「このままじゃ熟年離婚するんじゃない?」息子からの無慈悲な指摘…定年夫が決意した「冷え切った夫婦関係を修復させる行動」
Finasee / 2024年8月7日 17時0分
Finasee(フィナシー)
郁夫はリビングでソファに座り、壁に掛けてある時計の時刻を確認した。
13時18分。
郁夫は大きなため息をつく。昼飯を食べてから1時間しかたっていない。やることがないとこんなに時のたつのが遅いのかと毎日のことながらがくぜんとする。郁夫は大きく伸びをして、目線を窓の外に向ける。太ももはずっと貧乏揺すりを続けている。
何か趣味でも見つけておくんだったと郁夫はひどく後悔をしていた。郁夫の人生は仕事をするためにあった。楽しかったわけではないが、目の前のやるべきことを全力で行う。周りも同じようなスタンスだったし、競争心もあったので、ひたすら仕事を中心に生きてきた。
そんな職場を3月いっぱいで定年退職した。仕事をなくした途端、全ての熱量が失われ、何ひとつとしてやる気が起きなくなった。今考えれば、与えられた仕事をやるだけで良かった日々が恵まれていたと分かる。今は何をやるにも自分で決めなければならない。
そうなると途端におっくうになるのだ。ゴルフ、旅行、キャンプ、そのどれもが退職後にやろうと決めていたが、いざ、退職してみると、全く魅力のない事柄に思えてしまった。
また時計をチラリと見る。時計の針はほとんど動いていない。
郁夫はおもむろにテーブルに置かれたリモコンを手に取った。テレビは普段、スポーツ中継くらいしか見ないのだが、初めてネット動画を見てみようと思った。たまに妻の諒子がテレビで映画を見ていることがあった。夜の12時を過ぎて映画がやっていることに驚いたが、後で息子の慎也がネット配信のものをテレビで見られるようにしてくれていたのが分かった。
リモコンのボタン1つでいつでも見たいテレビを見られるなんて変な時代だ。昔はテレビ欄を確認して、その時間に合わせなければ見られなかったのだから。ざっと眺めてみたものの、郁夫は特段映画に興味があるわけでもなく、見たいと思えるような作品は見つけられなかった。人気ランキング1位のものを取りあえず再生する。
どんな映画かも、主人公が何をしたいのかも、郁夫の頭には入ってこなかった。
「……ねえ、何やってんの?」
突然声をかけられて、目を開けると、いら立った顔の諒子が郁夫を見下ろしていた。
「テレビつけっぱなしで。寝るんならベッドに行ってよ」
諒子に指摘されて初めて、自分がいつの間にか寝ていたのだと分かった。時計の針は短針が6の数字を指していた。
「わ、悪かった」
郁夫は頭を下げたが、諒子は当てつけのようなため息を吐くだけでリビングから出て行ってしまった。
会話のない熟年夫婦夕食は2人そろってご飯を食べる。
しかしなんとなくの惰性で続いている習慣なので、諒子との会話はない。最初はこうではなかったような気がするが、一体いつからこうなってしまったのか、郁夫は覚えてすらいない。
仕事ばかりをしていて、家庭を顧みなかった。郁夫はそれが当たり前だと思っていたが、諒子との関係は冷え切ってしまっていた。
「な、なあ、諒子?」
「何?」
諒子は目線を伏せたまま、みそ汁を飲んでいた。話しかけてみたものの、何を話したらいいのかは分からず、そこで話は終わった。
あまりに冷たい態度に、不意の怒りが湧いた。しかし郁夫にはいら立つ資格すらもない。郁夫だって、話しかけてくる諒子をさんざん冷たくあしらってきた。仕事を理由に約束をほごにしたことだって片手では数えきれなかった。
郁夫たち夫婦がこうなってしまったのも、すべて郁夫のせいなのだ。今更になってそのことを後悔しても、何もかもが遅かった。
このままじゃ熟年離婚でもするんじゃない?翌日も相変わらず郁夫が家で暇を持て余していると、突然玄関の鍵が開き、慎也が家に上がり込んできた。慎也は現在、不動産会社で営業の仕事をしている。まだ結婚はしていないが、彼女と同棲をしているらしい。
「あれ、父さん、いたんだ」
慎也はスーツのネクタイを緩めながら、冷蔵庫に向かった。
「ああ」
家庭を顧みずにいた父親なのに、慎也は普通に話をしてくれる。一緒に住んでいたときは将来をしっかり考えているのかと軽薄さを心配していたが、今は慎也の性格に救われている。
「今日もサボりか?」
「違うよ。父さんのお守りに来たんだって」
コップに水を入れて、慎也は隣に座った。
慎也はこんな感じで、外回りの営業中にたまに家に帰ってくる。ただ仕事終わりには来ない。外回りの営業中にいきなり帰ってくることが多い。
「お守りって、子供じゃあるまいし」
慎也はいたずらっ子のような笑い方をする。
「どうせやることなくて退屈してるんだろ? ならまあ、息子の息抜きに付き合ってくれたって罰は当たんないっしょ」
郁夫は慎也を横目で見る。慎也は鼻歌交じりで携帯をイジっていた。
「何よ? こっち見ちゃって」
「いや、別に何でもないよ」
「どう? 母さんとうまくやってる?」
ドキリとした。急に核心を突かれて動揺した。くだらんことを聞くなと突っぱねようとも思ったが、もしかすると誰かに聞いてほしかったのかもしれない。気が付くと、郁夫の口からは諒子とのあいだに抱える悩みがこぼれていた。
「ありゃ、やっぱりそうか~」
聞き終えた慎也は手で目を覆い、天を見上げた。
「……予想してたのか?」
「当たり前でしょ。こっちはずっと2人を見てきたんだから」
郁夫は背中を丸める。
「このままじゃ、ダメだよな?」
「だね。このままじゃ熟年離婚でもするんじゃない?」
離婚、という言葉に郁夫は顔を上げた。
テレビで熟年離婚を特集する番組を見たことがある。まだ50代で、バリバリ仕事をしていたときだから、興味も持ってなかったが、まさか自分がその当事者になろうとしてるとは。
「ど、どうすればいいんだ?」
「そこはさ、自分で考えないと」
慎也は首を横に振って、立ち上がった。自分で考える。今、1番苦手に感じていることだった。
「じゃ、俺は戻るから」
慎也は再びネクタイを締め直して家を出ようとする。しかしリビングのドアの前で立ち止まると、郁夫を振り返った。
「今もさ、母さんがご飯作ったりしてるの?」
「あ、ああ、そうだが……」
「それじゃダメだよ。母さんは仕事もして料理もしてさ、大変じゃん」
そう言い残して慎也は家を出て行ってしまった。
慎也に指摘され、自分がいかに甘えているのかを思い知る。暇だ、退屈だと言っておきながら、諒子のために何かをしようと考えたことがなかった。
郁夫は台所に目を向ける。結婚して以来、郁夫がその場に踏み込んだことはない。――いや、1度だけ、たった1度だけ、諒子のために台所に立ってみたことがある。
結婚して間もない頃、金のなかった郁夫は諒子の誕生日に手作り料理を振る舞った。結果は散々だったが、黒く焦げたハンバーグを諒子は文句を言いながらも平らげてくれた。
「料理、よし、料理だな」
郁夫は諒子の誕生日に手作り料理を振る舞おうと決めた。
●郁夫の決心、そして慣れない手料理はうまくいくのだろうか……?
後編【「病院食? 味が薄すぎるでしょ」定年夫の悲惨な末路…すべてを見透かしていた妻の「意外な行動」】にて、詳細をお届けします。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
梅田 衛基/ライター/編集者
株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。
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