クラゲに刺されアナフィラキシーで意識不明に…病室で不仲母娘の雪解けをかなえた「ずっと言えなかった言葉」
Finasee / 2024年8月26日 18時0分
Finasee(フィナシー)
<前編のあらすじ>
みやび(34歳)は、大学時代の友人に誘われ海水浴にきたが、すでに友人たちは結婚や出産を経験済みで、子連れの海水浴であることに違和感をもっていた。
波打ち際ではしゃぐ子供たちを眺めながら、パラソルの下で友人と話す。悪気がないのは分かっているが、子育てや結婚の話題を出されるとみやびはうまく返すことができない。みやびが結婚や出産をしたいと思えないのは、身を粉にしながら女手一つでみやびを育てた母の苦労を間近で見ていたからだった。母とは家を出るときに親子げんかをして以来、ほどんど会っていなかった。
気持ちを切り替えようと、海へ入り子供らとともにはしゃいでいると、足に経験したことのない激痛が走った。
●前編:「結婚や出産をしたいと思えない」母親になった友人たちに違和感…30代独女が海辺で襲われた「まさかの展開」
アナフィラキシーで意識不明に香里の悲鳴で、ビーチ中の衆目がみやびたちに集まった。
みやびの色白の太ももを、赤いみみず腫れが無数に走っていた。まるで皮膚の内側で何本もの触手がのたうち回ったかのようなグロテスクさに、香里が悲鳴を上げるのも無理はなかった。
悲鳴を聞きつけて駆けつけたライフセーバーは迅速にみやびの処置を開始する。まずはクラゲに刺された部分を海水で洗い流し、毒を中和するために酢をかけた。みやびが刺されたらしいアンドンクラゲのような毒性の強いクラゲに刺された患部は、食用酢で洗うのが有効らしかった。
きれいに洗った幹部には氷を当てて痛みを和らげる。最後には抗ヒスタミン軟こうを塗布してくれた。救護マニュアル通りの完璧な対応で、みやびはされるがままに処置されながら、何でも準備されているんだなと見当違いのことを思った。
ビーチ全体にはライフセーバーたちからアナウンスがされており、次の被害を防ぐために海水浴客はみんな海から上げられている。
「よかったぁ、どうなっちゃうかと思った」
「ね、クラゲに刺されると、こんなひどい傷になるんだね」
一息吐いた香里と茜が話している。子供たちも心配そうにみやびを見ていたから、みやびは空元気でほほ笑んでおく。
「みんなごめんね。せっかく楽しい気分で遊んでた、のに」
言いながらみやびは胸が詰まるのを感じた。あっという間に息ができなくなり、全身にじんましんが広がり始める。
「みやび! みやび! しっかりして!」
2人の叫び声が遠くで聞こえた気がしたが、みやびに返答する余裕も気力もなかった。
みやびの意識は、スマホの電源を落とすにみたいに、ふつりと途切れた。
始め、その緊張感は次第に店全体へと広がっていった。
久方ぶりの母との再会みやびが目を覚ますと、ぼんやりとした視界の中で病室の天井が見えた。次第にはっきりしてくる意識のなかで、何が起きたのかを思い出した。
(そうか。私、海でクラゲに刺されて倒れたんだっけ……)
「あ! みやび!」
みやびがおぼろげな記憶を手繰り寄せていると、病室のドアが開いて勢いよく茜が飛び込んできた。
茜は、ベッドに横になったみやびの手を強く握りながら、涙目で鼻水をすすった。
アナフィラキシーショックで意識を失ったみやびは、救急車で病院に搬送された。病院で投与された抗ヒスタミン薬とステロイド薬によって、アレルギー反応は無事に収まったとのことだったが、茜はみやびが死んでしまうのではないかと目を覚ますまで気が気ではなかったらしい。
みやびは大げさだよと笑ったが、本気で心配してくれる友人の存在をうれしくも思った。
「子供たちは香里に連れて帰ってもらって、私だけ病院に残ったの。私が海に誘ったせいで、こんなことになっちゃって……本当にごめんね」
「何言ってんの、茜は何も悪くないよ。私こそ迷惑かけてごめん。いろいろ大変だったでしょ。慶ちゃんたちにも悪いことしちゃったよ」
みやびは茜の手を握りかえしながら言った。
「でもね、私はパニックになってただけで何もしてないの。もうほとんど香里1人に任せきり。あ、そうそう。お母さんに連絡取ってくれたのも香里だよ。もうすぐ着くんじゃないかな」
「あ、そうなんだ……」
「勝手にごめんね。でもご家族に連絡しておいたほうがってお医者さんに言われて」
「よく連絡先知ってたね」
母にも連絡されていることにみやびは一瞬うろたえた。母とは何年も会っていない。少し指を動かせば電話一本で聞ける声すら、もうずっと聞いていない。話すほどのことではないだろうと、仲のいい2人にも家族については口をつぐんでいたのがあだとなっていた。
「ほら、香里って合宿の幹事やってたからさ。みんなの緊急連絡先、スマホ電話帳に登録してたんだよね。卒業してからも、みやびと私の実家の電話番号は消さずに残してあったらしいよ」
「そういうこと……」
みやびが観念してうなずいたとき、また病室のドアが静かにノックされた。みやびが声を上げると、看護師に肩を支えられながらつえをつく、母の姿があった。
「あぁ、みやび……! 大丈夫なの!? クラゲにやられたって聞いて。どこも苦しくない!?」
母はつえで身体を支えながら、みやびの横たわるベッドに歩み寄る。母のリウマチは相変わらずひどく、これではどちらが患者なのか分からないだろうと思った。
「うん……今は平気」
母の声に答えるみやびの声は固く、ほんの少しだけ上ずっていた。
親子水入らず茜は母に事の経緯を説明し、母は茜に何度もお礼を言っていた。私は何もしてなくてと恐縮しきってしまった茜は「じゃ、後は親子水入らずで」とみやびの気も知らずに帰っていった。
様子を見に来た医者が病室を出て行ってしまうと、みやびと母親は病室で2人きりになった。
「……来なくて良かったのに」
みやびはぶっきらぼうにつぶやいた。レースカーテン越しに、夕焼けが見えた。燃えるようなグラデーションの赤は、私の親不孝を罰しようとしているのかもしれないと思えた。
「足、しんどいんでしょ?」
「まあそうなんだけどねぇ。でもクラゲに刺されるよりはましよ。それに過度な年寄り扱いはだめなのよ。甘えてダメになるでしょ」
痛むのか、母は膝をなでていた。
甘えたらいいじゃないか、とは言えなかった。母がどれだけ頑張ってきたか、みやびはよく知っている。もう頑張る必要なんてないと、母に伝えてあげたかった。
「お母さん……ごめんなさい」
みやびはあの日以来、ずっとため込んでいた心の澱(おり)を絞り出す。母は目を丸くして、ほほ笑む。
「なんで謝るのよ。クラゲに刺されたのは、みやびのせいじゃないでしょ」
「そうじゃなくてさ」
言いかけたみやびの言葉を遮って、小さくうなずいた母はみやびに向けて手を伸ばした。
「立派になった。でも、目の下のクマ。あんた、ちゃんと寝てる? みやびは私に似て、根詰めすぎるところがあるから、気を付けないとダメよ」
母はみやびの髪をなでた。いつもあかぎればかりで痛々しく、しかしたった1人で自分を育て上げてくれた、この世界で何より頼もしい、母の手。
みやびの目から、いつの間にか大粒の涙があふれていた。
「……ありがとう、お母さん」
「いいのよ。母親っていうのはさ、娘が元気にやってたら、それだけで幸せになれるんだから」
「何それ……後悔してないの?」
「後悔? 何に後悔しなくちゃなんないのさ」
「私を、産んだこと」
ためらいがちにつぶやいた言葉を、母は笑って蹴とばした。
「バカだね。そんなわけないだろ。みやびが生まれたおかげで、私の人生は最高だったんだから」
母の手がみやびの頰を優しくつねる。小さいころ、いたずらをしたみやびを母がそうやってしかってくれたことをふいに思い出す。
「どこで何をしてたって、みやびは大切な娘だよ。後悔なんてとんでもない。いつも感謝してたくらいなんだから」
後はうまく言葉にならなかった。
みやびのすすり泣きだけが響く静かな病室の中で、少ししわの増えた母の手はいつまでもみやびのことをなでてくれていた。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
梅田 衛基/ライター/編集者
株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。
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