「30年来会っていない」結婚を反対され駆け落ち…今は老人ホームにいる父へ向けた「後悔しないための決断」
Finasee / 2024年9月30日 17時0分
Finasee(フィナシー)
式場の親族控室で椅子に座っていると、妻の実里に太ももを押さえられる。
「貧乏ゆすり、止めてよね」
「あ、ああ。悪い」
和寿は座り直して、天井を見上げた。気持ちがずっと落ち着かない。理由は分かっている。今日は息子――晴樹の結婚式だ。和寿は慣れないえんび服を着せられて、式が始まるのを待っていた。
ふいに出入り口のドアが開いて振り返る。そこにはスーツを着た晴樹の姿があった。りりしいタキシード姿の晴樹に実里が立ち上がる。実里に倣って、和寿も立ち上がった。
「今日は、ありがとな、来てくれて」
晴樹は少し照れくさそうに和寿たちに向かって、感謝の言葉を述べる。実里は笑って首を横に振る。
「そんなの当然でしょ」
もちろん、和寿も実里と同じ気持ちだった。
「あのさ、父さん」
晴樹に呼ばれて和寿は驚いた。晴樹が話しかけてくるなんてめったにないことだった。和寿はこれまで仕事ばかりをしてきて、晴樹と会話することはあまりなかった。基本的に家庭のことは実里に任せっきりだったのだ。
「ありがとうね。今まで育ててくれて」
目線を落としながら感謝を述べる晴樹を見て、和寿は固まった。すると、背後から実里に背中を突かれた。
「あ、ああ。気にするな。お前も、スーツ似合ってるな」
しどろもどろになりながら答えると、晴樹は軽くうなずいて控室を出て行った。晴樹がいなくなると緊張の糸が切れ、椅子にまた座り込む。そんな和寿を見て実里がおかしそうに目尻を落とす。
「良かったじゃない。あんなこと言ってくれるなんてね。もしかしてもう泣きそうなんじゃない?」
「ああ、そうだな……」
晴樹が出て行ったドアを見つめると思わず目頭が熱くなる。晴樹にとって、今日が最高の1日になればいいと熱を持った目頭を押さえる。
「ちょっと」
からかい混じりに肩をたたいてくる実里をあしらいながら、和寿は自分が結婚したときのことを思い出し、すぐに首を振ってかき消した。せっかくの晴れ舞台なのに、嫌な記憶で気分を悪くする必要はない。
間もなく式場のスタッフが親族を呼びにやって来た。和寿は気持ちを切り替え、息子の晴れ姿を温かく見守った。
父との確執家に帰った和寿はすぐに風呂に入り、いつもの部屋着に着替えた。1日中、慣れないえんび服に袖を通していたせいか、ひどく肩が凝っていた。冷蔵庫からビールを取り出した和寿を見て、ちょうど風呂から上がってきた実里は目を丸くしていた。
「式場でも飲んでたのに、まだ飲むの?」
「あそこじゃ緊張していて、飲んだ感じがしなかったよ」
「じゃあ私も付き合おうかな」
和寿はもう1本ビールを出す。
「ほんと、良い式だったよね」
実里がぽつりとつぶやく。
「あれだけの人に祝われたら、そりゃ、幸せだろうな……」
言葉を漏らした和寿を見て、実里は暗い表情になる。
「私たちのときは、いろいろあったからね……」
「……ああ、そうだな」
晴樹の結婚式は多くの人に祝われていた。しかし、和寿と実里の結婚はそうではなかった。特に父の幸三は、実里との結婚に大きく反対をした1人だった。幸三は代々受け継がれてきた土地を管理しているいわゆる地主だった。それなりに顔も広く、周りにはご機嫌取りに集まってくる人間がたくさんいた。もちろん家でも典型的な亭主関白で、幸三のやることには誰も反対できなかった。父は絶対的な権力者だった。
18歳で進学のために実家を出た和寿は、大学を卒業してからもそのまま県外の会社で働き、その会社で知り合った実里と交際を始めた。24歳の時、帰省していた和寿に幸三は縁談の話を持ちかけてきた。相手はよく幸三が世話をしている鉄工所の所長の1人娘だった。
『そろそろ1人前になれ』
幸三が言ってきたのを覚えている。もちろん和寿はいら立った。このときすでに実里と付き合っていたし、結婚も考えていた。プロポーズをしたわけではなかったが、結婚を考え始めていた時期でもあった。なので和寿は、生まれて初めて父親に真っ向から反抗した。幸三は激高し、和寿を家から追い出した。
和寿と実里が婚姻届を出したのはそれから2カ月後のことだったが、和寿の脳裏に勝手に縁談を進められてしまう前に結婚しなければという焦りがあったのは言うまでもない。結婚の報告と式の招待は、母を経由して幸三にも伝わっていたはずだが、結婚式に幸三が姿を見せることはなかった。あの日に追い出されて以降、和寿は実家に帰っていないので、当然実里も幸三にはあいさつすらしたことがない。
30年来会っていない父「お義父(とう)さん、元気にしてらっしゃるかしらね」
「どうだろうな。認知症になって老人ホームには入ってるけど、あの人のことだからな。けっこうしぶとく生きて、ヘルパーさんに迷惑かけたりしてるんじゃないか?」
幸三が認知症になったと聞いたのは5年前だった。自宅介護にするか、老人ホームに預けるか、母と電話で話し合いをした。
老人ホームには入居一時金が約90万、そして毎月の利用料が15万ほどかかる。デイケアを利用するのなら、1日3000円くらい払えば良かった。自宅介護なら介護用ベッドが10万から20万くらいで買える。当然、安いのは自宅介護になるが、母が1人で面倒を見るには相当な負担とストレスがかかるのは間違いなく、経済的にも全く問題なかったため、幸三は老人ホームに預けられることになった。
和寿はぼんやりと缶ビールを眺める。思えば、幸三もよく同じ銘柄のビールを好んで飲んでいた気がする。今、おやじはどんな様子なのだろうと、気になった。
「……会いに行けば?」
実里の言葉に思わず顔を上げた。
「は……?」
「会っておいたほうがいいよ。後悔しないようにさ」
実里との結婚から数えればもう30年近く会っていない。いまさら会って、何を話せというのだろうか。
「……ここからじゃ遠いし、そんな簡単には無理だよ」
「もうすぐ、連休あるって言ってたじゃない。1泊くらいで行ってきたらいいじゃない。ほら、ちょうど敬老の日だし。ぴったり」
実里はカレンダーを指さして、いたずらっぽく笑っていた。たしかに3連休を利用すれば行くことは可能だ。このまま今生の別れになるよりも、1度しっかり会って、話をしておいたほうが良いのかもしれない。
「晴樹に感謝されてうれしかったんでしょ? まあ、あなたはお義父(とう)さんに感謝とかないかもしれないけどさ、時間がたったから話せることもあるんじゃない?
和寿はずっと不安だった。幸三のようになるのではないか、そういう思いがずっとあった。父親として果たすべき役目が分からなかったからこそ、仕事にまい進し、家庭のことは実里に任せた。しかし今日、晴樹の感謝のおかげで、その重荷を少しだけ下ろすことができた。もしかすると、父も過去のふるまいについて後悔を抱いたり、父親としての不安を抱えていたのかもしれない。会うのは気が進まないが、最後に親孝行として、不安くらい解消させてやってもいいかもしれない。
和寿は缶ビールの残りを一気に飲み干した。
「よし、じゃあ、行くか……」
「ついていってあげるね」
和寿は約30年ぶりに幸三に会いに行くことを決めた。
●約30年ぶりの父子の再会、和解する術はあるのだろうか? 後編【「もっと早く来ていれば…」変わり果てた父と後悔する息子の間に起こった「信じられない奇跡」】にて、詳細をお届けします。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
梅田 衛基/ライター/編集者
株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。
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