「母親として情けない」義母の“母乳信仰”で円形脱毛症に…理不尽な義母を黙らせた「意外な人物」
Finasee / 2024年10月15日 17時0分
Finasee(フィナシー)
<前編のあらすじ>
念願の子供を授かった萌(32歳)は、母乳が出づらい体質だった。近くに住んでいる義母が子育てや家事を手伝いに来てくれることはありがたく思っていたが、母乳信者の義母は粉ミルクを与えていることについて再三嫌みを言ってくる。
夫に相談するが、話は聞いてくれるものの、実際に義母に物を申すなどの行動に移ることはなかった。
孫を思っての発言なのだと思うと、萌は強くは反論もできず、ストレスをため込んだせいか円形脱毛症になってしまった。
●前編:「また粉ミルクをあげてる」“母乳信者”の義母に悩まされ…主婦が直面した「無慈悲な体の異変」とは?
原因はストレス産後のホルモンバランスの乱れから抜け毛や肌荒れが起きるという話は、萌も事前に調べて知っていた。しかし親指の爪程度だった脱毛部分は大きくなり、おでこの上以外にも、頭頂と右耳の上のあたりにも地肌が見えていた。原因は定かではないが、ストレスに原因の一端があるとすれば、それは間違いなく暁子の母乳信仰にあると萌は思った。
「それじゃ、また、洗濯をやっちゃうわね」
「ありがとうございます……」
ベランダへ向かう暁子と入れ替わりに、萌は洗面所へ向かった。確認するたびに地肌が見える部分は大きくなっているような気がするが、確認せずにはいられなかった。鏡に映る萌は疲れ切り、みすぼらしかった。心なしか顔色も悪いし、目の下にはくまがくっきりと刻まれている。近々どうにか時間を作って美容院に行きたいと思っていたが、これでは髪を染め直す以前の問題だ。
「こんなはずじゃなかったのに」
萌はつぶやく。吐き出した絶望に呼応するように、ついさっきまで上機嫌だったはずの陸人がまた泣き出した。リビングに向かい、萌は陸人を抱き上げた。時計を見ればもうミルクをあげなければいけない時間だった。時間は萌を駆り立てるように、あっという間に過ぎ去っていく。
萌はキッチンで哺乳瓶を用意しようとして手を止めた。ミルクをあげていれば、またきっと責められるだろう。耐えられなかった。萌は哺乳瓶を置き、陸人を抱いてソファに座り、右の乳房を差し出した。いつもと違うと思ったのだろうか。一瞬おっぱいを口にくわえた陸人だったがすぐに吐き出し、顔を真っ赤にして泣き続けた。
「ほら、飲んで。飲んでよ……!」
しかし萌の祈りはむなしく、陸人は泣き叫ぶだけだった。
「何やってるのっ⁉」
その泣き声を聞きつけてか、暁子がベランダから戻ってくる。その表情はゆがめられており、まなざしは鋭い。
「何って、おっぱいをあげようと……」
「そんな一朝一夕で出るわけないじゃない。まずは自分の生活を見直さないとダメでしょう」
暁子はキッチンへ向かい、途中で放り出したままになっていたミルクを手際よく作っていく。やがて暁子はミルクを作り終えて萌の前にやってくると、泣き続けている陸人を萌の腕から奪い去る。
「まったく、ダメなママですねぇ。仕方がないから粉ミルクで我慢してねぇ」
萌はあふれそうになる涙を必死に堪えていた。もう、限界だと思った。
どっちでもいいじゃないですか日も西へと傾き始めたころ、ようやく眠った陸人を横目に一息ついた暁子は帰路につくために立ち上がった。萌も玄関まで見送りに出るが、気持ちよく感謝を述べて送り出すつもりはなかった。
「お義母(かあ)さん」
靴を履いている暁子の背中に呼びかける。
「私、もう耐えられないです。母乳だ粉ミルクだって、そんなのどっちでもいいじゃないですか。お義母(かあ)さんの言い分も分かりますけど、陸人は粉ミルクだって元気に育ってるんです」
暁子がため息をつく。刺すような鋭さに、思わず耳の奥がつんと痛む。
「こうやって手伝いに来ていただけるのはうれしいし、ありがたいんですけど、ミルクのことだけは本当にストレスで……。産後のホルモンバランスもあって、円形脱毛症になっちゃったんですよ、私……」
後半はほとんど消え入りそうな声だった。それでも言わないと自分が壊れてしまうと思った。
「へぇ?」
暁子は振り返って目を丸くしていた。萌は厚めに作った前髪をかき分け、すっかり大きくなってしまった地肌の部分を見せた。正直、この体調の異変を明らかにすれば同情してもらえるはずだろうという打算がなかったわけではない。しかし義母の口から吐き出されたのは深いため息と冷たい言葉だった。
「はぁ、情けない」
「……へ?」
「だってそうでしょう。私だって手伝いに来てるし、陸人なんて全然手がかからないお利口さんじゃない。それなのに、ストレスで髪が抜けたなんて、母親として情けないにもほどがあるわよ? そんなんでこれから先やってけるのかしら」
「いえ、そうじゃなくて……」
「母乳のことだってそう。母乳をあげるのは母親として当然の役目でしょう? 私はね、陸人のことを思って言ってるのよ。それをストレスだなんて言われたら、なんだか私が悪いみたいじゃない」
「……お義母(かあ)さんが陸人のためを思ってるのは分かってます。でもこれは体質なんですよ。だから、理解をしてほしいんです」
暁子はもう一度ため息をつく。萌はだめだと思った。のれんに腕押しするように、どれほど懸命に思いのたけを伝えても、きっと暁子には響かない。
「私だって、あなたが憎くて言ってるわけじゃないのよ。陸人が心配だからね……」
「はい、分かっています……」
暁子は最後に追い打ちをかけるようにため息をつき、帰っていった。扉がゆっくりと閉まった。萌は玄関に座り込んだ。涙を流す気力すら湧いてこなかった。
間もなく動体検知の照明が消えた。薄暗い玄関はひどく冷たく感じられた。
あなたがしっかりしないと萌の円形脱毛症は進行し、1日に8度ある陸人のミルクは完全に苦行になっていた。何度か母乳をあげることを試み、そのたびに世界の終わりのように泣かれ、粉ミルクを使えば意味のない罪悪感にさいなまれた。
そんなあるとき、母乳もあげていないのに陸人が激しく泣きわめく日があった。萌は陸人の顔がいつもより赤いことに気付く。手を額に当ててみると、いつもより熱かった。萌は慌てて陸人の脇に体温計を入れた。体温を確認すると、38度1分と表示された。明らかに平熱を超えていた。萌はすぐにかかりつけの病院に電話をしてタクシーを呼んだ。タクシーを待っている時間は永遠のように長く感じられた。
鳴り響いたインターホンに応対すると、訊ねてきたのは暁子だった。萌は玄関を開け、暁子を招き入れる。そのあいだもずっと、陸人は泣き叫んでいる。
「お義母(かあ)さん、陸人、熱が出ちゃってこれから病院に行くところなんです」
「あら、大変じゃない。病院は? 救急車……」
「いえ、タクシーを呼んであります。もうそろそろ来ると思うんですけど」
「何悠長なこと言ってるの。母親なんだからあなたがしっかりしないと!」
謎にしかられるのも、もう慣れすぎて何も響かない。間もなく到着したタクシーに3人で乗り込み、病院へと向かった。
お母さんのことも大切にしてあげてください診察を終え、医師が問題ないと言ってくれたので、萌は胸をなで下ろす。泣き叫びすぎて疲れたのか、陸人はベッドの上でぐっすり眠っている。
「よかった……」
油断はできないが、これでひとまず安心だと、萌は安堵の息をつく。すると、後ろで話を聞いていた暁子が身を乗り出した。
「先生、この発熱って粉ミルクばかりあげている栄養不足が原因じゃないんですか?」
暁子の言動に、萌は怒りを通り越してあきれを覚える。こんなところで、粉ミルクの話を蒸し返さなくてもいいのに。
医師は冷静に口を開いて応答する。
「そういう事をおっしゃる方はいらっしゃいますね」
「そ、そうですよね?」
「ですが、結論から申し上げますと、粉ミルクと母乳の栄養素に大きな差はないと言われています」
暁子は目を丸くする。
「え……? そうなんですか……?」
萌はとぼける暁子をにらまずにはいられなかった。同じことは萌の口から何度も伝えていたはずだ。何を初めて聞いたような反応をしているのだ。
「母乳のほうが良いという気持ちは分かりますが、お母さんの体質によっては出にくい場合があります。そのために粉ミルクがあり、そして粉ミルクの成分に関しては、母乳に近い栄養素になるように各メーカーが開発をしてくれているんですよ」
「そうですか……」
専門家の意見には逆らえないのか、暁子は口ごもった。医者は「それに」と言葉を継いだ。
「母乳をあげなきゃいけないことがプレッシャーになり、ストレスになっていれば本末転倒です。周りの方はお子さんを思うと同様に、お母さんのことも大切にしてあげてください」
「はい、すいません……」
医者の言葉に暁子を責めるようなところはなかったが、暁子自身に思うところがあったのだろう。背中を丸めて小さくなった暁子は医者に向かってうなずいた。
義母からの謝罪萌は眠っている陸人を抱きかかえながら、病院の前でタクシーを待っていた。隣りには診察室を出て以来、だんまりになっている暁子がいる。
「本当に、ごめんなさいね……」
ふと暁子がこぼす。萌は少し驚いて暁子を見た。
「私、萌さんにひどいこと言っていたわよね。お医者さまにも言われちゃって、陸人と萌さんにひどいことしていたのは自分だったのに。……本当にごめんなさい」
「いいですよ。ミルクのことは本当にしんどかったですけど、それでもお義母(かあ)さんが陸人の面倒見てくれることには感謝してるんです。いつも本当にありがとうございます」
「粉ミルクも、今はちゃんとしてるのよね」
「そうですね。それに、粉ミルクには母乳よりもいいところがあるんですよ? パパもおばあちゃんも、陸人にミルクがあげられるんです」
萌が冗談めかして笑うと、つられた暁子も口の端をほころばせた。
「そうね。じゃあ、今度、ぜひ私にもちゃんとミルクをあげさせてもらおうかしら」
「もちろん」
萌は笑った。秋口の健やかな風が吹いていた。
もう必要以上のストレスがかかるようなこともなくなるだろう。円形脱毛症が治ったら、美容院を予約しようと思った。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
梅田 衛基/ライター/編集者
株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。
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