「誰もあんたに面倒見てくれなんて頼んでない」要介護の実母がかたくなに同居を拒んだ「驚きの理由」
Finasee / 2024年10月23日 17時0分
Finasee(フィナシー)
<前編のあらすじ>
沙織(42歳)は、スーパーマーケットでパートで働きながら、実母・達子(70歳)の介護のため、実家まで通っている。
達子は腎臓の病気で人工透析の費用もかかる上、週に数回の実家までの往復は、沙織の体力も経済的にも決して軽くない負担になっていた。
沙織は実家を売って一緒に住むことを提案するが、「無理して来なきゃいい。誰もあんたに面倒見てくれなんて頼んでないんだから」と、かたくなに同居を拒まれてしまい、大げんかに発展する。
●前編:「何を言われてもこの家から出る気はない」実母に同居を拒まれ…40代娘が「通い介護を苦行」に思うワケ
悠長な気持ちではいられない「おばあちゃんも素直じゃないよね」
沙織が柿を盛りつけた皿を出すや、待ってましたと言わんばかりに娘の絵里はフォークを刺して頰張った。春から中学に上がった娘は、夕飯のカレーを三杯も食べていたはずなのに、柿を次から次へと口のなかへ運んでいく。いくら好物だからと言っても、育ち盛りの胃袋の無尽蔵さに驚かずにはいられない。
「お義母(かあ)さんも、きっと沙織の負担のことを申し訳なく思ってたんだよ」
夫の茂もテレビから視線を外して沙織に言葉をかけてくれる。2人とものんきなものだ。だが、そののんきさがいら立つ沙織の心をなだめてもくれた。
「そうかもしれないけど、言い方ってもんがあるでしょ。こっちだって別に遊びに行ってるわけじゃないのにさ」
沙織もダイニングチェアに座り、柿を頰張る。まだ少し時期が早いのか、柿は少し渋かった。
「ずっと住んできた家なんだろう? きっとお義母(かあ)さんにも思い出があって、離れるに離れられない気持ちがあるんだよ。だからもう、ゆっくり相談していけばいいよ」
茂の言うことがもっともだとは思う。しかし茂が介護を手伝えるのは仕事がない週末だけで、平日の世話はパートの融通が利きやすい沙織の役目だ。ゆっくりやっていては、沙織の体力のほうが先に限界を迎えてしまう。だから悠長な気持ちではいられなかった。
頑張ってこられたのは、母との良好な関係があってこそ面倒見てくれなんて頼んでない――と言われたものの、はいそうですかと放っておくわけにもいかず、沙織は達子のもとへと通い続けていた。
家から出て行く話をしたのがよほど気に入らなかったのか、達子は不機嫌な態度を取るようになった。とくに掃除についての警戒心は強く、家のなかを勝手に整理されるのではないかと、沙織がまとめたゴミ袋をたびたび確認した。いくら娘だからといって家のなかにあるものを勝手に捨てたりはしない。ゴミ袋に入っているのは一般的な家庭ゴミだけだと何度も説明したが、達子は一向に理解しようとはしなかった。
体力はもちろん、沙織の気力もすり減っていった。生まれてから就職するまで住み続け、父が死んでからは母に寂しい思いをさせないようにとたびたび顔を出すようになっていた実家は、息苦しいだけの場所になりつつあった。これまでハードな通い介護を頑張ってこられたのは、母との良好な関係があってこそだったのだと痛感した。面と向かって頼んでいないと言われてしまった。感謝のひとつもされない介護はただの苦行でしかなかった。
それでも沙織は娘としての義務感に突き動かされるようにして、実家へ向かうために定時でパートを切り上げる。
「大丈夫? ここのところ、だいぶ疲れてそうじゃない」
ロッカールームで着替えていると、いつものように宮下に声をかけられる。沙織は笑顔をつくって宮下を見るが、あまりうまく笑えている自信がなかった。
「うん。ちょっとね。でも大丈夫」
「そうは見えないけど。お節介かもしれないけどさ、抱え込んじゃだめよ。あたしでよければ話くらい聞けるから。なんでも言ってよ」
「ありがとう。でも本当に大丈夫」
「そう」
宮下の気遣いに感謝をしながら、沙織はロッカールームを後にする。相談なんてできるはずがない。介護は確かに重労働だ。しかし大変さや苦しさを理由に弱音を吐くなんて、まるで親をないがしろにしているみたいで恥ずかしかった。
沙織は胸のうちで渦を巻く感情を置いてけぼりにするように、力任せにペダルを踏む。まるで後ろから何かにすがりつかれているように、からだは重く、鈍かった。
7年越しの秋の約束実家の居間や台所に達子の姿は見えなかった。沙織はトイレや風呂場をのぞき込み、2階に上がって寝室を確認する。やはりどの部屋にもいなかったが、寝室の窓から見える階下の庭に、柿の木を見上げる達子の姿をようやく見つけることができた。
「こんなところで何してんの。もう冷えてきたし、中入ろ。風邪引くよ」
沙織は庭に出て、達子の後ろ姿に声をかける。しかし達子は柿の木の前に立ったまま、聞こえているのか聞こえていないのかも分からず、動く気配はなかった。
「お母さん?」
「もう少しだね」
「もう少し?」
ため息を吐くようにつぶやいた達子に、沙織は聞き返す。思えば、この柿の木はいつからここにあるのだろうか。庭いじりの趣味が高じて、食卓には庭で取れた野菜や果物が並ぶことも多かった。しかし沙織の記憶に、庭で取れた柿が並んだことはない。
「桃栗3年柿8年とは言うけどね、柿っていうのはだいたい7年くらいで実をつけるらしいんだよ。今年で6年目。とうとう来年には実が成るかもしれないよ」
「そう。そんなにたつんだ。もし実が成ったら絵里も喜ぶかもね。あの子、柿好きだから」
「ふふふ。たくさん成るといいねぇ」
そう言って柿の木を見上げながらほほ笑む達子に、沙織はハッとした。まだ小学校に上がりたてだったころ、どうしてもいっぱい柿を食べたいとせがんだ絵里が、種を埋めるんだと駄々をこねたことがあった。達子は絵里を庭へ連れて行き、好きなところに埋めてごらんと伝えた。絵里は庭の一角に――たしかこの場所に柿の種を埋めていた。
『おばあちゃん、来年はいっぱい柿食べれるかな』
『どうだろうねぇ。桃栗3年柿8年って言うからねぇ。絵里がうんと大きくならないと、柿は食べられないかもしれないねぇ』
『えー、そんなの忘れちゃうよ』
『大丈夫。おばあちゃんがちゃんと覚えておいて、たくさん柿の実が成るようにお世話するからね』
『ほんと⁉ 約束だよ?』
『もちろん。約束するよ』
あのときは駄々をこねる絵里を納得させるための方便だと思っていた。その証拠に、さすがに翌年くらいまでは植えた柿の様子を気にしていた絵里も、成長とともに柿の木のことなんて忘れている。
しかし達子は違ったのだろう。絵里が成長して約束を忘れても、中学に上がって始めたテニス部が忙しくて、小さいころはあれほどべったりだった祖母の家にめっきり顔を出さなくなっても、あのときの約束を今もなお覚えていて、柿の木が実をつけるのを楽しみに過ごしている。
「お母さん。もしかして、うちで一緒に暮らすの断ってたのって、この柿が理由?」
風が吹いた。落ち葉が舞って、夏よりも元気のなくなった草木が寂しげに擦れていた。
「寒くなってきたねぇ。毎年、秋が短くていやになるよ」
達子は答えずに、部屋のなかへと戻っていった。
沙織はもう一度、立派に育ちつつある柿の木を見上げた。もう少し、少なくともあと1年、柿が実をつけるまでは、頑固で孫思いな達子のわがままに付き合ってあげるのも悪くないのかもしれないと思った。
「お母さーん、今度、絵里たちも連れてくるから、みんなで鍋でもしようよ」
達子の背中を追いかける沙織の背中を、さわやかな秋風が押した。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
梅田 衛基/ライター/編集者
株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。
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