経産省の“慧眼” 「デジタル赤字」を石油にたとえれば、日本の新たな危機が腑に落ちる
Finasee / 2024年9月28日 18時0分
Finasee(フィナシー)
中央銀行の金利政策が発表されると、SNSで瞬く間に情報が広がる時代。オールカントリーやS&P500のインデックスファンドも外貨建て資産のため保有している人の中には、FRBや日銀の一挙手一投足が気になる人もいるかもしれません。
そんななか、1冊の本が話題となっています。みずほ銀行チーフ マーケット・エコノミストの唐鎌 大輔氏の『弱い円の正体 仮面の黒字国・日本』です。
為替は金利だけでは決まりません。長期的な通貨の需給は、結局のところ様々な国際取引の積み重ねです。唐鎌氏は日本の国際収支を丹念に分析し、歴史的な円安の背景を解き明かそうとしています。(全4回の3回目)
●第2回:国も“デジタル小作人”? 日本の頭脳流出による「デジタル赤字」の正体に迫る
※本稿は、唐鎌大輔著『弱い円の正体 仮面の黒字国・日本』(日本経済新聞出版)の一部を抜粋・再編集したものです。本稿の情報は、書籍発売(2024年7月時点)に基づいています。
「新時代の赤字」は原油輸入を超えるその他サービス収支赤字、本書のフレーズで言えば「新時代の赤字」はデジタル赤字という象徴的な名称と共に様々なメディアに取り上げられるようになった。必然、注目度の高まりと相まって将来の見通しを具体的な数字と共に問われることも増えている。
この点、2022年7月20日に開催された経済産業省の「第6回半導体・デジタル産業戦略検討会議」の資料ではクラウドサービスなどを含むコンピュータサービスが生み出す赤字に関し、「現在のペースでいくと、2030年には約8兆円に拡大する」との試算が示され、これについて「原油輸入額を超える規模」という表現が付けられた(図表1-11)。
この際、同資料では2021年の原油輸入実績として約6.9兆円という数字が紹介されているが、図示されるように、2014年や2022年、2023年のように、それよりも遥かに大きな輸入額だった年もある。それゆえ、この点はラフに「6〜10兆円」くらいと構えておけば良いだろう。
提示された「8兆円」の積算根拠については「国内パブリッククラウド市場の規模に近似していると見なし、今後、国内パブリッククラウド市場の民間予測に基づく成長率と同程度に拡大すると仮定すると、2030年には年間約8兆円の赤字額になると推計」と資料には注記されている。こうした経済産業省予測が実現すると経常収支のイメージはどう変わってくるのか。以下で簡単に考えてみたい。
予測通りなら「新時代の赤字」は約▲12兆円に「通信・コンピューター・情報サービス」という項目全体のなか、同会議では「コンピュータサービス」だけを切り出している。しかし、2023年を例に取れば「通信・コンピューター・情報サービス」の赤字(▲1兆6149億円)はほぼ「コンピュータサービス」の赤字(▲1兆4407億円)で説明可能ゆえ、いずれで議論しようと大勢に影響は無い。
仮に「コンピュータサービス」だけで▲8兆円もの赤字を記録すると考えた場合、2023年を例に取れば「通信・コンピューター・情報サービス」の赤字が約6兆円以上(約▲1・7兆円↓▲8兆円)も拡大するイメージになる。「通信・コンピューター・情報サービス」を包含するその他サービス収支(≒「新時代の赤字」)は2023年で約▲5・9兆円の赤字だった。ということは、その他の条件が一定ならば、試算通りに「コンピュータサービス」の赤字が拡大すると「新時代の赤字」は2030年に約▲12兆円(▲5・9兆円+▲6兆円)に達する。
約▲12兆円という「新時代の赤字」が意味するところは小さくない。既に見たように、2023年の旅行収支は約+3・6兆円と過去最大の黒字だった。日本が直面する人手不足の現状と展望を踏まえれば、旅行収支黒字にはそれほど拡大余地は無いと考えた方が良い。
現状が続けば、いくら旅行収支で黒字を積み上げても、今後拡大していくであろう「新時代の赤字」の半分も相殺できない可能性が視野に入る。そこへ慢性的な赤字である貿易収支、統計上の黒字でしかない第一次所得収支黒字を合計したものが経常収支になる。こうした需給環境の実情を考慮すれば、執拗な円安が続いてしまう状況も少しずつ見えてくるように思う。
原油とコンピュータサービスの同質性この会議資料の秀逸な部分はコンピュータサービスと原油を並べて議論した点だろう。確かに、日常生活に食い込んでおり、価格の決定権が相手方にあるという意味では中東産油国などから輸入する原油も、外資系企業から購入するデジタルサービスも共通する。筆者のコラムを読んで頂いた読者から「日本はデジタル原油を掘り当てないといけない」といった感想を頂戴したことがある。非常に巧い表現だと感じた。
しかし、原油は諸要因で価格変動する一方、恐らくデジタルサービスの単価は今後上がることはあっても下がることは考えにくい。既に述べたように、デジタルサービスを提供する外資系企業で働く人々の給料は上昇傾向にあるのだから、値上げは不可避の展開に思える。
日本人がその痛みから開放されるためには日本人の給料も同じかそれ以上に上昇する必要があるわけだが、その難易度が高そうなことは多くの国民が知る通りである。コンピュータサービスへの外貨支払は原油へのそれと同様、日本経済にとって必要不可欠だが、その価格形成に殆ど関与できないという意味で厄介なコストとなる恐れがある。
日本の国際収支構造を突き詰めるほど、外貨が獲得しづらい体質になっている疑いは相当に強い。元々、天然資源に乏しいことが交易損失の拡大(≒端的には海外への所得流出)を通じて実体経済の足枷となりやすい歴史が日本にはあった。恐らく、デジタルサービスはそれと類似の足枷になっていく可能性がある。
もちろん、デジタルサービスを抜きにして実体経済の生産性が改善することも難しいだろうから、それ自体が実体経済に対して持つ前向きな効用も無視してはならない。
しかしながら、原油を筆頭とする鉱物性燃料価格の上昇が為替需給を歪め、円売りを促してきたという歴史を踏まえると、「新時代の赤字」がそれに次ぐ、いやそれに勝る円売り材料として幅を利かせてくる未来は警戒すべきストーリーではないかと思う。
2024年3月、財務省に国際収支分析をテーマとする有識者会議が発足した背景も、大きな構造変化が国民生活に不安をもたらす可能性を看過してはならず、処方箋を検討すべきという問題意識があったと考えられる。
●第4回は【歴史を振り返ったとき2024年は重要だったという年に!? “オルカン”など外国株投信が買われた“すさまじい勢い”】です。(9月30日に配信予定)
弱い円の正体 仮面の黒字国・日本著者名 唐鎌 大輔
発行元 日経BP 日本経済新聞出版
価格 1,100円(税込)
唐鎌 大輔/みずほ銀行 チーフ マーケット・エコノミスト
2004年、慶応義塾大学経済学部卒業後、JETRO入構、「貿易投資白書」の執筆などを務める。06年、日本経済研究センターへ出向(日本経済の短期予測などを担当)。07年から欧州委員会経済金融総局(ベルギー)に出向し、年2回公表されるEU経済見通しの作成などに携わる。08年10月より、みずほコーポレート銀行(現みずほ銀行)。財務省「国際収支に関する懇談会」委員(24年3月~)。著書に『「強い円」はどこへ行ったのか』(22年9月)、『アフター・メルケル 「最強」の次にあるもの』(21年12月)(いずれも日本経済新聞出版)など多数。TV出演:テレビ東京『モーニングサテライト』や日経CNBC『昼エクスプレス』のコメンテーターなど。連載:ロイター、東洋経済オンライン、ダイヤモンドオンラインなど多数。note「唐鎌Labo」にて今、最も重要と考えるテーマを情報発信中。
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