夫の浮気で離婚…“男には負けたくない”と気合を入れすぎたシンママの「痛すぎる運動会」
Finasee / 2024年10月9日 17時0分
Finasee(フィナシー)
窓から漏れるわずかな明かりの中、康子はゆっくりと起き上がる。普段の起床時間よりも1時間早い。隣では娘の李菜がかわいらしい寝息を立てていた。李菜を起こさないように、寝室のドアを閉めて、台所に向かった。
毎朝、李菜のために朝食と弁当を作っているのだが、今日はいつもとは違う。冷蔵庫を開けると、前日につけておいた鶏肉がある。李菜の大好きな唐揚げを入れるのだ。鶏肉を取り出して、巻いてあったラップをめくると、大きなあくびが出てきた。睡魔はあるが、気持ちはとても高揚している。リビングの壁にはカレンダーが貼ってあり、本日9月24日には花丸の印があり、その下には運動会と記してあった。
今日、康子は保育園の運動会に参加する。昨年は残念ながら、仕事の都合で参加できず、近所に住む両親に代わりをお願いしていた。親としては参加するのが当然だと思っている。しかし、母子家庭であるわが家にとっては、仕事を重視しなければならない事情があった。
李菜は内向的だし、少し大人びたところがあるので、あまり自分の感情を爆発させることはない。去年の運動会だって、楽しかったとうれしそうに語っていた。だが、自分がもし李菜の立場だったら、寂しかったと思う。だからこそ、今年こそはしっかりと参加できるように早めに休みを取っておいた。
李菜が運動会で活躍している姿を想像しながら弁当を作った。作り終えた頃に、李菜を起こし、身支度をさせる。グズることもあるのだが、今日はうれしそうに保育園の制服に着替えてくれた。李菜も楽しみにしているということが、表情を見ているだけでよく伝わった。
シングルマザーの台所事情それからタクシーで保育園へと向かった。途中で両親を拾い、4人で保育園へと入っていく。李菜はいったん教室に向かい、康子たちはシートを広げて場所取りをした。
「良かったわね。今年は康子も来れて」
母の香織は頰を緩め、父の徹も同調するようにうなずいていた。
「できれば、行事は全部出たいんだけどね」
「それはさすがに難しいのか?」
徹の問いに康子はうなずく。
「私の仕事は、土日も基本的にやらないといけないからね」
康子は不動産会社で営業の仕事をしている。土日でも出勤するのが当たり前だ。
「それなら、別の仕事したらいいのに。もっと融通が利くパートだってあるでしょう?」
「正社員の立場を捨てろっての?」
のんきな香織の発言に思わず厳しい声で答えてしまった。
香織が困ったような顔をする。言い過ぎたとは思ったが、謝る気持ちにもならなかった。香織は母子家庭がどれほど大変かを知らないのだ。前の夫が浮気をしていることが分かって離婚を決めた際、康子の念頭にあったのは、これからどうやって李菜を育てていくかということだった。
そもそもひとり親世帯の平均年収とふたり親世帯の平均年収には、大きな開きがある。とはいえ今の世のなか、共働きが当たり前になっているのだから仕方がない。しかし康子が我慢ならないのは、父子家庭なら500万円以上ある平均年収が、母子家庭になると272万円にまで下がることだ。※
李菜には父親がいないことで負い目を感じさせたり、苦労をかけているはずだ。だからこそ、経済的な側面で我慢をさせるようなことは絶対にしたくなかった。それなのに、そんな気持ちも知らないで、正社員として働くことに文句を言われれば、当然腹も立った。やがて微妙な応援席の空気をかき消すように、軽快な音楽が鳴り始める。子供たちが入場ゲートから入ってくる。康子はカメラを構えて、李菜を撮り始めた。
たくさんの種目があるなかで、康子が心待ちにしているものがある。李菜たちの4歳児のクラスはみんなでダンスを踊ることになっている。家でもずっと練習しているのを見ていたからこそ、晴れの舞台が楽しみだった。3歳児たちの徒競走が終わり、入れ替わりにチアリーディングの衣装を着た李菜たちが登場してくる。隣の香織や他の保護者たちはかわいいとあちこちで声を漏らしている。軽快な音楽が鳴り始めて、李菜たちは練習通りに動きを合わせてかわいらしいダンスを踊り始める。李菜は真剣な表情でステップを踏んだり、回ったり、手を振ったりを繰り返す。康子は夢中でカメラを回し続けた。
鳴りやまない拍手の中で、昼休憩のアナウンスがされ、運動服に着替えた李菜が応援席にやってくる。グラウンドに引いたレジャーシートの上で、お弁当を広げる。
「李菜ちゃん、上手だったわね~。見とれちゃった~」
「家でもずーっと練習してたもんね。1番上手だった!」
香織と康子に褒められて、李菜は照れくさそうに唐揚げを食べている。康子と徹はそんな李菜を笑顔で見ていた。すると李菜がこちらに目を向ける。
「ママ、次出るんでしょ?」
李菜の言葉で、午後の最初の種目が保護者参加の障害物リレーであることを思い出す。康子は李菜の前で握りこぶしを作ってみせる。
「もちろん。見ててね、ママ、頑張るから」
そう言うと、李菜はゴムボールが跳ねるように何度もうなずいた。
※厚生労働省「全国ひとり親世帯等調査」より
気合が入りすぎてしまった集合場所へ集まっていたのは、予想していた通り父親ばかりだった。保護者参加なのでどちらの親が参加してもいいのだが、走る競技のせいか男親が多かった。
「……よし」
康子はさらに気合を入れる。女だからってなめられてたまるか。ママはパパたちにも負けていないんだと、李菜に思ってもらいたかった。
康子が決意を固めていると、最新のヒット曲が流れ始める。入場した康子は第1走者として出場する。1列に並び、ピストルの音を待つ。大きく鳴ったピストルに合わせて康子は飛び出す。単純な走力では若い父親にはかなわないから、平均台やぐるぐるバットなどの障害物をスムーズにこなしてタイムを短縮していく。康子は最後の障害物を終えて、トップを走っていた。
大きな歓声が聞こえた。その歓声の中に李菜の声がある。そう思うと、さらに力が入った。
最後のカーブに差し掛かる。このカーブを抜ければ次の走者が待っている。
決死の覚悟で走っていると、すぐ後ろに若い父親が追いついてくる。抜かれるわけにはいかない――そう思った瞬間に、足がもつれて、康子の天地はひっくり返った。
●気合が入りすぎて思わず転倒してしまった康子。怪我は大丈夫だろうか……? 後編【浮気した元夫を見返してやりたい…泣きじゃくる娘に教えられた「1番大事なこと」】にて、詳細をお届けします。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
梅田 衛基/ライター/編集者
株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。
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