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認知症で暴君化する母親…「まだ頑張れる」父親の優しさで負担が増す理不尽な介護実態

Finasee / 2024年10月2日 11時0分

認知症で暴君化する母親…「まだ頑張れる」父親の優しさで負担が増す理不尽な介護実態

Finasee(フィナシー)

家族円満な南田家

中部地方在住の南田美玖子さん(仮名・50代)の父親は、上場企業の会社員だった。1歳下の母親は、結婚前は教育係企業で働いていた。2人は父親の姉、母親の兄の結婚を機に出会い、父親の一目惚れで交際を開始し、父親23歳、母親22歳で結婚した。

専業主婦になった母親が25歳の時に兄が、5年後に南田さんが生まれ、両親の夫婦仲も南田さんと兄のきょうだい仲も良く、家庭円満だった。

やがて兄が大学入学を機に家を出たが、南田さんは実家から大学に通い、卒業後は上場企業の研究所に就職。25歳の時に大学時代の友人と結婚し、南田さんは寿退社する。実家から車で20分くらいのところで暮らし始めると、27歳で長女を、2歳違いで次女、三女を出産。両親や義両親との関係は良好で、娘たちの七五三や幼稚園・学校などの行事がある度に会っていた。

2004年、取締役まで務めた父親は、70歳で完全に定年退職を迎えると、趣味の鉄道模型作りに没頭。母親は時々それに付き合ったり、旅行へ行ったり、お茶や染め物、アートフラワーなど、お稽古ごとに勤しんでいた。

母親の異変

ところが2015年。南田さんは、78歳の母親が何度も同じ話を繰り返すようになってきたことに気づく。その上、待ち合わせの時間に遅れてきたり、歯医者の予約時間に間に合わなかったりするほか、常にイライラし、南田さんに逆ギレすることが増えていく。

「当時は認知症に怒りっぽくなるという症状があることを知らなかったので、気づくのが遅れました。気づいた時にはすでに母は1人で病院に行き、認知症の貼り薬をもらっていて、どこの何という病院に行っているのか聞きましたが、教えてくれませんでした。しっかり者の母は、プライドもあったのかと思います」

そして2018年。夫や娘たちに相談し、全員が「おそらく認知症だろう」と見解が一致したため、南田さんは近所の精神科を予約し、母親に「行ってみようよ」と声をかけた。すると母親は、「何言ってるの!行かないわよ!」と激怒し、口をきかなくなってしまう。

同じ頃、南田さん夫婦と1番目の娘・両親の5人で5日間の海外旅行へ行った。その時、南田さんや娘は機内持ち込み可能なサイズだったが、母親のトランクは「何日滞在するんだろう?」という大きさ。おまけに母親は、80センチほどもある巨大なウサギのぬいぐるみを抱いていた。父親は「口出しすると怒り出すから」と、好きなようにさせておいたようだ。

「孫ちゃんがウサギ好きだから喜ぶと思って」

旅先の宿に着くと、母親はトランクを開けた。すると中にもウサギのぬいぐるみが複数入っていた。これら全てを孫にあげると言う。

「旅行に同行したとき、1番目の娘はまもなく30歳。ウサギのぬいぐるみで喜ぶ歳はとっくに過ぎていましたし、旅先で渡されても困ります。とはいえ本人は孫を喜ばせたくてした行動。ちゃんと理由はあるのですが異常だと思いました」

兄がコロナに

2021年1月初旬。30歳で結婚していた南田さんの兄がコロナになり入院。60歳の兄は1歳下の妻と25歳の一人娘と暮らしていた。

「当時、患者の家族は院内に入ることすらできませんでした。まだタブレット面会もなく、兄は妻とLINEしていました」

1月下旬、兄死亡。

「入院前、コロナの診断を診療所で受けた時、すでに肺は真っ白、酷い肺炎になっていました。この頃のコロナは肺の奥まで入り込むため、致死率が高かったのです」

母親は、この時から昔のアルバムを見て過ごすように。料理から始まり、掃除も洗濯もできなくなると、家事は全て父親がやるようになった。

9月。母親は、若い頃から慕っていた脳神経外科医の病院に通い始めた。10月には介護認定を受け、要介護1。デイサービスに通い始める。

2022年に入る頃には、ガスコンロの火のつけっ放しや水の出しっ放しがあり、コンロはIHに替え、水道には人感センサーをつけた。

「2022年の1年間が、最も母の破壊行為や暴力行為が激しかった頃だと思います」

母親は日に日に暴君化していった。

暴君化する母親

2022年1月。母親は常にイライラし、カッとなると父親の顔や体を殴り足を蹴るため、父親は全身あざが絶えなくなった。

「15年ほど前に父が母の身内のことを悪く言ったのがきっかけで、母は父のことが大嫌いになり、『離婚する!死んでやる!』と騒いでいました。それでも一緒に散歩や旅行に行っていましたが、認知症になってから『女がいる!女が迎えに来る!』と言い出し、父への憎悪を爆発させるようになったのです。認知症って、その人の本質が顕著になるのかもしれませんね……」

要支援1の父親は、週1回女性ドライバーの車でデイサービスに通っていた。南田さんは事情を話し、男性ドライバーに代わってもらった。

ある時は父親の外履き用のサンダルが切り刻まれていた。またあるときは父親の茶碗が割られていた。南田さんの1番目の娘が初任給で両親に買ったマグカップが割られていた時は、南田さんは母親を責めずにはいられなかった。

かかりつけの脳神経外科医に相談すると、「認知症に詳しい精神科に変わった方がいい」と言われ、2023年1月、南田さんは「老年精神科」と標榜している病院に母親を連れて行った。

すると医師は、

「鬱の頃から元気になる薬を飲み続けて、そのまま元気が過剰に体に蓄積し、暴力的になっているかもしれません」

と言い、薬を変更。

すると1カ月経つ頃には母親はかなり落ち着いてきて、時々カッとなる時は頓服薬で対応できるようになった。

ところが、今度は眠りすぎるようになってしまう。

ケアマネージャーから施設を勧められたが、父親は「まだ頑張れる」と言って拒んだ。
「父が頑張るせいで、私の負担はひどいものになっていました。父は介護疲れのため、午前中は立ちあがることができなくなっていたので、母の介護と母が汚したものの洗濯は、私一人で全てやっていたのです……」

父親は、「病気のせいなんだから」「かわいそうに……」と言い、まだ時々暴力的になる母親の攻撃や口撃を喰らい続けていた。デイサービスのスタッフたちも、「よく耐えていらっしゃいますよね。普通だったら怒って施設に入れちゃいますよ」と感心していた。

「父の老人ホームのイメージは、姥捨て山的な感じで、『入れたら余計に病んでしまう』と思っていたのです。『そんなところじゃないよ』と言い聞かせても、信じてもらえませんでした…」

しかし翌月のこと。父親は突然右目が見えなくなり、救急搬送された。

●円満な家庭が母親の認知症によって一変。そして、父親の救急搬送で、母親の介護は大きな転換期を迎えます。後編【「100歳まで生きれば7200万円」介護のリアルな数字に呆然とする父娘が相続対策のために遺言書に記した文言とは?】にて、詳細をお届けします。

旦木 瑞穂/ジャーナリスト・グラフィックデザイナー

愛知県出身。アートディレクターなどを経て2015年に独立。グラフィックデザイン、イラスト制作のほか、終活・介護など、家庭問題に関する記事執筆を行う。主な執筆媒体は、プレジデントオンライン『誰も知らない、シングル介護・ダブルケアの世界』『家庭のタブー』、現代ビジネスオンライン『子どもは親の所有物じゃない』、東洋経済オンライン『子育てと介護 ダブルケアの現実』、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、日経ARIA「今から始める『親』のこと」など。著書に『毒母は連鎖する〜子どもを「所有物扱い」する母親たち〜』(光文社)がある。

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