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「あんたとはお母ちゃんから受けた愛情の量が違うの!」母の介護を打診すると…優しかった姉が驚きの豹変

Finasee / 2024年11月8日 17時0分

「あんたとはお母ちゃんから受けた愛情の量が違うの!」母の介護を打診すると…優しかった姉が驚きの豹変

Finasee(フィナシー)

4人きょうだいの末娘

中国地方在住の片岡智子さん(仮名・60代)の両親は、父親26歳、母親19歳の時にお見合いで結婚。1944年に長男を出産し、その3年後に次男、次男の2年後に長女、長女の8年後に片岡さんが生まれた。

銀行マンだった父親は35歳の頃、妻になんの相談もなく退職し、薬局経営を始めた。母親は上の子どもたちが小さいうちはベビーシッターを頼み、薬局の仕事を手伝ったが、35歳の時に末っ子の片岡さんを出産すると、子育てに専念する。

やがて、大学を出て薬問屋に勤めていた長兄が25歳で結婚し、家を出てしばらくすると、父親の薬局の経営に参加。

一浪した次兄は19歳の時に関東の大学に進学するため家を出、姉は27歳で関東の人と結婚し、家を出て、2人とも関東で暮らしている。

片岡さんは大学2年の時に、クラブの合宿で同い年の男性と知り合い、その年の夏休みに交際をスタート。大学卒業後はそれぞれ教育系の仕事に就き、片岡さんが25歳の時に結婚。夫の仕事の関係で、実家から特急で3時間ほどかかる田舎町で新婚生活を始めた。

父親の死

片岡さんの父親は、60歳の頃に慢性肝炎と診断されたことを機に、少しずつ長兄に薬局経営の仕事を託し、空いた時間で釣りやカメラの趣味を楽しみ始めた。

70歳の時、「始発で行ったのではいい釣り場を取られてしまう」と言って自動車免許を取得。71歳で初めて高速道路を運転し、釣りをして帰宅。その翌日、脳梗塞を起こした。

父親は入院すると、肝臓がんが見つかった。半年から1年という余命宣告を受けると、治療の甲斐もなく、1年後に死去。まだ片岡さんが30歳の時だった。

遺された母親は、30年近く悠々自適な一人暮らしを満喫していたが、2015年の92歳のとき、血尿が出たことをきっかけに病院を受診すると、腎臓がんだとわかる。それから片岡さんは月1〜2回、電車で1時間半ほどかけて実家に行き、母親の生活をサポート。母親が96歳の時には、心臓機能の低下からペースメーカーの埋め込み手術が決まり、2週間入院。片岡さんは、毎日2時間かけて面会に通った。

介護で拗れるきょうだい仲

母親は2020年、97歳の誕生日まで一人暮らしができていた。
しかし主治医から「腎臓の腫瘍が大きくなって、リンパ節への転移も見られます」と告げられると、頻繁に微熱に悩まされるように。

「長兄は43歳の時に交通事故に遭い、脳挫傷の重体から奇跡的に回復しました。少し後遺症が残り、スマホ操作は苦手ですが、基本的な日常生活にはほぼ支障はありません。長兄のお嫁さん(義姉)は、薬剤師でケアマネジャーの上、私の父が亡くなったのとほぼ同時期に長兄が交通事故に遭ったため、薬局経営も支える多忙な生活をしていました。次兄はきょうだいの中で一番頭が良くて、関東の有名国立大を卒業して有名企業を定年退職しています。姉はとても優しい人で、小さい頃から私の良き相談相手でした」

片岡さんと長兄は比較的実家の近くに住んでいたが、次兄と姉は関東で暮らしていた。それでも母親が97歳の誕生日を迎え、頻繁に微熱を出すようになると、次兄と姉も1ヶ月に1回は帰省し、実家に滞在することが増えた。そしていつしか次兄から、母親の施設入所の話が進められていた。

だが母親のケアマネジャーは「まだ一人住まいは続けられます」と言っていた。片岡さんも、母親が96歳の時に、ペースメーカーの埋め込み手術を受けて入院していた時を思い出し、「施設に入ると急激に老け込んでしまわないか。本当に自活できなくなってからでいいのではないか」と考えていた。

悩んだ片岡さんは、姉に電話で相談してみることにした。

「施設に入るのを少しでも遅らせるために、例えばお姉ちゃんの所にしばらくお母ちゃんが滞在するとか、選択肢の一つとして考えられないかなあ?」

当時、片岡さんの家には2年前から要介護3の義母が同居していたため、母親を滞在させることが難しかったのだ。

すると、優しかった姉から信じられない言葉が返ってきた。

「うちは無理! あんたとはお母ちゃんから受けた愛情の量が違うの! 私や下の兄さんは、上の兄さんやあんたほど母さんから愛情を受けていないの!」

片岡さんはびっくりしつつも、
「だからって、まだ一人で生活できるお母ちゃんをすぐに施設に入れてもいいの?」
と言うが、姉は取りつく島もなく、激しい言い合いになった。

「ずっと優しくて仲の良かった兄や姉が、まだ自活できている母を施設に入れてしまえるような冷たい人になっていてショックでした。姉のようなことを言い始めたら、私は成人式の振袖は姉のお下がりでしたし、姉の就職祝いにはアクセサリーを買ってもらっていましたが、私には何もありませんでした……」

関東で暮らす次兄と姉は、帰省するたびに施設入所の良い話ばかりを母親に囁き続け、母親もその気になってしまったようだ。

43歳で交通事故に遭った長兄は、その後遺症や薬局経営のため、きょうだい会議にあまり参加できずにいた。だが、ケアマネをしている長兄の妻が、「家も近いですし、私が通ってケアしますよ」と申し出ても、母親は「迷惑はかけられない」と言い、次兄と姉が勧める介護付き有料老人ホームに入ってしまった。

●4きょうだいが、母の介護を巡り対立していきます。後編【「一体、なにがしたかったのか」母の想いを無視した施設入所、葬式、遺産分割の末、家族に残されたものは?】にて、詳細をお届けします。

旦木 瑞穂/ジャーナリスト・グラフィックデザイナー

愛知県出身。アートディレクターなどを経て2015年に独立。グラフィックデザイン、イラスト制作のほか、終活・介護など、家庭問題に関する記事執筆を行う。主な執筆媒体は、プレジデントオンライン『誰も知らない、シングル介護・ダブルケアの世界』『家庭のタブー』、現代ビジネスオンライン『子どもは親の所有物じゃない』、東洋経済オンライン『子育てと介護 ダブルケアの現実』、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、日経ARIA「今から始める『親』のこと」など。著書に『毒母は連鎖する〜子どもを「所有物扱い」する母親たち〜』(光文社)がある。

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