「そんな収入でよく結婚しようと思ったわね」結婚のあいさつで遭遇した弁護士一族の「仰天の価値観」
Finasee / 2024年11月21日 17時0分
Finasee(フィナシー)
巨大なエントランスは星付きのホテルか、一流企業のオフィスビルのようだった。磨かれた大理石の床。取りあえず高そうな花瓶に豪勢な花。精悍(せいかん)で屈強そうな、礼儀正しい警備員の姿――。
自分たちの暮らしとはあまりにも別世界過ぎると、望海は思った。
「大丈夫?」
隣りを歩く大樹が、顔をのぞき込んでくる。
「大丈夫。ちゃんと練習してきたし」
望海は自分に言い聞かせるようにそう答え、自分を落ち着かせる。
「望海がそんなに緊張することじゃないよ。あくまでも形式的なものだし」
「……そうだけど、やっぱり緊張するよ」
望海と大樹は2年間の交際を経て、結婚をすることになった。今日はそのあいさつのために、大樹の両親が住むタワマンへあいさつに来ていた。
「ほら、大丈夫だから」
大樹が望海の背中に手を添える。少し硬く、温かい手のひらに不思議と望海は大丈夫なような気がしてくる。
間もなく、エレベーターが1階に到着する。今日のために用意した手土産をしっかりと握りしめて、望海たちはタワマンの最上階に向かった。
家族関係は冷え切っていた「ただいま、母さん」
出迎えたのは大樹の母、瑠璃子だった。瑠璃子は望海たち2人に冷たい目線を向ける。歓迎されないだろうということは、前もって想像できていた。実家と大樹の関係がよくないことは聞いていた。だがここまで露骨に態度に出してくるものなのかと、望海は驚かずにいられなかった。
しかし、動揺している場合ではない。
「は、初めまして、山口望海といいます。この度は……」
「そういうのはいいから、早く中に入りなさい。こんな玄関先でみっともない」
何度も練習した最初のあいさつを途中で切られ、瑠璃子はさっさと部屋に入ってしまう。あっけにとられる望海の肩を大樹の手が軽くもみほぐす。
「ホントごめん。中に入って」
望海はうなずき、大樹の実家に足を踏み入れた。
案内されたリビングもちょっとしたホールのように広かった。もちろん窓からは都内の景色を一望することができる。さらに室内には必要最低限の家具しか置かれておらず、ほこりのひとつも見えない。
望海と大樹は並んでダイニングチェアに腰を下ろす。向かい合う瑠璃子は家事代行の女性にコーヒーを入れるよう言いつける。本来ならば手伝ったほうがいいのだろうが、仕事でやってきている人間を手伝うのもなんだかおかしな気がするし、どうすればいいか分からない。腰を上げようかどうしようかと迷っているうちに、コーヒーが運ばれてくる。
「今日、父さんと兄さんは?」
リビングを落ち着きなく見回していた大樹が口を開く。コーヒーを口に含んだ瑠璃子は当たり前のように答えた。
「仕事よ。顧客の企業が取締役会を開くことになったから、その打ち合わせや準備をしないといけなくってね」
「……ああそう」
大樹は声を落としてうなずいた。父と兄は、家族の結婚のあいさつよりも仕事を優先したということだ。
父親は弁護士をしていて、兄も弁護士をしている。もっとさかのぼれば、おじいさんも弁護士をしていたというので、大樹の家はいわゆる弁護士家系だった。しかし大樹は弁護士になることができず、印刷会社でごく一般的なサラリーマン勤めをしている。だから家に居場所がなかったと聞いたことがあった。2人が仕事を優先していることが、関係性が冷え切っていることをよく表していた。
そんな収入でよく結婚しようと思ったわね「それで、話っていうのは、結婚のことでしょ?」
瑠璃子は自ら話を切り出してきた。そこにはさっさと終わらせてほしいという思いが透けて見えるような気がする。
「ああ、俺、こちらにいる山口望海さんと結婚をすることにしたから、今日はそのあいさつに来たんだよ」
望海は深く頭を下げる。
「大樹さんとは2年前からおつきあいをさせていただいています。至らない私ではありますが、大樹さんと温かい家庭を築いていきたいと思っています。大樹さんのご両親、お兄さまとも末永いお付き合いができれば幸いです」
なんとか練習してきた通りに言い終えて、望海は顔を上げた。瑠璃子は全く感情の読めない表情でこちらを見ている。
「望海さん、あなた、仕事は何をしているの?」
「えっと、私は保育士です」
「年収は?」
ぶしつけな質問に大樹が割って入る。
「ちょっと、何だよそれ? 今は関係ないだろ?」
「いいえ、2人で生活をしていくのだから、それは大事なことでしょ?」
望海は大樹をいさめて、口を開く。
「大体300万くらいです」
望海の年収を、瑠璃子は鼻で笑う。
「そんな収入でよく結婚しようと思ったわね? それとも、お金のことは大樹に頼ろうってことかしら?」
「いや、別にそういうつもりでは……結婚したあとも、働き続けようと思ってます」
「働き続けようって……300万ぽっちじゃ時間の無駄じゃない。あなた、弁護士の年収がどれくらいか知ってる? どれだけ若い弁護士でも800万くらいは稼げるの。夫も息子も、その倍以上、稼いでるわ」
望海はなんと返事をしていいのか分からなかった。別に保育士である自分の給料がいいと思ったことなどないが、同時に弁護士よりも劣った仕事だと思ったこともない。
「おい、失礼だろ。それに、あの2人がいくら稼いでるとか、そんな話、今は関係ないだろ」
黙り込む望海をかばうように、大樹が声を荒らげる。このままではただのケンカになってしまうと思った望海は、出会いがしらに渡しそびれていた手土産の存在を思い出す。
「あ、あの、こちら、つまらないものですけど、もしよろしければ……」
手土産を受け取った瑠璃子の表情が初めて明るくなる。
「あら、これ、もしかしてワイン?」
「はい、ワインがお好きだと、大樹さんから伺いまして」
紙袋から箱を取り出し、中身を確認した瑠璃子が一瞬、眉間にしわを寄せたのを望海は見逃さなかった。
「あぁ、ボージョレ・ヌーボーね……」
「はい、解禁されたばかりですし、諸説ありますが、秋の収穫を祝うお祭りで振る舞われていたものらしいので、今回のようなめでたい日にぴったりかと……」
望海は義母に少しでも気に入られるならと事前に調べてきた知識をここぞとばかりに披露する。しかし瑠璃子は箱にしまうと、紙袋ごと望海に突き返してきた。
「悪いけど、そんなものは受け取れないわ。流行のワインなんて、私は飲まないのよ。おまけに新物でしょ? ワインってのは寝かせれば寝かせるだけおいしくなるのは知ってる? 私が好きなワインは熟成されたビンテージよ。こんな安っぽいワインじゃないわ」
瑠璃子はすぐに謝罪する。
「も、申し訳ありませんでした。今度また別のものを持ってきます……」
「結構よ。ワインを見る目なら、あなたよりも私のほうが上でしょうから。わざわざあなたに選んでもらわなくたってねぇ」
瑠璃子は望海を見て、おかしそうに目を細めた。
「そうやってはやり物に乗っかって楽しんでるのは庶民らしくていいんだけど、私を巻き込まないでくれるとありがたいわ」
瑠璃子から向けられた強烈な悪意に、望海はもう訳が分からず胸を締め付けられた。幸せのあいさつをしに来たはずなのに、どうしてこんなにも邪見にされなければいけないのだろうか。
望海に分かったのは、このあいさつが全て失敗しているということだけだった。
●あり得ないほどの敵意を向けてくる義母。だが思いもよらない望海の一言が義母にカウンターを食らわせる結果となる……。後編【「どうしてそこまで言えるのだろうと…」将来の義実家は弁護士一族、モンスター義母を憤慨させた「嫁の致命的な一言」】にて、詳細をお届けします。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
梅田 衛基/ライター/編集者
株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。
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