「実年齢より何歳も年をとったよう」シングルマザーの老後…しばらく会わないうちに変わり果てた母に「起こっていたこと」
Finasee / 2024年9月25日 17時0分
Finasee(フィナシー)
早朝のキッチンで、真子は慌ただしく朝食の準備をしていた。朝の光がレースカーテンの隙間から差し込み、部屋の中を柔らかく照らしていたが、そのぬくもりを楽しむ余裕は真子にはない。
真ん中に仕切りがついたフライパンで卵とウインナーを同時に焼きながら、おにぎりと昨日の晩に大目に作っておいたおかずを次々と弁当箱に詰め込んでいく。時間がない朝は手際が命だ。2人分の朝食と弁当が完成すると、真子は息つく間もなく、キッチンから奥の部屋に向かって声をかけた。
「朝ごはんできたわよー! そろそろ起きなさーい!」
少し間を開けてリビングに姿を現したのは、17歳の一人娘・りん。3年前に夫と別れた真子は娘と2人で暮らしている。
「おはよ、ママ」
「ほら、顔洗ってきちゃいなさい。遅刻するよ」
「はーい」
髪はぼさぼさで目は半開き。寝ぼけていても素直なりんの態度は、少し前までなら考えられないことだった。離婚した当時のりんは、反抗期真っ盛りの中学生。いつも何かにイライラしていて、母親である真子とも口げんかが絶えなかった。
しかし親子2人で生活するようになってからは、反抗期特有と思われる言動も徐々に少なくなり、家のことを手伝うようになった。きっと真子がシングルマザーとして奔走する姿を見て、りんなりに変わろうと努力してくれたのだと思う。りんが精神的に成長してくれたおかげで、今ではお互いの意見が衝突して険悪になるようなことはほとんどない。学校での出来事や人間関係についても教えてくれる、親友のような関係だ。
最近ではすっかり大人びた表情を見せることもあるりんだが、こういった無防備な瞬間は、やはりまだまだ子供だ。顔を洗って戻ってきたりんが席に着く。真子はほほ笑みながら、スープ入りのマグカップを持ったままぼんやりしているりんに声をかけた。
「りん。今日は午前中から模試でしょ? しっかり食べて、頑張ってね」
「あ……うん、頑張る」
高校2年生のりんは、来年大学受験を控えている。学校でも受験に向けて本格的な準備が始まっているようで、去年に比べて学力模試や受験対策講習の数が格段に多くなった。予備校にも通わせているため、授業料や模試の受験費用など、必要最低限と思われる出費だけでも、真子の稼ぎは飛ぶように消えていった。
一応、別れた夫から養育費は受け取っているものの、その金額は4万円。元夫と再婚相手の間に子供が生まれたこともあり、もともと大した金額ではなかった養育費は、1年ほど前に減額されていた。養育費だけでは予備校の月謝を賄うこともできなかった。
真子は正社員として働いていたが、子育て期間のブランクがあることや、離婚を機に転職を余儀なくされたこともあって、残念ながら年齢相応のキャリアや収入があるとは言いがたい。これまでなんとか母娘2人の生活を維持してきたが、経済的には決して楽ではなく、節約は欠かせない。
仕事用のスーツは、ワンシーズンに2着だけ。私服に至っては、最後に買ったのがいつか覚えていない。食卓に並ぶメニューもシンプルな節約レシピが多い。りんもそれを感じ取っているようで、初めのころはよく文句も言っていたが、今では毎朝同じ代わり映えのしない朝食を黙って口に運んでくれている。
「お母さん、ごちそうさま」
手早く朝食を食べ終えたりんは、自分と真子の分の食器を片付けながら声をかけてくる。
「あっ、ありがとう。私が洗うからそのまま置いておいて。りんは家を出る準備しちゃいなさい」
「はーい、じゃあ一応水にだけつけておくね」
りんはそう返事をすると、バタバタと自分の部屋に引っ込み、その間に真子は冷ましておいた弁当を包み、麦茶の入った水筒を用意した。
「はい、お弁当。喉が渇いてなくても定期的に水分補給するのよ。室内でも熱中症になるんだからね」
「はいはーい、分かってるよ。それじゃ、行ってきまーす」
りんがひらひらと手を振って出て行くと、リビングは静かになった。
女手ひとつで育ててくれた真子は飲みかけのコーヒーを持ってソファに腰を下ろし、深い息をついた。りんが学校に出掛けてから自分が出勤するまで、つかの間のコーヒータイム。これが真子の日課であり、唯一の休息の時間でもあった。
(お母さんにも、こんな時間があったのかな……)
真子はふと、自分の母親のことを考えた。母の善子は、若い頃に離婚し、シングルマザーとして真子を育ててくれた。母は昼も夜も働いていて、真子は母が休んでいるところを見たことがなかった。同じひとり親になった今、改めて善子のすごさを実感することが多い。
善子は真子が成人して経済的に自立してから再婚したのだが、その夫も数年前に他界。それ以来ずっと隣県で一人暮らしをしている。最近はあまり連絡を取り合っていなかったが、母なら1人でも大丈夫だろうと真子は思っていた。
善子はどんなときも元気で明るく、真子にとって頼もしい存在だ。夫がよそに女を作って出て行っても、一切弱音や愚痴を吐かず、女手ひとつで真子を育て上げた善子のことだ。きっと一人でも、たくましく生活していることだろう。
自分も母のように、娘に誇れる強い女性にならなくては。
真子は自分を鼓舞すると、いつも以上に気合を入れて仕事に向かった。
緊急搬送された母その日の勤務中、真子の携帯に1本の電話がかかってきた。真子がデスクを離れて電話に出ると、相手は隣県にある病院の受付を名乗った。
「園田真子さまですね? 実は、お母さまの園田善子さまが……」
電話口での説明に、真子は思わず息を飲んだ。善子は、熱中症にかかりもうろうとしていたところ、近所で倒れた拍子に道端の階段から転げ落ち、緊急搬送されたのだという。上司に簡単に事情を話した真子は、病院へと急いだ。心臓の鼓動がどんどん速くなり、呼吸も浅くなった。頭の中では何が起こったのかを整理しようとするが、恐怖と不安が先に立ち、うまく考えがまとまらない。
車を走らせて病院に到着すると、真子を待ち受けていたのは、驚くほどやつれた善子の姿だった。
「ああ、真子。悪いね、心配かけて」
「ううん……」
言葉がでなかった。かつては誰よりも元気で、どんな困難にも負けない母だったが、今ではその面影すら感じられないほど疲れ切った表情でベッドに横たわっていた。しばらく会わない間に、母は実年齢より何歳も余分に年をとったようだった。一体、母に何があったのだろうか。疑問は浮かんだが、浮かんだだけでそれ以上思考は続かなかった。
力のない笑みを向ける母に、真子はうまく笑い返すことができなかった。
●しばらく会わないうちに変わり果てた母親。一体何が……? 後編【「お母さん、何があったの?」荒れ果てた実家で母が極貧生活を送っていた「切なすぎる理由」】にて、詳細をお届けします。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
梅田 衛基/ライター/編集者
株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。
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