「気が付いたら持って帰ってしまうの」貯金なしで老後を迎えたゴミ屋敷に住む80代女性が「ゴミを集め続ける理由」
Finasee / 2024年12月21日 11時0分
Finasee(フィナシー)
<前編のあらすじ>
大掃除をしていた春子(41歳)はため息をつく。道路を一本挟んだ向かいの家はいわゆるゴミ屋敷で、冬は火災が頻発する時期でもあるため不安を感じていた。
ある日、ゴミ屋敷の前で役所の人間と家主の和世(82歳)がもめているのを目撃する。思えばよき隣人だった和世がゴミ屋敷の主へと変貌してしまったのは、長年連れ添った夫を失ってからだった。
そんななか、年の暮れに行政代執行が行われる。和世の必死の抵抗はむなしく、ゴミは次々と片付けられていくが……。
●前編:年末のご近所騒動、もしお向かいがゴミ屋敷だったら…昔はまともだった老婦人がゴミ屋敷の主に変貌したワケ
自分ではどうしようもなかった和世はすっかりきれいになった家の前に力なく座り込んでいる。冬の寒さで凍りついてしまったように、微動だにしない。そんな彼女の周りでは、わずかに残った枯れ草が風に揺れていた。
これでよかったはずだ。
ゴミが片付いたことで、火災の心配もなくなった。
近所の安全も守られた。
自分も行政の介入を望んでいた1人だったはず。
それなのに、春子の胸は鈍い痛みを訴えていた。
「和世さん。風邪、引いてしまいますよ」
おそるおそる道路を渡った春子は座り込む和世に声をかけた。和世は顔を上げたが、春子を映す目に力はなく、今にも光はついえてしまいそうな頼りなさだった。
「こんなことになってしまって……本当にごめんなさいね……」
今にも消え入りそうな声が漏れた。春子は何も言えず、ただ彼女の揺れる肩をそっと見守った。
「私、ずっとみんなに迷惑をかけてたね……近所から煙たがられてることは分かってた……申し訳ない気持ちはあったけど……でも、もう自分ではどうしようもなかったのよ……」
そう切り出した和世は、ポツリポツリと言葉を紡ぐ。注意深く手を差し伸べてすくい上げなければ、砕けてなくなってしまいそうな、弱々しい声だった。
「うちの人ね、長いこと病気だったのよ……でもね、決して治らない病気というわけじゃなかった……治療さえ受けられればね」
地域の総合病院で診察を受けたとき、医者は唯一効果的とされる治療法を提示してきた。だが、その治療費は非常に高額で、とても年金暮らしの和世たちに支払えるものではなかった。おそらく自己負担が大きい先進医療の類いだったのだろう。
「私たち夫婦には、貯金なんてほとんどなかったのよ。子どももいないし、頼れる親戚もいない。普通に暮らしているだけでも精いっぱいだった……だけど、お金がない人間に、この世界は本当に冷たいのね」
和世は悔しそうに、血の気のないしわだらけの手を握った。
適切な治療を受けられないまま夫が亡くなったあと、彼女は何度も自問自答を繰り返したのだという。
お金さえあれば、夫は助かったかもしれない。
人の価値は、お金のあるなしで決まっているのだろうか。
ならば、お金がない私はこの世界に必要ない人間なのか。
「……そんなふうに思うとね、捨てられたものをそのままにできなくなったのよ。誰かから不要だって切り捨てられたのを見ていると、なんだかかわいそうで仕方なくって、気が付いたら持って帰ってしまうの……おかしいでしょう?」
そう言って、和世は苦笑いを浮かべた。
たしかに和世が拾い集めたものは、近所の人たちから見ればただのゴミでしかなかった。それどころか日に日に積み上げられるそれは、次第に和世を世間から孤立させる原因となっていた。
「これで最後にしよう、もうこれ以上捨てられたものを拾わない……何度自分に言い聞かせても、結局そのままにするのが忍びなくてね……」
春子は、黙って和世の言葉に耳を傾けていた。
彼女のかすれた声の奥に広がる孤独が、胸を締め付けた。
ただ、春子には何となく彼女の気持ちが分かるような気がしていた。和世のやり方が正しいのかどうかは分からない。いや、多額の税金を投じて行政代執行まで実施された以上、世間的に見れば間違っていると言わなければいけないのだろう。
しかし、彼女が抱える痛みを、単なる人ごとと切り捨てることが春子にはできなかった。
自らの過去と和世が重なる実は春子もまた、過去に大きな喪失を経験していた。子どものいない春子だが、たった1度だけ妊娠したことがある。
10年前のことだ。
妊娠が分かったときは、夫婦そろって年がいもなくはしゃいだが、その命は生まれてからわずか数カ月で失われてしまった。そのときに買いそろえたベビー服は、いまだ捨てることもできず、ほとんど使われないまま寝室の奥に隠した段ボール箱にしまい込んだままになっている。
あのころ、春子は夫に支えられながらなんとか立ち直った。あるいは立ち直ったふりができるくらいにまで回復することができた。
だが、もしも夫がいなかったら――。そう考えるだけで、春子はぞっとする。喪失に押しつぶされていたのはきっと、春子のほうだったのかもしれない。
「……だけど、もう終わりね」
和世がふいに口を開いた。その目は遠くを見つめ、どこか穏やかだった。
「終わりって……?」
「昨日が夫の七回忌だったの」
和世のなかで、夫の死に区切りがついたのだろうか。
寂しさを埋めるように拾い集めたものたちが強制的に取り除かれたわけだが、和世は静かにその変化を受け入れているように見えた。あるいは、もうこの世に未練など何ひとつないと、すべてを諦めてしまったようでもあった。
「和世さん、実は……」
春子は意を決して口を開いた。和世は疲れ切った表情で、春子のことを見上げていた。
「……ご主人には生前、ずいぶんお世話になったんです……覚えてますか? 私たちがこの家に越してきたばかりのころ、庭の土のことで困っていたときに、ご主人がいろいろと教えてくれて……」
和世は目を丸くし、それから柔らかくほほ笑んだ。
「ああ、そうだったわね。あの人は庭いじりが好きだったから……私が花を育てるようになったのも、実を言うとあの人の影響なのよ」
「そうだったんですか……」
春子はその優しい表情に安心し、続けて言った。
「あの、もしよかったら、ご主人との思い出を聞かせていただけませんか……?」
和世は少し考えるようにしてから、小さくうなずいた。
「もちろんよ。あの人のことなら、話せることたくさんあるのよ」
「それじゃあ、着替えたらすぐにお邪魔しますね」
「ええ。幸い片付けられたばかりだから、家のなかはきれいなのよ。お茶入れて待ってるわね」
和世は重い腰を上げ、家のなかへと戻っていった。その背中に、かつての穏やかな隣人だった彼女の面影を感じるのは、あまりに都合のいい解釈だろうか。
春子は少しだけ口元を緩めながら、祈るような気持ちで和世のことを見つめていた。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
梅田 衛基/ライター/編集者
株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。
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