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呪文のように「頼む」を繰り返す義母にとって「嫁=老後の世話人」、老後への異常な恐怖心が招く悲劇の始まり

Finasee / 2024年12月1日 11時0分

呪文のように「頼む」を繰り返す義母にとって「嫁=老後の世話人」、老後への異常な恐怖心が招く悲劇の始まり

Finasee(フィナシー)

「嫁=自分の老後をみてくれる人」

中国地方在住の片岡智子さん(仮名・60代)は、大学2年の時に部活動で知り合った男性と交際をスタート。大学卒業後はそれぞれ教育系の仕事に就き、25歳の時に結婚した。

「夫は結納を済ませた後、結婚式までの間に上司と喧嘩したらしく、街まで特急で3時間ほどかかる田舎の部署へ飛ばされ、そこで新婚生活をスタートしました」

田舎暮らしとなって1番の問題は、夫の母親、義母だった。
「本当なら長男なんやから同居するところやけど、遠いから別々に住んでいるだけ。だから連休はこっちに帰ってきなさい」など、自分の“理想の嫁像”を押し付ける人だったのだ。

「連休前に私の実家の近くに夫が出張することになり、ついでだからと2人で私の実家に泊っていたら、『連休は必ずこっちに泊らなあかん!』と言って電話してくるんです。『元気か?』なんて言いながら、連休中は特に、私たちが私の実家へ帰っていないか必ずチェックしてくるので、げっそりしました」

中でも呪文のように言われたのは、「私が一人になったら、頼むな」という言葉。結婚してすぐから、義実家へ帰る度に言われていた。

「老後、一人で暮らすことへの恐怖でしょうか? 義母は、嫁=自分の老後をみてくれる人、みたいな感覚でいつも私を見ていたように思います」

この老後への異常なほどの恐怖感が、後に自分の家を失う一因になるとは、まだこの頃は知る由もなかった。

義弟の結婚

長男である夫には、3歳下に弟が1人おり、遅れること8年後、義母が勧めるお見合いで結婚した。

義弟との結婚前、義妹は義母に言った。「私、小さい頃お祖母ちゃんと一緒に住んでました。だからお義母さん、一緒に住みましょう!」

この一言が、義母の運命を変えた。

「よし! では一緒に暮らせるように、この家を建て変えよか。あんたらの好きなように設計したらいいわ。お金は私が出したる!」

この日から義母は、「うちは長男ではなく、次男が跡継ぎです!」と親戚中に言って回るように。

「おかげで長男の嫁である私の上にのしかかっていた重圧がなくなり、『私が一人になったら、頼むな』という呪縛からも解放されました。私は家をもらうより、断然自由の方がいいと思っていました」

義父は家の建て替えが始まるとき、 義妹に言った。

「では、私にもしものことがあったら、ばあさん(義母)のことを最後までよろしくお願いしますよ」

義妹は優しくうなずいた。

義父の死

ところが、義弟の勤務地は四国。

そのため義両親と義弟夫婦との同居は、義実家を義弟夫婦のために建て始めた時点でも、「転勤願を出すか、ダメだったら転職すればいい」くらいの曖昧なものだった。

だが義実家を建て替え始めてから10カ月後、67歳だった義父は、「脳の中の大きな動脈瘤が、いつ破裂してもおかしくない危険な状態」と言われて手術を受け、ほっとしたのも束の間、今度は肺がんが見つかった。

すぐに抗がん剤治療を始めたが、思うように効果が出ない。がんが広がるスピードは想像より速く、義父は1996年、69歳で亡くなった。

義実家を義弟名義に

義父の死後、土地や建物の相続の話になると義母は、「全て義弟名義にする」と言った。


「私が死んだあと、また変えるのは二度手間やから、今からしといたらいいんや」
と平然としている。

しかし片岡さんの夫は、「危険だ。母さんも住むのだから、自分の名義も入れといたほうが良い」と説得したが、聞き入れようとしない。

埒が開かないと思った夫は、今度は義妹に、「全部相続すると税金がかかるよ」
と話すが、義妹は「税金は全部払います、大丈夫です」と揺るがない。

結局土地も家屋も義弟が相続し、義弟名義にすることに決まった。相続の書類が出来上がると、義弟夫婦はまた四国へ帰って行った。

夫と義弟のがん

2004年。義妹は四国に義弟を残し、中1の息子だけを連れて、義実家で義母との同居を開始。

すると、少しずつ本性を表し始めた義妹と義母の仲が険悪になっていき、四国で単身働く義弟にそれぞれから頻繁に愚痴電話がかかってくるようになった。

2人の仲裁に疲れ果てた義弟は、勤めていた会社に転勤願いを出すと、なんとリストラされてしまう。この頃義弟はまだ40代後半だった。

「義弟は、会社に裏切られたというショックやプライドがひどく傷つけられたことから、義母や義妹に当たり散らすようになりました」

そこへ追い打ちをかけるように、義弟にがんが見つかる。大腸がんだった。

2013年12月。片岡さんの夫(56歳)は体調が悪く、病院を受診したことで悪性リンパ腫と診断。抗がん剤治療に入ったことを義弟に電話をしたことで、片岡さん夫婦は義弟のがんを知った。2人は「子どもたちのためにお互い頑張ろう」と励まし合い、電話を切った。

義弟の大腸がんは臓器の外側に進行していくタイプのもので、症状がほとんど無いまま他の臓器や腹膜の方へ広がり、気付いた時にはかなり進行していたようだ。

リストラにあってからの数年、義実家に引きこもり、腐っていた義弟だったが、抗がん剤治療は弱音や文句を言わず、粛々と受け続けていた。

しかし治療開始から約半年後、主治医から「これ以上抗がん剤治療を続けると、逆に副作用で命を縮めます」という説明があり、「今年大学院に入る息子の就職や結婚を見届けたい」という思いを残しながらも、義弟は緩和ケアに移り、2014年の夏に50代前半で亡くなった。

同じ頃、片岡さんの夫は、血液内科の医師に、「リンパ腫は臓器などのがんと違って、5年経ったら安心ということにはなりません。薬で寛解となっているだけで、逆に5年過ぎた頃から再発のリスクは高まります」との説明を受け、診断から約1年後の2014年の春には仕事に復帰。3カ月に1回の定期健診を受けることになった。

●老後独り身を恐れていた義母。準備万端だったはずが、義弟のがんによって計画は大きく狂います。後編【「通帳見てみて」義妹に財産をむしり取られた義母、壮絶な最期を看取った嫁が見つけた「老後の正解」】にて、詳細をお届けします。
 

旦木 瑞穂/ジャーナリスト・グラフィックデザイナー

愛知県出身。アートディレクターなどを経て2015年に独立。グラフィックデザイン、イラスト制作のほか、終活・介護など、家庭問題に関する記事執筆を行う。主な執筆媒体は、プレジデントオンライン『誰も知らない、シングル介護・ダブルケアの世界』『家庭のタブー』、現代ビジネスオンライン『子どもは親の所有物じゃない』、東洋経済オンライン『子育てと介護 ダブルケアの現実』、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、日経ARIA「今から始める『親』のこと」など。著書に『毒母は連鎖する〜子どもを「所有物扱い」する母親たち〜』(光文社)がある。

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