「どうして忘れていたんだろう」険悪だった亡き義母との“かなわなかった約束”
Finasee / 2024年8月19日 17時0分
Finasee(フィナシー)
<前編のあらすじ>
不仲だった義母が病気で亡くなった実名子(41歳)は、悲しみもそこそこに正直なところホッとしていた。
遺品整理をするなかで、実名子は義母の日記を見つけた。読んでみると、そこには義母が実名子との関係構築に悩んでいたことがつづられていた。厳しく怒っていたのは実名子を嫌っていたからではなく、家族として大切に思うからこその態度だったことを義母が亡くなってから初めて知る。
実名子は自分を恥じて涙をこぼした。義母の墓前で謝罪し、最後の日記に書かれていた「実名子さんと果たすことができそうにない約束」が何なのかを明らかにすることを決心した。
●前編:「こんなにも口うるさい人がいるのか」不仲だった義母の死…遺品の日記につづられていた「意外すぎる義母の真意」
遺品整理に没頭
墓参りから家に帰ると、リビングにいた利喜が声をかけてきた。
「どこ行ってたんだ?」
「お義母(かあ)さんのお墓参り」
利喜は目を丸くする。利喜も実名子と春江の仲がうまくいってないことを知っている。というか間近で見ていたし、2人のあいだで板挟みになりながら、愚痴を聞き続けていた。
「な、なんで……?」
「遺品整理するから、そのことを伝えておこうと思ってね」
「そうなのか。まあ、それは大事だよな」
実名子は軽くうなずいて、また春江の部屋へと向かう。開けた押し入れの中は上下の2段に分かれていて、上には布団が置いてある。下の段には段ボールや小物が置いてあったので、まずはこちらから手をつけることにした。
若かりし頃の義母段ボールを開けると、中には古めかしいアルバムの数々が積み重なっていた。実名子は上から手に取り中身を確認していった。
最初のページは利喜が赤ちゃんの頃の写真が貼られている。かわいらしい利喜とうれしそうに義父が写真を撮っている。義父は実名子が嫁ぐ前に亡くなっていた。どんな人だったんだろう、話してみたかったな、などと感傷的な思いを巡らせながらページをめくっていった。
アルバムの中身はほとんどが利喜の成長記録だったが、一冊だけ、新書サイズの一回り小さなアルバムが段ボールの一番下に置かれていた。中を見てみると、若かりし頃の春江が友人たちと写真を撮っている。古い写真なので背景はよく分からないが、街並みを見るに外国らしい。
横にペンでハワイと書かれている写真を見つける。よく見れば、レイを首からかけている写真もあった。他にもいろいろなところに旅行をしていたようで、若い頃の春江は海外旅行が趣味だったらしい。
それは新たな発見だったが、肝心の日記帳は見つからなかった。結局、押し入れの中身から約束に関するものは何一つ出てこず、実名子が春江とした約束については分からずじまいだった。
部屋の整理を中断し、実名子は夕食を作る。国産の豚肉を使った野菜炒めだ。外国産の食品に健康被害があるとはいまだに思わないが、これからは春江の教えを少しくらいは真剣に受け止めてもいいだろうと思っていた。
食事を終えて晩酌をしているときに、実名子は日記のことを利喜に話してみた。
「へえ、母さん、そんなことを考えていたのか?」
「仲良くなろうなんてそぶり、見せたことなかったよね?」
利喜は2度、うなずく。
「なかったね。もしそんなことを言ってくれてたら、俺、間に入ったのになぁ」
「頼りになるかな?」
「なるだろ。どんだけ愚痴を聞き続けたと思ってんの」
「それでね、その日記の中でね、私との約束ってお義母(かあ)さんが言ってたの。何か心当たりある?」
「約束? そんなのしてたっけ?」
実名子は首を横に振る。
「うーん、そうみたいなんだけど、どうしても思い出せないのよ」
「だよなぁ。俺も全然分からないや」
利喜もお手上げのようだった。
夫と出会ったきっかけから7月の結婚記念日は毎年、結婚年のワインを買ってきて飲むのが実名子たちの過ごし方だった。夕食は利喜の好きなローストビーフ。グラスにワインを注ぎ、ささやかに乾杯をする。
「俺たちもこれで、結婚17年か」
「そうね。長いこと一緒にいるわね」
おいしいワインを飲んで、利喜の顔がわずかに赤らむ。
「俺が財布をすられてなきゃ、結婚できなかったわけだ。あの犯人に感謝しないとな」
利喜の言葉に実名子はクスクスと笑う。
「あのときのあなたの青ざめた顔ったら、今思い出しても笑えてくる」
「当時は必死だったんだよ。本気でこのまま野垂れ死ぬかもしれないと思ったんだから」
話しながら実名子は利喜との出会いを思い返した。実名子が22歳のころ、大学の卒業旅行で友人たちとイギリスに旅行に行った。ロンドン市内を観光していたときに、オロオロとした表情で話しかけてきたのが利喜だった。利喜は単身のバックパッカーで、財布やパスポートをすべてすられていた。英語のままならない彼に代わり、実名子は警察や大使館への連絡をし、さらに日本に帰れるようにお金まで貸した。
帰国後、お金を貸してもらうために会うことになり、それからも連絡を取り合っていた実名子たちは徐々に距離が縮まって結婚にまで至ったのだ。
「母さんにもその話したよな。俺、めちゃくちゃ笑われたの覚えてるわ」
「お義母(かあ)さん、海外旅行に慣れてらっしゃるから、余計に……」
ワインを飲みながら相づちを打っていた実名子は固まった。
出会いの話を春江にしたのは初めてあいさつをしたときのことだった。ひとしきり笑って利喜のうかつさを注意した後、春江は朗らかに笑って実名子に話しかけてきた。
海外旅行の話をした。今まで実名子が行ったことのある国や行きたい国について話をしたんだ。どうして忘れていた。春江が海外旅行が趣味だとあの日に話をしていたのに。
実名子は目を閉じた。まぶたの裏で目尻を落とした春江がこちらに話しかけている。あの日交わした会話を、今はもう一言一句たがわずに思い出すことができた。
「お、おい、どうした?」
慌てた利喜の声に実名子は目を開いた。
「大丈夫か? 突然、泣き出したから驚いたぞ」
利喜に指摘されて実名子は泣いていることに気付く。
「思い出した」
「え?」
「お義母(かあ)さんとの約束、ようやく思い出したの」
義母と一緒に季節が本格的な夏に入ったころ、長めの夏季休暇を取得した実名子は利喜と2人で空港にいた。
「いやぁ、いい天気でよかった」
「今度はもう財布をすられないように気をつけて」
利喜は苦笑してうなずく。
「なんだかんだ2人きりで海外行くの、初めてじゃないか?」
「そうね」
実名子はうなずいたが、これが2人旅ではないことを知っている。
胸につけてある真珠をあしらったブローチは、遺品整理をするなかで見つけた春江のものだった。かばんにしまったパスポートには春江の写真も挟んである。
実名子は初めてあいさつをした日の会話を思い返す。
「実名子さん、その節は本当にありがとね。利喜が迷惑かけて」
「いえいえ、全然気にしないでください」
「しかもそんな抜けた男を旦那にもらってくれるなんてね」
春江はいたずらっぽく笑い、利喜は苦笑いをしていた。
「そんな言い方しなくてもいいだろ」
「実名子さんも海外旅行好きなのよね?」
「はい、色んな国の景色を見たり、文化に触れるのが好きなんです」
実名子が熱量を込めて返事すると、春江は頰を緩ませた。
「じゃあ、いつか一緒に海外旅行に行けたらいいわね」
「はい、絶対に行きましょう!」
実名子はブローチを握った。
遅くなってしまった。間に合わなかった。だからこれは実名子の感傷で、後悔で、身勝手なつじつま合わせなのかもしれない。それでも、今日から始まるこの旅には、かけがえのない意味があると思った。
見上げた夏の青空に一直線、ひこうき雲が伸びている。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
梅田 衛基/ライター/編集者
株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。
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