「こんなにも口うるさい人がいるのか」不仲だった義母の死…遺品の日記につづられていた「意外すぎる義母の真意」
Finasee / 2024年8月19日 17時0分
Finasee(フィナシー)
斎場内では、黒い服に身を包んだ老若男女が手を合わせて故人――春江をしのんでいる。
春江は72歳でこの世を去った。3年前の2021年に胃にガンが見つかり、そこから長い間入退院を繰り返しながら、治療に励んでいた。しかしそのかいなく、ガンは春江の体内で転移を続け、一昨日、眠るように息を引き取った。
実名子は親族席に座り、弔問客一人一人に深く頭を下げる。隣に座る夫の利喜は春江の遺影を見て、何度か目を拭っている。その都度、実名子は利喜の背中を擦る。
しかし実名子の目から涙は出ない。悲しくないわけじゃない。20年近く同居をしていたのだから、もちろん寂しさはある。ただどこか、ホッとした気持ちがあるのも事実だった。
実名子は春江とあまり仲が良くなかった。同居してからというもの、春江からは何かとしかられたり、注意をされたりという記憶しかない。両親にもあまり怒られずに育った実名子は、「こんなにも口うるさい人がいるのか」と驚いたのを覚えている。
実名子は同居生活を楽しくするために努めて春江と良好な関係を築こうとした。実際に距離が近づいたと思えたことだってある。しかしそのたびに春江から家事のことでしかられ、関係がリセットされていた。
いつしかお互いに干渉するのを止め、冷戦状態となり、関係が修復されないまま春江はあの世へと旅立ってしまった。
隣で泣いている利喜には、一緒に悲しんであげられないことを申し訳ないなと思いながら、沈痛そうな表情を作って葬儀が粛々と進んでいくのを見守っていた。
義母の日記葬儀が終わり、死亡届などの事務手続きが完了した後、実名子は自宅にある春江の遺品を整理し始めた。寝室は春江が好きだったお香の匂いが染みついていて、今もまだ春江がどこかにいるような気分になる。
実名子はまず春江がよく使っていた化粧台から取り掛かった。寝たきりになってからはほとんど使われなくなった化粧品の数々を透明なポリ袋に入れていく。台上がきれいになったところで、引き出しを開けた。するとそこには一冊のノートが置かれていた。
「お義母(かあ)さん、日記なんて書いてたんだ」
実名子は興味本位でページをめくり日記を読んだ。書いてあるのはその日起こったことと感じたことだった。利喜が珍しく肩をもんでくれてうれしかったこと。実名子の料理の味付けが濃いので不満なこと。大した内容ではないので流し読みしていたが、あるページではたと手が止まった。
〈もう実名子さんと仲良くすることは無理なのかなぁ〉
達筆な文字がこのときだけ、震えているように見えた。
「仲良くすること……?」
日付は2022年の3月25日だ。日記の内容から、この日、春江と実名子は口論をしていた。内容は実名子が買ってきた牛肉がアメリカ産だったこと。春江は昔から実名子が買ってくる食材にケチをつけていた。
日記を読みながら思い返すが、この手の口論が日常的なことだったこともあって、実名子の記憶にはない。春江があまりにも口うるさいので買い物は気をつけていたはずだったが、きっと特売だったとかそんな理由で、何も考えず安い牛肉を買ったのだろう。それが春江に見つかり、けんかになってしまったのだ。
日記の中で春江は牛肉の安全性について細かく書いている。実名子からすれば眉唾だったが、食品添加物や牛の飼育方法、発がん性まで事細かに調べたらしい内容が書きとめられていた。
ガンという文字から目をそらすように日記を閉じる。
結局、購入した牛肉をどうしたのかは記憶になかった。もしかしたら、買ったものは仕方ないと言って調理をして食卓に並べたかもしれない。だとしたら春江もその牛肉を食べただろう。
罪悪感で呼吸が浅くなった。それでも目をそらしてはいけないと思い、深呼吸をしてまた日記を開いた。
義母との約束輸入食品の危険性について書かれた後は、春江の自省の文が続いた。もっと上手に伝えてあげられない自分へのいら立ちと、分かってくれない実名子へのもどかしさがつらつらと書かれてある。もう少し春江が冷静に話をしてくれてたら、もう少し自分が耳を傾けていたら、違う関係性があったかもしれない。
甘やかされて育った実名子は怒られることに慣れていなかった。怒られると自分の心を守るために大きな壁を作った。だからこそ春江とも長いあいだ同居をすることができたのだと思う。しかし、耳まで閉ざす必要はなかったかもしれない。
〈利喜にも実名子さんにも長生きをしてほしい〉
ひときわ大きな文字で春江の思いが書かれ、その日の日記は終わっている。目から涙がこぼれそうになる。日記を汚してはいけないと思い、実名子は慌てて天井を見上げ、親指で涙を拭いた。きっともっと仲良くなれた。そのことを思い知り、後悔の感情が涙腺を刺激したのだ。
実名子はそれからも気持ちを落ち着けて、日記を読み進めた。まるで春江と対話しているような気持ちになり、手を止めることができなかった。日記は2022年の5月15日で止まっている。ガンが肝臓に転移していたことが分かったのはこの時期だった。春江の気持ちをおもんぱかって、実名子は唇をきつく結んだ。ガンについては書かれていない。ただ心残りなことが書いてあった。
〈実名子さんとの約束、結局できずじまいになっちゃうわね〉
実名子は記憶の中にある春江との会話を思い返す。だが約束をしたことを思い出せなかった。実名子は部屋を見渡した。この中に日記はまだたくさんあるだろう。読み進めていけば、約束の内容が分かるかもしれない。
しかしそれよりも先に、実名子にはやるべきことがあった。
日記を大事に引き出しに戻し、実名子は急いで車に乗り込み、春江が眠っているお墓に向かい、墓前に手を合わせた。
「ごめんなさい。お義母(かあ)さん。私、お義母(かあ)さんの気持ち、全然分かってませんでした」
しかしいくら言葉を尽くして謝っても、理解しようと歩み寄っても、春江が死んでしまったあとでは遅かった。
だからせめて――。実名子は胸に誓う。
春江との約束が何だったのか明らかにしよう。それくらいしか、実名子にできることは残っていなかった。
●実名子がすっかり忘れていた、義母との約束の内容は……? 後編【「どうして忘れていたんだろう」険悪だった亡き義母との“かなわなかった約束”】にて、詳細をお届けします。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
梅田 衛基/ライター/編集者
株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。
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