“住宅街の名店”ともてはやされた日本料理店が閉店へ…コスト高や人材難ではない「本当の原因」とは
Finasee / 2024年9月26日 17時0分
Finasee(フィナシー)
<前編のあらすじ>
片桐広次さん(仮名・48歳)は日本料理店の店主です。
都内に店を開いて15年、ようやくコロナ禍という逆風を乗り越えたと思っていたところでインフレによる光熱費や材料費の高騰に悩まされました。
しかし問題はそれだけはなく、ここに来て人件費増加と人手不足の難題が浮上してきました。求める人材の確保ができない中、不運なことにアルバイトのリーダー格だった女性の退職が決まります。
●前編:【過去最大の「最低賃金アップ」がきっかけに…日本料理店の経営者を追い詰めたコロナに次ぐ“悪夢”】
問題が山積する日本料理店の経営私はホテルの和食店で修業をし、15年前に独立して都内に和食店をオープンしました。
開業準備を進めていた頃にリーマンショックが起き、その後は長いデフレの時代が続きました。そうした中で少しずつ固定客もついて、ようやく店が軌道に乗ったと思ったら、今度はコロナ禍です。
休業や営業時間の短縮を余儀なくされ、休業支援金や給付金だけではとても足りず、個人の貯えを切り崩して何とか持ちこたえました。
しかし、2023年にはコロナが明けて客足も戻り、これまでの分を取り戻すぞと鉢巻を締め直したら、少し前から別の問題が浮上してきたのです。
それは、コスト高と深刻な人材難です。
時給アップでアルバイトの稼働時間が減る店では仕入れや調理は専ら店主である私と、開業時から一緒に働いているベテランの板長とで担当しています。接客や酒類の扱いは同じホテルの料飲部門で働いていた妻がマネージャー役となり、配膳用に10数人のアルバイトを雇っています。アルバイトは、ランチタイムが近所の主婦、夜の営業は近くの学校に通う大学生や専門学校生が中心です。
うちの店は高級店ではありませんが、雰囲気のある落ち着いた空間で旬の和食を楽しんでいただくことを目指しており、妻やアルバイトの女性のユニフォームは和服です。求めるサービスの水準が高いので、アルバイトの時給は最低賃金より1割ほど高く設定していました。
政府の賃上げ方針で、10月からは東京都の最低賃金が一気に50円引き上げられます。それに伴い時給を1280円にすると、人件費は年間60万~70万円もの負担増になります。
最低賃金の引き上げはもう1つ、別の問題もはらんでいます。家族の扶養でいるために年収をセーブしているアルバイトの場合、時給が上がるとその分、労働時間を減らす必要が出てきます。
慢性的な人手不足でなかなかいい人材が確保できない一方で、確実に計算できる既存のアルバイトの稼働時間が減っていくのですから、何とも頭の痛い話です。
しかも、タイミングの悪いことに、夜のアルバイトの取りまとめ役だった女性が夏前に辞めてしまいました。彼女は大学4年生で、9月からの海外留学が決まったのです。以前からアメリカでファインアートを学びたいと話していて、その夢がかなった形だったので、こちらも笑顔で送り出すしかありませんでした。
コロナ禍での営業再開時に入ってきた彼女は、接客のプロである妻も舌を巻く機転とサービス精神の持ち主でした。入店2年目からは早くもリーダー格となり、夜のアルバイトの教育係やシフトの管理もしてくれていました。
愛嬌があり話し好きなため常連さんからの人気も高く、たまたま彼女が休みの日にいらしたお客さんから「今日は彼女の顔を見に来たのに」と愚痴られることもしばしばでした。
責任感のある彼女は辞めるに当たり、信頼できる大学の後輩を1人紹介してくれました。その後輩も彼女が太鼓判を押すだけあって1年生ながら即戦力になっていますが、さすがにすぐに彼女の穴を埋めるというわけにはいきません。
モラルの低下が目立ち始め、時給アップを決意彼女の離脱で気になっているのが、アルバイトのモラルの低下でした。新顔の若いお客さんの中には、平気でアルバイトの女性を口説いたりする方もいらっしゃいます。彼女がいる頃はアルバイトの中で自主規制が働いていたのですが、妻の目の届かないところでプレゼントを受け取ったり、デートに応じたりしている子がいたと聞き、とても残念な気持ちになりました。
妻の提案で最低時給を1500円まで引き上げることを決めたのは、そんな経緯があったからです。1500円は最低保証で、働き方や経験に応じて2000円近くまで上がる仕組みです。人件費の負担増は年間で100万円を超えますが、それも店の構造改革で何とかなると考えていました。具体的には、厨房業務やサービスの効率化を図るため、提供するメニューを日替わりコース1本にするつもりでした。
「時給を上げれば希望者が増えて、質の高いアルバイトを採用できる可能性も高まる」というのが妻の言い分でした。賃上げ効果は侮れず、実際に応募は増加し中には近隣のAランクと言われる大学の学生も混じるようになりました。結果的に私や妻も納得するメンバーを揃えられ、10月からのメニュー改革に向けて走り出しました。
妻は店に置く酒の種類も絞り込み、ワインのペアリングのように当日の料理に合わせた日本酒のコースを用意することで、利益率を改善しようと考えていたようです。
板長から「ご相談があります」と言われたのは、そんな矢先のことでした。この1年ほどは忙しさにかまけて酒を酌み交わす機会もほとんどなかったので、日頃の慰労も兼ねて、店が休みの日にホテル時代の先輩が営む和食店に誘いました。
板長が切り出した予想外の話その席で、板長が申し訳なさそうに切り出したのが「年内でお暇させてください」という予想外の申し出でした。「どこに行くの?」と尋ねると、店の常連さんの卸売会社の社長が新しく始めるインバウンド(訪日外国人観光客)向けの日本料理店だと言います。
まさか私の知らないところでそんな引き抜き話が進められていたとは、想像すらしませんでした。大失策です。
板長にはそれなりの報酬を払ってきたつもりですが、この2~3年ほどはアルバイトの確保が最優先課題となり、昇給らしい昇給ができていませんでした。板長の「店が大変な時ですし、私は今のままで十分です」という言葉に甘えていたのです。
料理人の世界も人材難で、あの社長なら相当な待遇を用意したはずです。資金力では勝負になりませんし、引き止めるのは不可能だと思いました。
その時、板長がぽつりと言ったのです。
「お金じゃありません。社長は、『お前の日本料理を極めてほしい』と言いました。この店を開く時、大将と目指した先も同じだったはずです。なのに、大将はいつの間にか経営者になってしまった。経費削減は結構ですが、材料や料理の質にまで手を着けてほしくなかったというのが正直な気持ちです」
正論過ぎて全く反論ができませんでした。特にコロナ後は店の経営にばかり目が行き、板長が指摘した「料理人の良心」を失っていました。板長は、そんな私に我慢がならなかったのでしょう。
そろそろ店を閉める頃合いかなと思いました。
働き手の絶対数が足りず、建設や物流、飲食などの現場仕事で「人手不足倒産」や「人手不足閉店」が急増しているというニュースを見たのはつい先日のことです。
うちも今閉めたら、「人手不足閉店」と言われてしまうのだろうか。全然違うのにな。
様々な思いを巡らせながら、板長が注いでくれた酒を一気に飲み干しました。
※個人が特定されないよう事例を一部変更、再構成しています。
森田 聡子/金融ライター/編集者
日経ホーム出版社、日経BP社にて『日経おとなのOFF』編集長、『日経マネー』副編集長、『日経ビジネス』副編集長などを歴任。2019年に独立後は雑誌やウェブサイトなどで、幅広い年代層のマネー初心者に、投資・税金・保険などの話をやさしく、分かりやすく伝えることをモットーに活動している。
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