「目標なんて何もなかった」推しが突然卒業し、アラサー女子が気づいた”推し活”にささげた7年間の代償
Finasee / 2025年1月8日 18時0分
Finasee(フィナシー)
更新されなくなったSNSを再読み込みしては溜息を吐く。片付けようと思って片付けられていないポスターやグッズが満里奈のことを見下ろしている。
推しが卒業した。先月のことだった。
7年前、何気なくサブスクで見始めた日韓共同のオーディション番組で、満里奈はアユンの存在を知った。その天真爛漫な性格とダンスや歌にひたむきに努力する姿勢に魅了された。
その後、オーディションをぎりぎりのところで勝ち抜いたアユンは他の6人のメンバーといっしょに「LumiStar (ルミスター)」というグループでデビューをする。
以来7年間、満里奈はずっとルミスターとアユンのことを応援し続けてきた。
しかし、そんなアユンが先月のコンサートで卒業をした。この日を迎えるまで、満里奈の心が落ち着くことはなかった。
アユンはルミスターを必ず世界的なグループに成長させると宣言して頑張っていた。しかし公式ホームページとSNSで突然の卒業発表がされたのが、先々月のこと。予定されていたツアーの東京公演は急遽アユンの卒業コンサートになり、アユンはたくさんの声援に見送られながら、案外あっさりと卒業していった。
正直、満里奈は目まぐるしい変化についていけていなかった。グッズにイベントに、毎年200万円近いお金と、許す限りの全ての時間を使って応援し続けてきた。それなのに、あまりにもあっさりとした飛び立っていたアユンに満里奈は置いてけぼりを食らった気分だった。
しかしそれだけでは終わらなかった。卒業してから2週間後、アユンが青年実業家の男性と婚約したと発表したのだ。
もちろんネットでは批判が殺到した。
〈卒業ってそういうことね、、〉
〈ファンより男を選んだってこと。いや、金かwww〉
〈ファンへの裏切りだろ〉
〈許さない〉
アユンの報告と荒れるSNSを目の当たりにして、満里奈の胸のうちには怒り、悲しさ、悔しさ、呆れ、全ての感情がごちゃ混ぜになった巨大な波が押し寄せた。しかしそれが過ぎ去ると、満里奈の心は更地になった。
7年、推しとともに歩んできた時間は崩れ去った。
満里奈のなかに残ったものは、もはや笑ってしまうくらいに何もなかった。
グッズとポスターが並ぶ“神棚”に背を向ける。懲りることなく再読み込みを続けるSNSは結婚報告の忌々しい2ショットを、いつまでもトップに表示し続けている。
久しぶりに会う同期の面々漫然とした日々を過ごしていた満里奈は、その日、同期の沙織の結婚式に参列していた。
前までなら遠征だ、コンサートだ、番組観覧だと理由をつけて断っていただろう。しかし今の満里奈の予定は空白だらけ。家に1人でいても気が滅入るだけなので、参加してみることにしたのだ。
式場に着き、手続きを済ませて会場に入る。
満里奈があてがわれていたのは、かつて同期入社で励まし合っていた仲間たちの席だった。
懐かしい顔を見て、気恥ずかしさを感じながら挨拶をする。
「満里奈、久しぶりー!!!」
隣の席の佑香が話しかけてくる。最初に出会ったころは心配になるくらい痩せていて、覇気のない見た目をしていた。
しかし今はふっくらとした表情で肌つやも良くなっていた。
「わぁ、久しぶり。あれ、何年振り? 辞めてからどれくらいだっけ?」
「3年かな。満里奈は全然変わってないね」
「そうかな。佑香はなんか、お母さんって感じ」
「何それ」
佑香は3年前に寿退社をしていた。配属された経理部の先輩と結婚して会社を辞め、間もなく子供も生んだ。今は専業主婦をやっているらしい。
「まあでも、たしかに腕力はついたかも。今はもう絶賛イヤイヤ期でさ。歩くのいやだとか言って、道路に寝っ転がったりし出すから、抱きかかえて運ぶのよ。だから母親は腕力勝負みたいなとこあるかも」
佑香はうんざりだという感じで肩をすくめたが、表情は晴れやかで、生活が充実していることは間違いなさそうだった。満里奈はそんな佑香のことを素直にまぶしいと思う。
「満里奈は特になさそうなの? 結婚とか」
「え、私? 全然だよ」
「そっかぁ。いいな。バリバリ仕事に生きるのもかっこいいよね」
別にそういうわけじゃないんだけど、とは言わないでおいた。
アユンにささげた時間は……満里奈にとって仕事は、アユンのためにするものだった。給料の大半は推し活に費やされたし、出演番組の時間に間に合わないから残業や飲み会は断った。とはいえ勤務時間もやる気があるわけではないから、後輩のほうが先にチーフに上がり、7年目の満里奈はいつまでも下っ端。
ただ時間をお金に変えるだけの営みなのだから、それでよかった。よかったはずなのに、間違っていなかったのかと自問すると自信をもって首を縦に振ることはできなかった。
「だってほら、宏美なんて今は社長でしょ。今日は仕事で行けないって言ってたけど、先々週かな、たまたまばったり会ってね。かっこよかったよ」
宏美も満里奈たちの同期で、4年前に辞めていた。もともと独立志向の強かった宏美はEコマースの事業を起こし、それなりに成功していると、社内で誰かが話しているのを少し前に小耳にはさんでいた。
「いいよね。だから子供が小学校上がったら、私も仕事復帰しようかなって思ってるんだ」
「へえ、そんなこと考えてるんだ」
「うん、子供の将来のためにもお金は必要だし。私も今のうちからちょっと資格の勉強とかしておこうかなって考えてるの」
佑香の言葉に満里奈はハッとした。
佑香はしっかりと前を見据えている。ここにいる全員がそうだ。皆それぞれの目標に向かって行動をしていたのだ。
しかし、満里奈には目標なんて何もなかった。ただアユンのためにどれだけ時間とお金を使えるかしか考えていなかった。
仕事はアユンのための資金調達で、恋愛は時間の無駄だと思っていた。
結果、満里奈は7年間、時間を無駄に浪費していたということに気付く。
アユンがいたときは充実しきっていたと思っていた7年間が、今はまったくもって空虚な時間になっていた。
理由は分かっていた。満里奈はアユンの努力や充実感を、自分の人生の充実感にすり替えてきた。アユンが嬉しければ一緒に喜び、悔しい思いをすれば一緒に悔しがる。そういえば聞こえはいいかもしれないが、つまるところ満里奈は自分の人生を、アユンに押し付けて生きていた。
そう思ったら、なんだか泣けてきて、もうすぐ式が始まるというのに満里奈はお手洗いに逃げこまざるを得なかった。
●アユンにささげた時間は無為だったと悲嘆にくれる満里奈だが、後輩である智美とのふとした会話がきっかけとなり、新たな生きる目標を見つけ出す。後編【「…情けないな」推しを現実逃避の道具にしていたと悔いる女性が見つけた「人生の目標」とは?】にて、詳細をお届けします。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
梅田 衛基/ライター/編集者
株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。
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