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「1匹のサンマも買えなかった」貧困にあえぐ50代娘が、要介護の実母のために下した「大きな決断」

Finasee / 2024年11月7日 17時0分

「1匹のサンマも買えなかった」貧困にあえぐ50代娘が、要介護の実母のために下した「大きな決断」

Finasee(フィナシー)

<前編のあらすじ>

ひかり(55歳)は、スーパーマーケットでパートをしながら、母・良子(78歳)と2人で暮らしている。良子は認知症を患っていて、足腰も悪く、ひかりの介護が必要だった。

月々の介護費用は、ひかりのパートでまかなっている生活費を圧迫しており、事故で亡くしたひかりの夫の保険金も徐々になくなっていく。

訪問介護に来ている介護士からは生活保護をすすめられるが、決断できずに悩むひかりだった。

●前編:「生活保護を受給すれば…」“貧困ワンオペ介護”に悩む50代女性に、認知症の母親が放った「壮絶な一言」

母の記憶

ある日のパート終わり、ひかりはそのままスーパーで買い物をしていた。母を見てくれている介護士と交代するまで、まだ時間に余裕があったからだ。

値引きシールを探しながら食料品を物色していると、何気なく立ち寄った鮮魚コーナーで思わぬ光景が目に留まった。

丸々と太ったサンマが、驚くほど安く売られているのだ。

ひかりの記憶が確かなら、去年は1尾300円以上したはず。それが半額以下の120円代になっていた。かつては庶民の魚だったサンマも、近年の不漁のせいで高級魚になり、ここ数年はお目にかかることがなかった。

値札を見つめるひかりは、ふと昔のことを思い出す。

「母さんが作ってくれたサンマのかば焼き、懐かしいな……」

遠い記憶の中の食卓には、今は亡き父も一緒に座っていた。

ひかりの父は寡黙な人だったが、母の料理を食べるときだけは、「おいしい」と笑顔を見せていたのをよく覚えている。父はいつも仕事で忙しく、家にいる時間は少なかったが、それでも家族3人で食卓を囲む時は、穏やかな時間が流れていた。

ひかりにとって、食事の時間は家族の絆を感じられる大切な瞬間だった。特に母が作ってくれるサンマのかば焼きは、ひかりのお気に入りだ。

毎年秋になると、母の良子は新鮮なサンマを市場で買ってきて、丁寧にさばき、甘辛いタレでかば焼きを作ってくれたのだ。その香ばしい匂いが台所から家中に広がり、食欲をそそった。食卓にかば焼きが出されると、ひかりはいつも真っ先に箸を伸ばした。焼きたてのサンマは皮がパリパリで、中はふっくらとしており、濃厚なタレと白いご飯の相性は抜群だった。

ひかりにとって、サンマのかば焼きは特別な思い出の味なのだ。

加えて、かば焼きを作っている母を見るのも好きだった。サンマをおろすときの母の手際は見事で、ひかりも何度もその姿を見ながら、「自分もいつかこんなふうにできるようになりたい」と思っていた。

母は調理をしながら、「こうやって骨に沿って包丁を入れるんだよ」「焦がさないようにじっくり焼くのがコツ」と、手とり足とり教えてくれた。その手つきは職人のように無駄がなく、美しかった。

母のかば焼きは、ひかりにとって「家庭の味」そのものだ。今でもその香りを思い出すたびに、父と母と過ごした大切な時間の確かな温度がひかりの胸を満たした。

「久しぶりに母さんに作ってあげようかな……」

ひかりは自然にサンマを手に取っていた。母の味を再現できるかは分からないし、ひかりが作ったものを喜んでくれるとは思えないが、それでも作ってみようと思った。

何もかもが変わってしまった今でも、あの味だけは変わらないのではないかと、どこかで期待している自分がいた。

信じられない母の一言

いつものように自転車で母の待つ家に帰宅し、介護士とバトンタッチしてから、ひかりは早速台所に立った。

買ってきたばかりのサンマをまな板の上に置き、包丁を握ってみたが、魚をさばくのなんて久しぶりだったから、心の中には不安がよぎった。

魚をおろす手は、心なしかぎこちない。昔、母が手際よくやっていた姿を思い出しながら、自分なりにまねてみるものの、どうにもうまくいかないのだ。

焦りとともに、懐かしい記憶がますます遠のいていくような気がした。懐かしさに駆られてサンマを買ってきたが、無駄だったのかもしれない。

そんな時、不意に背後から声がした。

「おろし方がなってないよ」

驚いて振り返ると、そこには母が立っていた。

いつもなら、ぼんやりとした表情で遠くを見つめている母が、この時だけは頼もしい目つきでこちらを見ていたのだ。

「母さん……?」

その瞬間、ひかりは自分の心が震え出すのが分かった。

母の手が、まるで昔のように動き出したのだ。

ひかりから包丁を受け取り、まな板の上のサンマに手を伸ばすと、見事な手際でサンマをおろし始めた母。いつもは、ひかりが誰かすらも分からない母が、この時だけは確かに目の前にいる気がした。

「こうやって、まずは背骨に沿って包丁を入れるんだよ」

母の声が、優しく響いた。ひかりはぼうぜんとしながらも、夢中でその手順を目で追いかけた。あの頃と同じだ。母が教えてくれた通りの動き。その手の動きは、まるで時をさかのぼったかのように正確で、迷いがない。

「はい、これでできた」

母がさばいたサンマは、本当に見事だった。

その様子を黙って見つめていたひかりだったが、気づけば涙が頰を伝っていた。母が、母である時間が、ほんの一瞬だけ戻ってきたのだ。

「何で泣いてるんだい。ほら、裁いたらすぐに焼くよ。調味料だしとくれ」

「うん……っ」

ひかりは砂糖やしょうゆを戸棚から取り出した。これが認知症の「まだら症状」だということは分かっている。だからサンマのかば焼きが母の記憶を呼び覚ましたわけではなく、これは単なる偶然だ。

だが、分かっていても期待してしまう。この世界でたった2人の家族なのだ。

母との日々を少しでも長く続けること

その後、母と一緒に作ったサンマのかば焼きは、懐かしい香りと共に食卓に並んだ。

あの頃と同じ甘辛い香りが部屋中に広がり、ひかりは泣きながらその味をかみしめた。こんなに心が温かくなる食事は何年ぶりだろう。

「おいしいね、ひかり」

母が突然、そう言ってほほ笑んだ。

ひかりのことを、久しぶりに名前で呼んだ気がした。

「うん……おいしいね、母さん」

介護の日々は終わらない。すり減る貯金はやがてひかりたちの生活を追いつめるだろう。だが、大切なことは母との日々を少しでも長く続けることだった。母に寄り添って生きることに、恥も外聞も存在しなかった。

「母さん、私、明日、役所に相談してこようと思う」

ひかりは母に告げる。母はよく意味が分かっていないのか、首をかしげてほほ笑んでいた。

複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

梅田 衛基/ライター/編集者

株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。

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