「共働きなんて無理」タワマン退去、空き家だった義実家へ…港区に固執する妻の「思わぬ誤算」
Finasee / 2024年9月10日 17時0分
Finasee(フィナシー)
<前編のあらすじ>
あこがれていた港区のタワマンで優雅な暮らしを満喫する麻美(34歳)。最上階に住む自分たち夫婦はマンションの中で一番偉いと考えており、月に一度「奥さま会」を主催している。
タワマンに引っ越してからは毎日のように写真をInstagramで公開し、その暮らしぶりを誇っていた。
そんななか、夫の働いている会社の業績が悪化し、高額な家賃を払い続けることが難しくなってしまう。夫は他界した自分の両親が住んでいた空き家に引っ越さないかと提案するが、タワマンに固執する麻美はそれを突っぱねた。
●前編:「最上階が一番偉い」優雅な生活から一転、港区タワマン専業主婦に降りかかった「マネーの悲劇」
今よりランクを下げたくない寝室で寝ようとしている麻美に、宗尊が陰気な顔を向けてきた。
「なあ、麻美。例の話だけどさ、考えてみてくれないか? 俺たちの生活がかかってるんだ」
また、その話かと麻美はへきえきする。あの日以来、顔を合わせればその話ばかり。もちろん麻美が首を縦に振ることはない。
「もし引っ越すんだとしたら、今よりランクが下がるのは無理」
「ランクって……そんなの無理に決まってるだろ……」
「じゃあ、もうこの話は終わり。っていうかそんな話ばっかりしてこないでさ、ちょっとは稼ぐ方法とか考えたらどうなの?」
麻美の言葉に宗尊はいら立ちをあらわにする。
「俺だって、できることならここに残りたいよ。葛飾に住んだら、通勤は大変になるし」
「なら今のままでいいじゃない」
「取りあえずさ、今週の日曜に、家を見に行こう。久しく行ってないから、昔のイメージのまんまなんだって。いろいろと変わってて、気に入るかもしれないぜ」
「そんなわけないでしょ」
「な? 頼むよ」
宗尊は必死だった。
「……別に。勝手にすれば」
それでも麻美は突き放すように返事をして、電気を消した。
麻美の抵抗約束の日の朝、私服に着替えた宗尊がリビングでくつろぐ麻美を呼びに来た。
「麻美、そろそろ出掛けるけど平気?」
「え? 何が?」
「家を見に行くって言ったろ。少し遠いから早めに出ないと」
麻美は冷めた目で宗尊を見る。
「ああ、ごめん。それパスで」
「は……?」
「エステティックの予約を入れちゃったから。そっちに行くからさ、あなた、1人で見て来なよ」
固まる宗尊を無視して、麻美は部屋で着替えを済ませ、黙って家を出た。もし見に行ったら、とんとん拍子で引っ越しの話が進んでしまうかもしれない。麻美にできる抵抗は、こうして頑な態度を示し続けることだけだった。
共働きなんて、かっこつかないエステティックとランチを終えて、家に帰ると、玄関に見慣れない安物の靴が2足並んでいた。
「……誰よ?」
恐る恐るリビングに入ると、テーブルに座っていたのは麻美の両親だった。
「はぁ?」
思わずすっとんきょうな声が出る。千葉の奥のほうに住んでいる両親が、何の前置きもなく家に来るなんてことは今まで1度もなかった。明らかに、宗尊が仕組んだことだと分かった。
「麻美、座りなさい。話がある」
昔から厳格な父は仏頂面のまま言った。家に入り込まれてはなすすべがなく、麻美はおとなしくテーブルについた。
「ねえ、宗尊さんから話聞いたわよ。どうして、引っ越すのが嫌なのよ?」
早速単刀直入な母の言葉に、麻美は投げやりにリビングを指し示した。
「むしろ何で引っ越さなきゃいけないのよ。そんなことできるわけないでしょ⁉ 私はただ、黙って引っ越すっていう考えしかないのが嫌なの! もっといろいろとやりようがあるでしょ⁉ 副業をするとかさ、そうやって残る方法を考えない宗尊の姿勢が嫌なのよ!」
もちろん、これはうそだ。ただ、タワマンの最上階に暮らしているというきらびやかなステータスを失いたくないだけだ。しかし、そんなことを言っても、両親に理解を得られるわけがないことも分かっていた。
「そんなにここに住みたいのなら、パートでも何でも、お前が働いて稼げば良い。宗尊くんも、それで家賃がまかなえれば、引っ越しなんて考えないだろ?」
父が口を開く。
「絶対に嫌。パートなんて、あんなの、みっともない……」
「みっともないだと……?」
父の疑問に怒りが込められている。しかし、麻美は臆せず、声を張り上げる。
「だってそうでしょ! 夫婦で共働きなんて、かっこつかないじゃない! このタワマンにはそんな人いないの。私はそんなの絶対に嫌だから!」
突きつけた大声から一点、リビングが水を打ったように静まり返る。にわかに赤みを帯びた母の目元が、その沈黙の意味を雄弁に語っていた。
麻美の実家は貧しくこそなかったが、決して裕福とは言えないごく普通の家庭だった。父は会社員で、母はスーパーでパートをしながら、麻美と弟2人を育て上げた。感情的になって自分の生い立ちを完全に忘れ去り、2人が築き上げたものを否定するような言葉を吐いていたことに、麻美は遅れて気づかされた。
「お前は、それでいいだろう。好きに暮らせばいいさ。でも、純くんはどうなる? 今はまだ小学生だが、お金がかかるのはこれからだろう。無理な暮らしで貯金を切り崩すようなことになれば、子供の進学にだって影響が出る。親として、それは少し無責任なんじゃないか?」
諭す父の言葉に、麻美は反論ができなかった。
子育てには最適だった結局この日は何も決まらなかったが、給料と現在の生活費を照らし合わせ、貯金なども考慮した丁寧な説明に麻美はしぶしぶ折れることになった。
ハウスキーパーを解約し、当然、奥さま会だってなくなった。エステティックに通う頻度も減らし、新作が出るたびに買っていたブランド品も着ないものはフリマアプリに出した。タワマンでの生活から唯一残ったのは、月に1度通っていたネイルサロンだけだった。
不満はいくらでもある。フードデリバリーで選べる店は格段に減ったし、ネイルサロンに通うのだって地下鉄を乗り継がないといけなくなった。あれほど執心していたInstagramも更新しなくなり、もう何カ月もログインすらしていない。
玄関の引き戸が開いた音がした。ただいま、と元気のいい声が家のなかに響き渡る。
リフォームはしたものの、古い家なので音がよく響く。隣家と離れていることだけが幸いだが、生活音は外にもよく聞こえているだろうと思った。
「おかえり」
ソファから体を起こして、息子を出迎える。
「今から、優ちゃんの家に遊びに行ってくるから!」
優ちゃんとは転校した先の小学校で初めてできた友達の男子生徒だ。
「はい、遅くならないようね」
「分かってる!」
ランドセルをサッカーボールに持ち替えて、息子はさっそうと家を出て行った。
子供の将来のお金を蓄えるために、この家に引っ越してきたのだが、お金のこと以上に良かったのが、子供は転校先で友達ができ、楽しそうな毎日を送っていることだ。前のタワマンでは真っすぐに家に帰ってきていた息子は、引っ越したことでずいぶんと活発になった。家の周りには子供たちの遊び場もたくさんあり、子供を育てる環境としてはとても良かったのだと思う。
麻美は水仕事をするようになってから皺(しわ)の増えた手をぼんやりと眺めた。今日は1日、掃除や洗濯で動き回っていたせいか、おなかが空いていた。
今日の献立は何だろうかと考える。あとで宗尊に連絡してみようと思った。引っ越してから宗尊が料理をしてくれるようになった。最初は麻美のご機嫌取りで始めたのだろうと思っていたが、宗尊は持ち前の凝り性を発揮して、今では立派な趣味になっている。この前の週末は半日かけてスパイスからカレーを作っていて、麻美のほうがあきれてしまったくらいだ。
窓から差し込む夕日は穏やかで、タワマンにいたときは決して聞こえなかった鈴虫の鳴く声が聞こえていた。
麻美はスマホをかまえて窓から見える何でもない庭の風景を写真に撮った。そのうち気が向いたら、この写真も投稿してみようか。
今の暮らしだって皆に見せてもいいかと思えるくらいには、幸せだった。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
梅田 衛基/ライター/編集者
株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。
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