「年収600万以上は何があっても譲れない」相手の年収にこだわり、婚活を続けるアラフィフ女性、その結末は
Finasee / 2025年1月17日 19時0分
Finasee(フィナシー)
美弥子は深いため息をつく。12月を迎え、空気はどんどん冷たくなっている。周りを歩くカップルとおぼしき男女や子連れの親子は楽しそうに笑っている。クリスマスや大晦日などこれから沢山のイベントが待ち構えていることに浮かれているのかもしれない。
しかし美弥子にそんな気持ちは一切なかった。
今年で46歳を迎えるが、未だに独身で、もう8年以上も恋人だっていない。そんな美弥子にとって、12月はただ忙しく寒いだけの月でしかない。
もちろん、小さいころはサンタクロースを楽しみにしたり、こたつに入って年越しそばを食べながら年末番組を楽しんだ記憶だってある。だがどれもこれも、美弥子にとっては幻以上の価値を持たない。覚めれば消えてしまう夢であり、あの日からずっと美弥子は痛いばかりの現実を生き続けている。
ずっと1人で生きてきた。仕事に邁進しているふりをして、たった1人。
だが40代も後半に差し掛かり、美弥子の胸に訪れたのは虚無感だった。何も残さず、何とも繋がらず、ただ独りで生きることの虚しさだった。
だから休日にこうして結婚相談所に通っている。今年はもう無理だとしも、来年こそは必ず結婚をしたいと思っている。
それとなく周囲を確認して雑居ビルの階段を上がり、2階にある事務所に入るとすぐに面談室に通された。
年間で30万円ほど掛かる結婚相談所に行けば、すぐにでも条件の合う男性を紹介してもらえると美弥子は思っていた。しかし思ったような結果は今のところ得られていない。
担当をしてくれている城田佳代子は難しそうな顔をしてパソコンを操作している。
「……やっぱり笠原さんの希望に見合う男性は今のところいないですね」
「……本当ですか? この相談所にはかなりの登録者がいるって聞きましたよ? それでも全く1人もいないって言うんですか?」
美弥子の問いに城田はしっかりとうなずく。
「そうですね。申し訳ございません。やはり笠原さんが第一条件としている年収のところでほとんどの男性が弾かれてしまっているんですよね。この条件をもう少し下げるというのはどうですか?」
「……年収600万以上というのはそんなに厳しい条件なんでしょうか?」
美弥子が尋ねると、城田は厳しい表情のまま目を伏せた。
「年収が600万を超える男性は20%ほどいると言われています。しかしそのほとんどが年配の男性で、すでに結婚されているという方が多いんですよね」
美弥子は結婚の条件として40代よりも上の年齢を希望している。同世代のほうが一緒にいて楽だからだ。
40を越えて未だに結婚もしないでいるのは金のないうだつの上がらない男ばかりか、と美弥子は分かりやすくため息を吐き出し、だがそれは同時に女である自分にも当てはまることに気づいて自己嫌悪に陥る。
「やはり条件を下げる方が良いと思います。せめて年収の条件を450万にまで下げませんか? これはこの国の平均給与額になってますので、決して給料が低いとは言えませんから」
「平均ですか……」
渋る美弥子に、城田は1枚の資料を見せてきた。
「この方、私は笠原さんにぴったりだと思うんですよ。年収は平均的ですが、職場も近いですし、勤務先も非常に安定している企業様なので、笠原さんも安心していただけるかと思いまして。それに、笠原さんはご結婚されてもお仕事を辞めるつもりはないんですよね?」
「はい、もちろんです」
美弥子は強く肯定する。「でしたら」と、城田は満足そうに笑って相手の谷本孝のプレゼンを続けた。
そんな城田の熱量に押されたこともあり、美弥子は谷本と会うことにする。
確かに年収以外の条件では何ひとつ問題がないように思えたのだ。
それにもし嫌ならこの先のデートを断ればいいだけ。お試しに、城田の顔を立てる意味も含めて1度だけ会うならば問題はないだろうと思えた。
年齢より、いくらか若く見える男性がお互いの希望が合致すれば、担当の職員から男側に連絡先が渡される。そして男側が最初に電話をして、初めて接触できるという仕組みになっていた。
40代にもなれば、電話を繰り返して距離を縮めるなどというまどろっこしいことはしない。初めて電話で手短に会う約束を取り付けた美弥子は、12月の中頃、昼間に待ち合わせの喫茶店に向かった。
到着したのは待ち合わせ時間の10分前。だが、すでに谷本は席に座って待っていた。
「谷本さんですか? 初めまして、笠原美弥子です」
美弥子が声をかけると、谷本はぎこちのない笑顔を浮かべた。
「あ、初めまして。谷本孝です」
谷本は44歳だと聞いていたが、写真よりもいくらか若く見える。服装も無難に小ぎれいで、第一印象としては悪くない。
予定している美術館に向かう前に、コーヒーを飲んでひと息つく。
美弥子は結婚相談所を介して男性と知り合うのが初めてだった。もちろん偶然に任せた出会いと違い、ある程度お互いを知っているところからスタートするので、会話はいきなり深いところからすることができる。これは結婚まで短時間で辿り着きたいと思っている美弥子にはありがたいものだった。
「美弥子さんは不動産会社にお勤めなんですよね?」
「そうです。これは事前にお伝えされていると思いますが、結婚しても仕事は続けようと思っています」
「はい、私も共働きを希望しています。お仕事を続けたいというお気持ちは素晴らしいと思います。収入の面だけでなく、家以外のコミュニティに所属しているというのが、人生において大事なんじゃないかと思ってるんです」
会話は美弥子が想定していたよりも盛り上がった。思い描いている将来のビジョンや価値観が似ていたことが理由だった。
喫茶店で打ち解けつつあったこともあり、美術館で一緒に歩いているときも、谷本はスマートな会話で美弥子をリードしてくれた。久しぶりのデートだった美弥子にとって、谷本の気遣いはとても嬉しいものだった。谷本はとても素敵な人だというのは1度会っただけでも十分に理解できた。
だがそれでも、美弥子のなかでは彼の年収が引っ掛かっていた。
年収は何があっても譲れないデートを終えて数日後、美弥子は結婚相談所を訪れた。谷本についての感想を報告するためだ。
「どうでしたか?」
城田に聞かれて美弥子は正直な気持ちを伝えた。
「素敵な人だとは思います。しかしお付き合いや結婚は考えられません」
「どうしてですか……?」
「やっぱり年収ですね。他にも前の奥さんとの間に子供が居るから養育費を払っているとも言っていたので。この条件の男性とは結婚できません」
それから城田は谷本からはとても良い感触を得ていることを伝えたり、若いときの子供なので養育費はあと数年で支払義務がなくなることなどを説明してきた。
だが、美弥子はぶれない。
年収は何があっても譲ることのできない条件だった。
しかしそれから1週間後、美弥子は再び谷本とデートをしていた。
もちろん城田の勢いに負けたわけでもないし、条件を下げたわけでもない。デート後も続いていた谷本の誠実な連絡に応えるには、こうするのが1番だと思ったのだ。
この日は軽く昼食を取り、近くの自然公園を歩く。芝生の上では子どもたちがボール遊びをしていて、少し離れたところでは若いカップルがバトミントンをしている。芝の広場をぐるりと囲む舗装された道を、老夫婦が手をつなぎながら散歩している。
「……美弥子さん、僕は真剣にあなたとのことを考えています。美弥子さんは僕のこと、どう思っていらっしゃいますか?」
ふいに立ち止まった谷本は真面目な顔でこちらを見つめていた。美弥子も立ち止まり、谷本に向かい合った。まだ出会って2回目のデートだが、彼らしい誠実な告白なのだろうと思った。だからこうして、きちんと会って伝えなければいけなかった。
「ごめんなさい。あなたとは結婚をすることはできません」
「……ど、どうしてですか?」
美弥子は真っ直ぐに谷本を見据えた。
「あなたの年収では将来が不安だからです」
●正直な思いを伝えたものの、誠実な谷本に脈有りだと誤解させてしまったかもしれない。罪悪感を覚えた美弥子を谷本が引き留める。「もう少しだけお話をしたいんです」そう告げる谷本に美弥子が語ったのは金に翻弄された悲しい過去だった。後編【「愛では飯は食えない」婚活に邁進するアラフィフ女性が年収600万円以上は絶対に譲れないと感じる「悲しいワケ」】にて詳しく紹介します。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
梅田 衛基/ライター/編集者
株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。
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