呼び止められたのはそのときだった。
「あ、清水さんじゃないか⁉ 久しぶりだな!」
「ああ、権堂さん。お久しぶりです……」
隆は目線をそらして頭を下げる。惨めな現状を見られた気がして、気恥ずかしい思いだった。
「あの店、辞めちゃってから、どうしてるか気になってたんだよ。 今は何をしてるんだ?」
「いやぁ、あの、それが実は、まだいろいろ仕事を探している最中でして……」
隆は苦笑いを浮かべる。それがとてつもなく卑屈な表情であることは、自分の顔なんて見なくても分かった。
「そうか、大変だな」
権堂の顔は見れなかった。きっと哀れみの視線が向けられている。自分が哀れなことなんて、隆自身が1番よく分かっていたから、これ以上は耐えられそうになかった。
「いえ、また、いつか、一緒にお話しできればいいですね。それじゃ、自分はこれで……」
「あ、ちょっと待ってくれ」
逃げるように立ち去ろうとした隆を、権堂が呼び止める。
「もし良ければなんだが、うちで仕事をしないか?」
「え……?」
権堂の口から放たれた突然の提案に、隆は固まった。
●権堂からの突然のスカウト、その魂胆は……? 後編【月給18万“暇すぎる仕事”の落とし穴…勤務中に内職をしていた50歳男性に社長がかけた「驚きの言葉」】にて、詳細をお届けします。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
梅田 衛基/ライター/編集者
株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。
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