離婚による転校、新しい学校になじめない息子…シングルマザーの悩みを一蹴した「意外すぎる人物」
Finasee / 2024年8月30日 18時0分
Finasee(フィナシー)
窓の外はどんよりと曇っていた。梅雨の長雨のせいでもう何日も洗濯物を外に干せていなかった。紀子は思わず吐きそうになったため息をのみ込んで、インスタントのホットコーヒーで唇を湿らせた。
紀子の前では、息子の拓也が空以上に曇った表情で、朝食のトーストを小さくかじっている。拓也は9歳の小学3年生。普段は明るい子なのだが、ここ1カ月ほどはずっと浮かない表情をしていた。
「拓也、そろそろ行かないと遅刻しちゃうよ」
「うん……」
拓也は黙り込むが、力の入った肩やうつむいた表情は学校に行きたくないことを訴えている。なるべく拓也の気持ちは尊重してあげたいと思う一方で、簡単に休ませて、それが癖にでもなってしまったらよくないとも思う。
「ほら、拓也。しっかり。今日は夕飯に拓也の好きなハンバーグ作るから」
紀子は拓也を立たせてランドセルを背負わせる。手をつないで集団登校の輪までつれていく。
「お、長尾ちゃんとたっくんじゃん」
集団登校の輪に近づく紀子たちを見つけた派手な女性が手を振った。
乱雑にまとめた髪の毛は白に近い金髪で、下はだるっとしたシルエットのピンク色のスエット。丈の短い白いTシャツの裾からは、へそのピアスがのぞいている。
「おはようございます。福田さん」
「やだやだ。敬語やめてって言ってんじゃん。明日香でいいって!」
明日香は紀子の肩をたたく。指先では紫と銀のラメに彩られた魔女の爪のようなとがったネイルが光っていた。
彼女はまだ24歳だが、高校を卒業してすぐ子供を産んだらしく、すでに3人の母親だ。派手な外見とは裏腹に、堅実に明るく家庭を切り盛りしている。
「あ、そうそう。今日、あとで長尾ちゃんの会社行くね。むかし旦那が買ってきた変なTシャツ売れたんで。ほら、やばいでしょ、このデザイン」
明日香はスマホでフリマアプリの管理画面を見せてくる。右上に赤字で“SOLD”と表示されているTシャツは、胸にピンク色のぶよぶよした見た目のキャラクターがプリントされていて、頭上には“MELT!!”とポップな文字が躍っていた。
「ぱっと見だとかわいい風だけどさ、やっぱありよりのなしだよねぇ」
明日香の口から繰り出される耳慣れない言葉と朝からエンジン全開のテンションに圧倒されながら紀子はうなずく。やがて、別の親子が来ると明日香はそっちのほうへあいさつに行ってしまった。
学校へ向かって歩き出した拓也の丸まった背中を見送って、家に戻った紀子は自分の出勤の準備に取り掛かる。春に夫と離婚した紀子は、新天地を求めてこの町に引っ越してきた。知り合いの1人もいないこの町を選んだのは、就職先の運送会社に通うためだ。
大学を出てすぐに結婚し、専業主婦になった紀子にはほとんど社会人経験がなかった。当然、30歳を過ぎて就労経験のない紀子の就職活動は難航した。パートなら、もっと楽に仕事を見つけることもできたのだろう。しかし拓也の将来――高校や大学のことを考えれば、正社員での雇用は譲れない条件だった。
しかし今ではそのこだわりが正しかったのか、紀子は自信が持てなくなっている。親の都合で転校することになった拓也は、見ての通り新しい学校になじめていない。仲の良かった友達と離れ、ひとり親になり、激変した環境のなかでふさぎ込んでいるのは明らかだった。
拓也が楽しく過ごせるように、できることはないだろうか。もし自分が明日香のように竹を割ったような性格だったなら、こんな風に悩むこともないんだろう。会社に向かう自転車をこぎながら、今日、あの変なTシャツを配送しにやってくる彼女のことを思い浮かべて、少しうらやましく感じた。
明日香の誘い梅雨が明ければすぐに気温は上がり、太陽は勤勉に肌や町を焼くようになった。終業式を迎え、夏休みに入ると、学校へ行かなくてもいいことにほっとしているのか、拓也の表情も心なしか明るくなったような気がする。
「夏休み、行きたいところとかないの?」
「んー」
夕食を食べながら尋ねると、拓也はあごに手を当てて考えこむ。仕事の昼休みに同僚と外へ出ると、自転車をこぐ小学生たちとすれ違ったり、アイスを食べ歩きする小学生を見かけるのは夏休みならではだったが、親しい友達のいない拓也はずっと家にいる。自分の都合で拓也が1人で過ごしていることを思うと、どうしても心苦しく感じてしまう。
「どっかに旅行に行こうか? 海とかどう?」
「うん、いいよ。海行きたい」
「オッケー。じゃあお母さん、探しておくね」
紀子は拓也を元気づけるように笑顔を向ける。拓也の笑顔がどこか悲しげだったのは、きっと気のせいではないのだろう。
とはいえ、紀子にはどうすることもできず、日々が過ぎた。
ある日の仕事帰りに会社を出ると、明日香と遭遇する。
「あ、長尾ちゃん、おっつー!」
「明日香さん、こんばんは。もう会社しまっちゃったけど」
「今日は配送じゃないんだ。ばぁばん家に子供を預けてるから、これからお迎え。あ、長尾ちゃん、来週ってひま?」
「来週ですか……?」
「うん、夏祭りあるんだけどさ、良かったらたっくんと一緒に遊びにおいでよ。うちの知り合いが旗振ってやってんだけど、けっこう盛り上がるんだよね」
「あ、そうなんだ。どうしようかな……」
紀子は答えを言いよどむ。きっと地元の祭りには同じ小学校の友達も大勢いるだろうから、拓也はあまりいい顔はしないだろうと思った。
しかし紀子のそんな思案を知る由もなく、明日香は紀子に顔を近づける。
「絶対、楽しいんで! ね? いいでしょ?」
「う、うん。じゃあ、お願いするね……」
「いえーい、さっすが長尾ちゃん。ノリいいじゃん!」
明日香は手をたたき、紀子と連絡先を交換するや子供たちを迎えに行った。すぐに連絡がきて、当日の待ち合わせ時間が指定された。
安心してと言われても1週間はあっという間に過ぎた。案の定、拓也は渋い顔をしていたが、紀子は拓也を連れて家を出て、指定された町内会館に向かった。
駐車場に背中に「祭り」とプリントされた青い法被姿の明日香を見つけ、紀子は声をかけた。
「明日香さん、お招きありがとね」
「あ、長尾ちゃん。お、たっくんもこんにちは」
紀子は拓也の背中をポンとたたく。
すると拓也がうつむきながら弱々しい声を出す。
「……こんにちは」
「よろしくね~。よーし、それじゃ、中に入って」
明日香に案内されて、紀子たちは会館の中に入る。広がる光景に、思わず目を見開く。
正面の広い座敷には、浅黒い肌にひげを生やしたこわもての男たちが陣取っていて、昼間だというのに赤ら顔で酒を飲んでいた。中には肩や腕に入れ墨が彫られている者もいる。実際に目の当たりにしたことはないが、ドラマで見かける暴力団の事務所と相違ない光景が、目の前に広がっていた。
「え? な、何これ?」
戸惑う紀子と拓也を明日香は背後から押して中に入れようとする。
「ね、ねえ、これ、どういうこと?」
「安心して。みんな良い人たちだから」
座敷の中にいる面々を見て、明日香の言葉はとてもじゃないが信用できなかった。
●コワモテな男性陣の中に放り込まれた紀子と拓也。明日香の真意は? 後編【<!--td {border: 1px solid #cccccc;}br {mso-data-placement:same-cell;}-->「親の離婚と転校で引きこもりがちに…」思ってもみなかった結末を呼び込んだ息子の「いじらしい行動」とは?】にて、詳細をお届けします。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
梅田 衛基/ライター/編集者
株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。
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