「早く逃げないと!」突然自宅マンションが火事に…10歳娘が「避難をを引き留めた理由」とは?
Finasee / 2024年11月19日 17時0分
Finasee(フィナシー)
<前編のあらすじ>
美花(38歳)は、真面目で融通のきかない性分の娘・葵(10歳)が、学校でたびたび問題を起こすことに頭を悩ませていた。
掃除をサボったクラスメートをたたいて泣かせた葵に、もう少し物ごとを柔軟に考えたほうが生きやすいのではないかと伝えたが理解はされず、正論で反論され鋭く言い返してしまい、葵を非難するかたちになってしまった。
自己嫌悪に陥る美花だったが、そんな矢先、部屋に警報音が鳴り響く。「火事だ……!」という声を聞き、部屋の中に葵を連れに戻った。
●前編「わたし、間違ったことしてないよ」友だちをたたいてしまう強情な10歳娘…子育てに悩む母を襲った「想定外の災難」
そっちの階段はダメ「葵……!」
子ども部屋の扉を大きく開け放つと、葵は既にベッドの上に起き上がり、驚いた表情で辺りを見回していた。
「火事だって! すぐ避難するよ!」
美花は葵の手を引いて、すぐに家から飛び出した。マンションの共有スペースには、まだ美花たちと同じように着の身着のままの住人たちが大勢いた。誰もが悲鳴を上げて右往左往しながら、非常階段を目指しているようだった。すでにパニック状態に陥っていた美花は、彼らの後に続き、葵の手を引いて下に降りようとした。
「待って!」
ところが、きゃしゃな葵の手が美花を引っ張り制止した。
「何やってるの、葵! 早く逃げないと!」
「お母さん、みんな、そっちの階段はダメ! 駐車場側から降りないと!」
「何言ってるのっ!」
「だって、火が出てるの1階の焼き鳥屋さんなんでしょ! それならこっちだよ!」
葵に手を引かれるまま、美花は廊下を進み、駐車場側の少し離れた非常階段に向かって駆け出した。
お母さん、119番通報しないと!ようやく建物の外に出ると、そこにはすでに住民たちが集まり、ざわめき立っていた。
もうもうと夜空に立ち昇る真っ黒な煙と、その隙間からちらちらと見える赤い炎。どうやら騒いでいた通り、1階にテナントとして入っている飲食店が激しく燃えているようだ。
「どうしよう、どうしよう……!」
美花は自分でも驚くほど混乱し、言葉がうまく出てこなかった。先ほどまでは、葵と自分の安全を確保することに必死で、恐怖を感じる暇もなかった。しかし、無事に火の手を逃れられた途端に、自分の住むマンションが火事になったという現実が容赦なく襲い掛かってきた。
「お母さん、119番通報しないと!」
そのひと言で美花はわれに返り、焦りながらポケットに手を入れるが、スマートフォンが見当たらない。慌てて飛び出してきたせいで置いてきてしまったらしい。
「どうしよう、携帯持ってきてない……」
美花が不安そうにつぶやくと、近くにいた別の住民の男性が声をかけてきた。
「もう通報してあるみたいですよ。大丈夫」
その言葉に、美花は心底ほっとし、脱力するように肩の力が抜けた。
「そ、そうですか……ありがとうございます」
いくらか冷静さを取り戻しかけた美花は、隣でじっと炎を見つめている葵に目を向けた。火が立ち昇る建物を凝視するその横顔には、動揺の色はあまり見られない。むしろ、その落ち着いた様子が頼もしく思えるほどだった。
「葵、なんだかすごく落ち着いてるね……」
美花が感心したようにそう言うと、葵は少しだけ照れたように目を伏せた。
「学校で避難訓練のとき、先生が言ってたの。こういうときは、まず慌てずに避難して、それから119番通報するって」
「そっか……学校で習ったんだ」
美花は思わず表情を緩ませた。さっきまでの気まずい空気はなく、ごく普通に話せていることに少し安堵する。
「そう言えば……あのとき、どうして向こう側の階段はダメって分かったの……?」
「だって、みんな、1階で火事だって言ってたから。1階が火事になったときは、駐車場側から避難するって思い出しただけだよ」
まさか10歳の娘がマンションの避難経路を覚えていたとは夢にも思わなかったので、何てことない調子で説明した葵に驚きを隠せなかった。しかも、葵は緊急時にそれをすぐ思い浮かべて、実際に行動に移すことができていた。慌てることしかできなかった自分とは大違いだ。
「すごいね、葵……お母さん、葵のおかげで助かったよ。ありがとうね」
「うん。正直ちょっと怖かったけどね」
葵は照れくさそうに笑う。
やがて近づいてくるサイレンが夜の空に響き渡った
あなたは正しいと言ってあげられる親でありたい火事から数か月後。保険会社やマンションの管理組合との話し合いや手続きを一通り終え、美花たちは徐々に日常を取り戻していた。
火事自体はテナントの店主のいち早い通報も功を奏し、店部分が燃えるだけで被害が抑えられたこともあり、マンションのエントランス付近に改修工事が入っているくらいで美花たちの生活にほとんど影響はなかった。
「どうぞ、お入りください」
久しぶりに訪れた小学校で、廊下に並べられた椅子に葵とともに座っているとクラス担任が廊下に出てきてにっこりとほほ笑んだ。
担任は、美花よりひと回りほど年上の女性教員で、葵がクラスメートともめるたびに、トラブルが悪化しないよう立ち回ってくれている。美花と葵にとっては、頭の上がらない、ありがたい存在だった。
教室の真ん中に寄せられた机の島で、葵と並んで担任と向かい合う。担任は生徒たちの情報が詰まっているであろうファイルを開きながら、普段の授業態度のことや成績のこと、委員会の仕事を頑張っていることなどを話してくれた。
「ご家庭のほうで気になることなどはありますか?」
「その、この子、真面目なんですが、融通が利かないところがあると思うんです。それで、先生にもご迷惑をかけてますし……」
美花は歯切れ悪く口を開く。葵はきっと居心地悪い顔をしているだろうと思うと、隣を見ることはできなかった。
「そうですね。でも正義感と責任感が強いところは、葵さんの長所だと思いますよ」
「でも、ですね……」
「実はね、前にこんなことがあったんです。お母さん」
担任はもったいぶるような、少し大げさな調子でそう言うと、先月やっていたという避難訓練の話を始めた。
「正直、避難訓練なんて4年生にもなると、みんなちっとも真面目にやってくれないんですよ。でも葵さんは誰よりも熱心に取り組んでくれて……その様子がとても印象的だったんです。避難経路を何度も確認して、持参した小さなノートに自分でメモしていたんですよ。訓練の際も、葵さんが周りの子たちに一生懸命呼びかけてくれて……最初は騒いでた子たちも、だんだん葵さんのことを見習ってくれているようでした」
「そうだったんですか」
美花はようやく娘の横顔を見ることができた。葵は居心地悪そうに顔をしかめて、「だってちゃんと訓練しないと困るでしょ」と言った。
火事の夜、美花たちが正しいルートを通って素早く避難できたのは、葵の真面目な性格のたまものだったのだろう。
「正義感が強いので、お友達とぶつかってしまうこともありますけど、葵さんは立派ですよ。だからそんなに心配なさらないでください」
「ありがとうございます」
三者面談は無事に終わり、美花たちは帰路に着いた。
ずいぶんと日が沈むのが早くなり、17時過ぎだというのに外は薄暗く、肌寒い。
「なに?」
隣を歩く葵の顔を見ていたら、葵が眉をひそめて顔を上げた。
「ううん。何でもない」
美花は答えた。
正しいばかりで世の中は動かない。だけどそれは大人の論理なのだろう。葵はきっとその正義感と責任感ゆえに、これから色んな壁にあたるはずだ。悔しい思いをして、打ちのめされることもあるだろう。
そんなとき、「あなたは正しい」と言ってあげられる親でありたいと、美花は思った。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
梅田 衛基/ライター/編集者
株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。
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