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「また、何もしない一日が終わったわね」夫を亡くし、一人、家で暮らす女性を変えた娘の一言

Finasee / 2025年2月12日 19時0分

「また、何もしない一日が終わったわね」夫を亡くし、一人、家で暮らす女性を変えた娘の一言

Finasee(フィナシー)

まだ薄暗い部屋の中で、冬美はゆっくりと布団から身を起こした。毎朝5時きっかりに朝食を食べる夫がいなくなってからというもの、起床時間は少しずつ遅くなっていた。

時間に縛られない日々は、まるでどこまでも続く無音の海のようだ。波の音ひとつ聞こえない静寂が、冬美を覆い尽くしているのだ。

居間へ降りると、夫が愛用していた座布団がぽつんと畳の上に残されている。片付けるべきだと思うけれど、どうしても手が伸びない。まだ夫がそこにいるような気がしてしまうのだ。

いつものように台所でお湯を沸かし、紅茶を淹れる冬美だったが、本当は味なんて覚えていない。ぼんやりと湯気が上がるカップを見つめるだけで、時間が過ぎていく。朝のニュース番組をつけても、内容が頭に入ってこなかった。ただ音が流れていくだけ。気づけば、視線はいつもと同じ場所に落ちていた。

仏壇の前に置かれた夫の写真。

相変わらずの仏頂面だが、その険しい顔が今の冬美には懐かしかった。無意識に、彼に話しかけてしまう。

「あなた、今日は天気がいいみたいよ」

もちろん返事なんてない。

だけど言葉に出すだけで、ほんの少しだけ気持ちが軽くなる気がした。

午後になると、外から子どもたちの元気な声が聞こえてくる。近くの小学校から帰宅する子どもたちが笑いながら走っているのが縁側から見えた。彼らの楽しそうなその姿を目にすると、本を読むのが大好きだった子どものころを思い出す。

だがそれもずっと昔の話だ。長年連れ添った夫を亡くし、娘たちとも離れて暮らす今の冬美は、ただ静かに部屋の隅でじっとしているだけ。

いつからこうなってしまったのだろう。家族のために、と生きてきたつもりだが、こんなふうに1人になる日が来るなんて、夢にも思わなかった。

夜のとばりがおり一人で考えたこと

とはいえ、自分の人生がつまらないものだったとも思わない。見合い結婚で一緒になった夫は亭主関白で厳しく、気難しい性格の義母との関係にも苦労した。それでも、夫や娘たちと過ごした時間は確かに大切なものだった。結婚して自分の家庭を持ち、子どもを産み育てるという人生は、冬美に多くの喜びを与えてくれたのだ。
だが、それだけでよかったのだろうか。

今さら考えても仕方のない問いが、心に何度も浮かんでは消えていった。

夕方になると、日が傾くと部屋の中はさらに静かになった。

孫たちの声も、娘たちの笑顔も、ここにはない。ソファに深く沈み込みながら、窓

越しに夜の帳が下りるのをぼんやりと眺めた。

「また、何もしない一日が終わったわね」

呟いた自分の声がやけに空虚に響いた。

何もしないでいる時間は、まるで空っぽの箱の中に閉じ込められたような感覚だ。誰かが無遠慮に箱を開けて「早く出ておいでよ」と自分を掴み上げてくれればいいのに。そんな子供じみた妄想が、ふと胸の中に浮かぶと同時、玄関のチャイムが鳴った。

何か楽しいこと、ある?

例によってぼんやりしていた冬美は、その音に驚き、しばらくしてからゆっくりと腰を上げた。ドアを開けると、そこには長女の真由子が立っていた。

「どうしたの?」

「お母さん、急に来てごめんね。ちょっと顔を見に来たの」

驚く冬美をよそに、玄関先で靴を脱ぐ真由子。

同じ市内で夫と2人の子どもたちと暮らす真由子は忙しい日々を送りながらも、こうして小まめに訪ねてくれる。彼女の気遣いがありがたくもあり、同時に申し訳なくもあった。

「忙しいんだから、無理しなくていいのに」

冬美がそう言うと、娘はにっこり笑った。そして何も言わず台所へ向かい、流し台の上を見回した。

「……お母さん、ちゃんと食べてる?」

唐突な問いかけに、冬美は少し言葉を詰まらせた。

食事はしていないわけではない。けれど、簡単なものばかりになっているのは確かだった。娘の目は鋭く、何も言わずともその事実を見抜いているようだ。

「まあ、それなりにね。あんたたちが来たときはちゃんと作るから」

言い訳じみた返事をしながら、冬美は冷蔵庫を開ける娘の背中を見つめた。彼女はため息をつきながら、買い物袋を取り出して言った。

「そういうことじゃないでしょ。お母さんが元気でいてくれないと困るの。せめて、ちゃんと自分のためにご飯を作ってよ」

冬美は肩をすくめ、小さく笑ってみせた。けれど、その笑みはどこか空虚だ。真由子はそんな冬美をじっと見つめ、少し戸惑ったように首をかしげた。

「ねえ、お母さん。最近どう? 何か楽しいこと、ある?」

「楽しいこと……ねえ」

小さくくり返しながら、冬美はぼんやりと窓の外を眺めた。

夕日が沈み、家々の窓に灯りが点る時間だ。その穏やかな景色の中で、冬美は答えを見つけられないままだった。

「そう、楽しいこと。やりたいこととかさ。お母さん、そういうのある?」

真由子の問いかけは静かだったけれど、その言葉のひとつひとつが胸に響いた。
やりたいこと。

もうずっとそんなものを考える余裕はなかった。子どもたちを育て、夫を支え、日々の生活をこなしてきた。それだけで精一杯だったのだ。

「……あんたたちを育てるのが、私のやりたいことだったわよ」

そう答えると、真由子は少し寂しそうな笑みを浮かべた。

「そうかもしれない。でも、お母さんの人生はそれだけじゃないでしょ?」

彼女の言葉は優しかった。

けれど、その優しさがかえって冬美の心を揺さぶった。

冬美の人生。

それは、家族とともにあったものだ。

それだけでよかった。

そう思ってきた。

だけど、本当にそれだけでよかったのだろうか。

●娘の一言に触発され、自分の人生を振り返る冬美。その胸に去来したのは若いころに抱いた夢だった。冬美は実現のため、動き出す。後編:【「大学に行ってみれば?」娘の一言で奮起した、夫を亡くしたシニア女性の新たな挑戦】にて詳細をお届けします。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

Finasee マネーの人間ドラマ編集班

「一億総資産形成時代、選択肢の多い老後を皆様に」をミッションに掲げるwebメディア。40~50代の資産形成層を主なターゲットとし、多様化し、深化する資産形成・管理ニーズに合わせた記事を制作・編集している。

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