「最上階が一番偉い」優雅な生活から一転、港区タワマン妻に降りかかった「マネーの悲劇」
Finasee / 2024年9月10日 17時0分
Finasee(フィナシー)
麻美には毎朝、起きたあと必ず行うルーティンがある。それは、リビングのカーテンを開けて、窓の外の景色を眺めること。いろいろなマンションを内見したが、この港区のマンションにして本当に良かったと思う。
レインボーブリッジを多くの車が行き交っている。彼らは時間に追われ、仕事をしているのだ。あくせく働いている人たちに見せつけるように麻美はゆっくりとコーヒーを入れ、スマホを見ながら、コーヒーの香りを楽しんでいた。
「またベランダか? 麻美はほんとにここからの景色が好きなんだな」
声が聞こえて振り返ると、夫の宗尊が起きてきていた。現在、48歳で貿易などを行う総合商社に勤め、一昨年に同期を差しおいて部長へと昇進している。今年で結婚9年目だが、麻美は本当に宗尊を選んで良かったと思っている。麻美よりも14歳上で、年齢の点だけは引っかかったが、それでも、将来性を見込んで結婚を決めたのは間違いではなかった。
宗尊は転勤が多く、購入を嫌がったため賃貸だが、いざ転勤となれば宗尊だけを送り出してしまえばいいと、麻美は思っていた。
「おはよう、コーヒー、飲む?」
「ああ、ありがとう。俺、顔を洗ってくる」
麻美は洗面台へ向かう宗尊を見送って、コーヒーを入れる。もちろん窓の景色が映り込むように写真を撮ることも忘れない。タワマンに引っ越してから、Instagramで頻繁に写真を投稿するようになった。今、自分がどれだけ良い暮らしをしているのかを皆に知ってほしかったのだ。決して、フォロワーが多いわけではないが、コメント欄には麻美をうらやむコメントやいいねがついている。
「毎日、毎日、よく飽きないね?」
顔を洗って戻ってきた宗尊は、コーヒーを受け取りながら言う。少し棘のある物言いだが、麻美は気にしない。
「一応ね、使命感みたいなのもあるから」
「……使命感?」
「うん。けっこう反響いいのよ。みんな、どれだけ望んだってけっきょくこんな暮らしはできないじゃない。だから、私の投稿を見て、少しでも自分がいい暮らしを味わってる気分になりたいのよ。だから幸せのお裾分けをしてあげないとと思ってね」
宗尊は何も言わずコーヒーを口に含む。ゆっくりと吐き出す息が、穏やかで優雅な朝に溶けていくのを、麻美は満足げに眺めていた。
タワマン妻のヒエラルキー7歳になる息子を小学校へ送り出したあと、ほぼ入れ替わりでやってくるハウスキーパーを出迎える。掃除や洗濯は彼女に任せ、麻美は身支度を済ませて外へ出る。友人とランチをすることもあれば、新作のブランド品のショッピングに出掛けることもある。今日は、ネイルサロンに行ったあと、今月の奥さま会の際に飾っておくインテリアや生花、オードブルなどの選定をしなければいけなかった。
タワマンの最上階に住む麻美は、月に1度、他のフロアの奥さまがたに声をかけて“奥さま会”を実施している。これも麻美の使命だ。最上階に住む以上、そのマンションの顔として、みんなをまとめる義務があった。それなりに納得のいくインテリアを注文し、奥さま会の前日に自宅へ届くよう手配をする。もちろん支払いは、宗尊名義のカードで行った。
自宅に戻ったあとは、ハウスキーパーからその日の業務の報告を受け、チップとして1万円札を渡す。きれいにクリーニングされたソファに横になりながら、今朝の投稿についたコメントといいねを確認する。夕方になって帰ってきた息子に宿題をやらせ、夕食は配達で届いたものを有名ブランドの食器に入れ替える。3人で食卓を囲み、21時過ぎに息子が眠ってしまえばあとは夫婦の時間になる。
「ねえ、聞いてよ。今日さ、また受付のところに三橋って人がいたのよ。私、あれだけ注意したのに、まだ愛想が悪いままでさ」
マンションの入り口にはエントランスがあり、そこにはコンシェルジュが毎日立っている。
「……前にもその話をして、管理会社に文句も言ったんだろ? じゃあ別にいいじゃないか? あの人だって精いっぱいやってるよ」
「そんなんじゃダメよ。あそこはうちのマンションの顔なのよ。あんな感じで対応してたら、うちが品のないところみたいじゃない」
麻美が怒りを言葉にしても、宗尊は全く乗ってこなかった。
「だとしても、うちには関係ないって。このマンションがどう思われてもいいじゃないか」
「ダメよ! 私たちはこのマンションの最上階に住んでるのよ! 1番、偉い私たちがそこはしっかり言わないとダメよ!」
宗尊は手で顔を押さえる。
「マンションの階数で偉いとかないって……」
「あなたは普段、仕事をしているから分からないのよ。私たちは最上階に住んでるっていうので、周りからそういう目で見られてるのよ」
麻美が訴えても、宗尊はあきれたようにため息をつくだけだった。
夫の告白「あのさ、ちょっといい?」
夕食を終えたタイミングで宗尊が声をかけてきた。キッチンにいた麻美は食洗器から皿を取り出す手を止め、ダイニングテーブルについている宗尊の前に腰かけた。
「どうかしたの?」
「ちょっとさ、引っ越しをしたいんだけど……」
「は? なんで?」
思わず鋭い声が出た。宗尊はうつむきながら、もみあげのあたりをしきりに指でかいていた。
「ウチの親が住んでた家が葛飾にあるだろ? あそこに引っ越さないかと思って」
宗尊の発言に、麻美は目を丸くする。宗尊は早くに父を亡くし、実家には義母だけが住んでいた。その義母も3年前に病気で亡くなり、今は空き家と化している。
「だから何でよ?」
「……会社の経営がよくないんだ」
宗尊は苦しそうに言葉を吐き出す。
「コロナとかいろいろあって、なんとか乗り越えたかと思ってはいたんだけど、今度は戦争や円高もあって、ずっと危ない時期ではあったんだ。だから正直、今年や来年のボーナスもあんまり期待できない」
ここしばらく、宗尊はずっと浮かない顔をしていた。詳しく話は聞かなかったが、仕事のことで相当参っていたのだ。
「でも、そんないきなり引っ越すだなんて……」
「俺だって、好きで言ってるわけじゃないよ。でもさ、このマンションに引っ越すのだって無理をしてるんだ。家賃もかなり高いしさ」
このマンションに決めるときも、宗尊は月62万の家賃に渋い顔をしていた。それでも、麻美が説得して、ここに引っ越してきたのだ。
「でもあなただって気に入ってるでしょ! いやよ、私。それに引っ越すってなったら、あの子の小学校だってどうするのよ」
「家はちゃんと業者に頼んで、管理してあるし、軽い掃除をするだけですぐに住めるようになる。転校のことは、説明して納得してもらうしかないと思ってる」
「でも、あそこは年季もたってるし……」
「もちろん、家賃が全額浮くわけだから、今まで以上に生活が楽になる可能性がある。そうなったら、リフォームだってするよ」
宗尊は譲ろうとしなかった。それだけ会社の経営状況が芳しくないということなのかもしれないが、麻美からすればそんなことは関係なかった。
「い、嫌よ!」
麻美はヒステリックに声を荒らげていた。
「あんたの実家? そんな田舎で生活なんてできるわけないでしょ⁉」
麻美は一方的にそれだけ告げて、寝室にこもった。どうして自分がこんな目に遭わなければいけないのかと思うと涙があふれた。
●経済的に問題があっても、どこまでもタワマンに執着する麻美……。 後編【「共働きなんて無理」タワマン退去、空き家だった義実家へ…港区に固執する妻の「思わぬ誤算」】にて、詳細をお届けします。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
梅田 衛基/ライター/編集者
株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。
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