突然「カニ漁に出る」と言い出した弟の真意は? 両親を亡くした兄弟が「一番知りたかったこと」
Finasee / 2024年11月25日 17時0分
Finasee(フィナシー)
<前編のあらすじ>
幹也は(34歳)は、会社を辞めて地元に戻ってきた弟がカニ漁に出ると聞いて複雑な思いを抱く。
たしかにカニ漁は上物が水揚げできれば、サラリーマン時代の月収の10倍と、大金を稼ぐことも夢ではない。
漁師だった幹也たちの父もカニ漁をなりわいとしていた。過去を忘れたような弟の態度に、幹也は思わず強く口出しをしてしまう。弟と取っ組み合いのケンカをしながら、幹也は過去を思い出していた。
●前編:「手取りがサラリーマン時代の10倍に…」カニ漁はもうかるのか? 海に出ると言い出した弟を許せない兄の「家族の確執」
病気の母を置いて家を出る父母が倒れたと知らされたとき、幹也は高校2年生で退屈な数学の授業を受けている最中だった。青白い顔で教室に飛び込んできた教頭の表情は、今でも鮮明に思い出すことができる。
学校を早退し、教頭が手配したタクシーに乗った。途中で中学に寄って弟の佑次を拾い、病院へと向かった。2人ともタクシーの中ではしゃべらなかった。母さん大丈夫かな、と口に出してしまえば容体がよくないことが現実になってしまうような気がした。
6人部屋の病室で横たわる母は、兄弟を笑顔で出迎えた。しかし顔色は悪く、幹也は、そして佑次もおそらく、母の状態が芳しくないことはすぐに理解できた。
「ごめんねぇ。学校早退させちゃって。お母さん、しばらく検査で入院しなくちゃいけないんだと。しばらく2人で頑張れる?」
力なくほほ笑む母に幹也は何も言えなかったが、佑次は「余裕」と笑って返していた。
家に帰った幹也たちはどうにか父に連絡できないかと話し合った。遠洋漁業に出る船には必ず衛星電話が取り付けられているが、通信料は高く、めったなことがなければかけてくるなと父に言われていた。
「だけどこれはめったなことだよな」
「いや、検査入院なんだろ? それならそんな騒ぐことないって。予定では来週には帰ってくるんだから」
「本当にそう思うか?」
「思うよ。母さんがそう言ったんだから、疑ったってしょうがないし」
佑次の言葉はそう信じたがっているようにも聞こえた。だから幹也も信じることにした。しかし母はなかなか退院しなかった。
入院から三週間がたって、ようやく母が退院できることになったとき、状況は大きく変わっていた。
母はがんだった。しかもすでに全身に転移していて、余命はもう長くないとのことだった。父と佑次と三人で診断結果を聞いて、これまで通り、何も変わらずに振る舞って、母を送り出そうと決めた。だが日に日にやつれていく母を見ていると、幹也はいつも泣きそうになった。涙をこらえると顔に変な力が入った。これまで通りになんて笑えなかった。
「父ちゃん! 何考えてんだよ!」
朝、目を覚ますと、玄関口から佑次の怒鳴り声がした。気になって玄関へ向かうと、仕事着を着込み、荷物を背負った父の行く手を阻むように、佑次が玄関扉に張り付いていた。
「佑次、どけ。遅れんだろ」
「母ちゃんのそばにいてやれよ! 母ちゃん、日ごろどんだけ寂しい思いしてんのか分かってんのかよ!」
「仕事なんだよ。俺が稼がなきゃ、お前らの飯も、あいつの治療費も払えねえんだ。どけ」
父はぶっきらぼうに言って、力任せに佑次を引きはがそうとした。佑次は腰を落とし、全身に力を込め、必死になって抵抗した。しかし大人の、しかも腕っぷしがものを言う漁師の腕力の前にかなうはずもなく、あっけなく引きはがされて玄関に倒された。
「普段通りに振る舞え。それがあいつも1番喜ぶ」
そう言って、父は家を出て行った。幹也は父を追いかけて、はだしのまま外に飛び出した。
「父ちゃん!」
車に乗り込む父に向けて、幹也は叫んだ。父は何も答えず扉を閉め、エンジンをかけた。幹也は運転席のほうへと回り、窓ガラスをたたいた。父はアクセルを踏んで車を発進させた。幹也は砂利の上にしりもちを突いたが、すぐに立ち上がって走りだした車を追いかけた。追いつけるはずはなかった。まだ日の昇っていない空は暗く、明滅する街灯の周りには蛾が舞っていた。
一晩で両親を同時に失った父が再び漁に出て間もなく、母が危篤状態になった。管につながれた母の命がまだ辛うじてこの世につなぎ留められていることを、モニターに映る緑色の線と数字だけが教えてくれた。
「どうだった?」
病院のロビーで待っていた佑次に問われて、幹也は首を横に振る。
医者からは今晩が峠だと言われていた。幹也は父に連絡をしたが、つながらなかった。
「もういいよ。あんなやつ。いつも通りに振る舞うなら、あいつがいないのが普通だろ」
佑次は吐き捨て、ロビーのソファに浅く座り直して背もたれに寄りかかる。
「そうだな。そうだけどさ」
幹也はうなずいたが、後に言葉は続かなかった。
幹也にとって家族は父と母と佑次の3人だけで、それ以外の家族はよく分からない。だが家族というはこういうものだったのだろうか。これがいつも通りなら、ひょっとするととっくの昔に、あるいは最初から、幹也たち家族は壊れていたのかもしれないと思った。
母の容体はその夜に急変し、日付が変わるのを待たずにこの世を去った。
漁船が大しけに遭って転覆し、父を含む乗組員が行方不明になったという知らせが届いたのは、最悪な夜が明けてすぐのことだった。
幹也たちはたった一晩で両親を同時に失った。幹也たちの“いつも通り”はあっけなく失われ、2度と取り戻せないものになった。
父と母の両親はどちらも他界していたから、頼れるあてはなかった。親戚の家に引き取られるという話もあったが、かわいそうだと思われるのがしゃくだったから断った。誰にも頼らず、2人で生きていくことを決断できたのは、しっかり倹約家だった母の存在も大きかった。幹也が高校を卒業して就職するまでの1年と少しのあいだ、生活に困るようなことはなかった。
幹也たちは決めた。母と自分たち兄弟を置き去りにしたあの男を許すことなく生きていこうと。
父の愛情振り抜いていた拳が佑次の頰をしたたかに打ち、バランスを崩した佑次はその場にしりもちを突いて倒れ込んだ。
「痛ぇな。なにすんだよ」
「お前、ふざけんなよ。新しい家族ができて、なんでその家族をないがしろにするようなことするんだよ」
震えを抑えつけた声は低く、獣がうなっているようだった。握りしめた拳は熱を持っていて痛かった。
「別にないがしろにしてるわけじゃねえよ。俺にだって、考えてることがあんだよ」
「考えって何だよ。あいつみたいに家を空ける父親になることに、どんな考えがあるんだよ」
「知りたいんだよ!」
佑次が声を荒らげた。2人きりの部屋に鋭い声が悲しく響いた。
「あいつは仕事だって理由つけて、俺たちを、母さんをほったらかしにした。だから俺は父親ってもんの愛情を知らねえ。そのせいか、拓也が生まれて、父親として、どうするのが正解なのか分かんなくなった。別にあいつと同じことをしてみる必要なんてないのかもしれないけど、俺は自分がちゃんと愛されてたのか知りたくなったんだ。……あいつの気持ちを知らなきゃ、俺だって前に進めねえんだよ」
幹也はその場に座り込んだ。佑次と目線の高さが合った。お互いに顔をそむけた。
「なんだよ。お前だって、前に進めてないじゃねえかよ」
「うっせえな。いろいろあるだろ、お互いに」
それ以上は、どちらも口を開かなかった。離れていても、考えが食い違っても、いや、だからこそ家族なのかもしれないと思った。
やがて幹也は立ち上がった。「そろそろ帰るわ」と口にした幹也に、佑次は短く「おう」とだけ答えた。
兄弟の約束幹也はスマホを充電コードにつなぎ、部屋の電気を消した。ベッドに入り、ついさっきまで電話で話していた佑次のことを思い出す。
明日、佑次は漁に出る。初めてなので遠洋に出るようなことはないが、それでも緊張していることはやや興奮気味な口調からも十分に伝わってきた。
もちろん見送りにはいくつもりはない。幹也にも仕事がある。たとえ冷たいと誰かに後ろ指を指されても、それが幹也たち家族の“いつも通り”だ。
その代わり、帰ってきたら必ず飲みに行こうと、約束をした。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
梅田 衛基/ライター/編集者
株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。
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