「世間は他人の悪意ばかり…」災難続きの30代“撮り鉄”男性が、駅のトラブルで気づかされた「忘れていた気持ち」
Finasee / 2024年10月25日 17時0分
Finasee(フィナシー)
<前編のあらすじ>
優太(33歳)は、上司のパワハラが原因で会社を辞めた。心に傷を負ってしまい、大きな音がすると、上司の怒鳴り声などがフラッシュバックするようになっていた。
2カ月ほど通院しながら自宅で療養し、ようやく気分が上向きになってきたところで、気分転換に鉄道で鈍行を乗り継ぐ一人旅に出ることに決めた
いわゆる「撮り鉄」の優太は、JR只見線を撮影しに向かうが、途中に立ち寄った駅で貨物列車を夢中で撮影していたところ、荷物を置引されてしまう。
●前編:飲み会を断ったら退職に追い込まれ…肩身の狭い30代“撮り鉄”男性に襲い掛かった「つらすぎる追い打ち」
想定外の事態に動揺する優太優太はリュックサックがあったはずのベンチに腰かけ、頭を抱えていた。
「兄ちゃん、大丈夫か?」
声とともに肩をたたかれ、優太は反射的に顔を上げる。ひげを蓄えたかっぷくのいい年配の男が立っていた。優太のからだは意志と関係なくこわばった。前の職場での苛烈なパワハラのせいで、優太は年上の男性に対してことさらな苦手意識を植え付けられていた。
いきなり大声で怒鳴られたり、舌打ちをしてにらまれたりしたらと思うと、からだがすくんだ。しかし男は穏やかな声音で、優太に質問を重ねた。
「気分でも悪いのか?」
「あぁ、いえ、荷物、置引に遭ったみたいで……」
優太が言うと、男は額を抑えて空を仰いだ。予想外の大きなリアクションに優太は驚いた。
「そうか、そうか。そりゃ災難だったな。兄ちゃん、携帯はあるか? 財布もやられちまったなら、カードの利用停止手続きだな。あと免許証とか、身分証関係も警察に届けたほうがいい。保険は入ってるか? 携行品損害特約とかついてりゃ、保証してもらえる場合もあるんだが……」
優太は首を横に振る。置引なんて事態に遭遇するとは思ってもみなかったのだから、そんな危機管理をしているはずがなかった。
「まあそうだよな。よし、ちょっと、駅員呼んでくっから、兄ちゃんはここで休んどけ」
男はてきぱきと助言し、小走りで駅員を呼びに向かっていった。ベンチに取り残された優太は深く息を吐き、男の助言に従ってスマホでカード会社の電話番号を調べ始める。しかし指の動きは遅く、ため息ばかりが口をついて出る。
せっかくの旅が台無しだった。財布やクレジットカードなどももちろんショックが大きいが、いい写真を撮るためにそろえ、ずっと旅を共にしてきたカメラ機材まで盗まれてしまったことがより心に堪えた。パワハラに心を折られ、置引になけなしの自尊心すら踏みにじられる。世間には他人の悪意ばかりがはびこっているように思えた。
兄ちゃん、よかったじゃねえか「――兄ちゃん! 兄ちゃん! こっちこっち! 」
声がしてスマホから視線を上げると、改札口のほうで男が手を振っていた。優太は膝に力を込めて重い腰を上げ、小走りで男の元へ向かった。男は優太の肩をつかみ、うれしそうに口の端を釣り上げた。
「兄ちゃん、荷物見つかったってよ!」
「え?」
「だから、荷物! 見つかったんだって! 地元の高校生がチャリで追っかけて取り返してくれたって!」
男は興奮気味にまくし立てた。状況に理解が追いつかない優太だったが、男が繰り返し伝えると徐々に事態の輪郭がふに落ちた。
「……本当ですか?」
「おう。こんなことでうそなんてつくかよ。ほら」
駅員と男に連れていかれた乗務員室には男子高校生が2人、スツールに腰かけていた。机の上には、他でもない優太のリュックサックが置いてある。
気がついたときには、優太の目から涙があふれていた。大の大人が泣くなんて恥ずかしいと思った。ばかにされるかもしれないとすら感じた。しかし駅員も男も、男子高校生たちも、ほっとしたような顔で優太の気持ちが落ち着くのを待ってくれていた。
「そんなに喜んでもらえると、追っかけたかいがあったな」
「でも、声かけたら、犯人ビビッて逃げちゃって捕まえらんなかったけど」
2人が言うには、少し離れた場所から置引の瞬間を目撃し、大声で異変を知らせようとしてくれたらしい。ところが、優太は鉄道に夢中で全く気付く様子がない。そこで、2人はとっさの判断で犯人を追いかけた。
「2人がすぐに追いかけてくれたので、大丈夫かと思いますが、高価な機材なども入ってるようなので、一度ご確認いただけますか?」
やがて駅員に促されて、優太は荷物を確認した。幸い、ケースに入っているものがほとんどだったので、機材が壊れたりはしていなかった。2人がすぐに追いかけてくれたこともあり、財布の中身も全て無事だった。
安心したせいか、一度は止まっていた涙が再びあふれ出す。
「兄ちゃん、よかったじゃねえか」
「はい、ご迷惑をおかけしました……」
肩をたたく男に、優太は頭を下げた。しかし男は険しい顔で首を横に振った。
「ちげえだろ。そういうときは、ありがとうだろ?」
男に言われて、ハッとした。そうだった。前の職場のせいですっかり謝る癖がしみついていた。こんな当たり前のことすら分からなくなるほどに、追い込まれていたのだ。
「そうですね。本当に、ありがとうございました」
優太は男と駅員に頭を下げ、男子高校生に何度もお礼を口にした。2人は照れくさそうに顔を見合わせていた。
「ラッキー」と思える心優太は最後までお礼を言って、只見線を目指す旅を再開した。
先ほどの騒動で時間はすっかり押してしまったが、この旅の目的を果たしたいという気持ちはより強くなっていた。正直なところ、この旅は誰とも関わらず鉄道を撮ることに没頭しようと思っていた旅だった。しかしアクシデントに見舞われ、見ず知らずの人々に助けられたことで、心境は変わりつつあった。
優太が只見線の有名な撮影スポットに着いたころには、すでに日は傾きかけていた。しかし、けがの功名と言うべきか、夕暮れの空と紅葉に彩られた山々が溶け合う光景は、あまりに幻想的で、疲れた心に再び静かな感動を与えてくれた。
カメラを取り出し、三脚を準備した。燃えるような黄金の光景は、優太を一瞬にしてとりこにしていた。
「今日は最高の景色ですよ」
後ろから声を掛けられて振り返ると、数年前に別の撮影地で出会った撮り鉄仲間の岡田が立っていた。あまりに偶然の再会だったが、その顔を見た瞬間、優太はどこか懐かしさと安堵(あんど)感を覚えた。また彼がすぐに自分だと気付いてくれたことも、優太の心を解した。
「お久しぶり。こんなところで会うなんてびっくりしましたよ。最近、見かけなかったから少し心配してました」
「お久しぶりです。実はちょっと会社でごたごたがあって。今回はちょっと気分転換にと思って初めて来たんですよ」
「そうだったんですか。いやぁ、でもこんな景色見たら、心が洗われちゃいますよね。僕、只見線はたびたび撮ってるんですけど、ここまでの景色を見たのは初めてです。島田さんはとてつもなくラッキーだ」
岡田の言葉に、思わず優太の唇はほころんだ。
たしかにラッキーだ。パワハラで心を折られ、旅先では置引に遭うアクシデントに見舞われた。しかしそれでも、出会った人に助けられ、今こうして最高の景色の前に立っている。それがラッキーでなくて何だというのだろうか。
「そうですね。本当にきれいです」
優太たちが談笑していると、只見線の列車が、山あいのトンネルから静かに現れた。黄金の風景を切り裂くように走るその姿は、まるで映画のワンシーンのようだった。優太は夢中になってシャッターを切った。岡田も隣りでシャッターを切っていた。
風景を切り取る人さし指に熱を感じた。傷ついた優太の心に、確かな熱がともった。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
梅田 衛基/ライター/編集者
株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。
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